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浅草今昔展記念フォーラム《江戸と浅草・その文化》その4

①浦井正明老師(寛永寺執事・東叡山現龍院住職)〔江戸の庶民・民衆の上野と浅草〕

②長澤利明先生(法政大学講師・国士舘大学講師)〔江戸の民間信仰〕

③柳原紀子先生(近茶流懐石道宗家夫人)〔江戸時代の食文化概論〕

④竹内誠氏(江戸東京博物館館長)〔江戸と浅草・その文化 まとめ〕

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〔江戸と浅草・その文化 まとめ〕江戸東京博物館・竹内誠館長

江戸時代の「盛り場文化」を考えてみる。人が集まる盛り場は、1位が「浅草」で、2位が回向院を含む「両国界隈」であった。「盛り場」の条件とは第一に信仰、つまり聖なる空間に「おまいり」することであった。神仏の百貨店といわれる浅草の観音様におまいりするだけではなく、「食べる」、「買う」、「見る楽しみ」などの条件も満たされていて、人が集まる。

「食べる」点については、柳原先生の江戸料理事情の話に紹介されたように、浅草や両国には食の欲求にこたえるものが十分にあった。「買う」というのは、ブランド品のみやげものを意味する。浅草海苔や餅(大仏餅)、浅草寺の楊枝(当時の歯ブラシ)などである。見る「楽しみ」は、浅草寺裏の「奥山」地域に代表される様々な芸能、大道芸、見世物の類である。大道芸を見せて楊枝を売る手法もあった。とくにコマ回しの松井源水、居合い抜きの長井兵助などが知られている。

「浅草はうそをつかない」場所柄だった。人々が通り過ぎる盛り場ではあるが、そこには、人を迎える心があった。浅草が現代にいたるまで、長く続いて来たのは、住人に「おもてなしの心」があるからである。

「川柳」の先駆者・柄井川柳は、浅草の出身である。いくつか、浅草にまつわる川柳を紹介したい。

風神は 雷門に 居候(いそうろう)

「雷門」は正式には「風雷神門」という。確かに門の左右には、雷神と風神の像が建つが、なぜか「雷」が主役であって、風神は、いそうろうだ。

女房と 雷門で 出っくわして

吉原にでも遊びに行こうとする旦那が、観音様におまいりに来た女房と、ばったり。

ほだらくの 池より(ちより) ごくらく 北に見え

観音様の補陀落浄土にもまさる(新吉原の)極楽は、浅草寺より北の方角にある

救うのも 迷うのも 浅草寺

衆生(しゅじょう:一般民衆)を救うのも、逆に迷わせるのも浅草寺

「盛り場」は、身分の違い、貧富の差を超えて老若男女が、大勢集まる開放的な場として、賑わった。それは大都市江戸の特徴でもあった。浅草両国界隈を中心に、信仰、見世物、祭りをはじめ、様々な要素が「盛り場」を築きあげていった。竹内誠先生は、江戸文化史や日本近世史の専門家。東京教育大学大学院博士課程修了。文学博士。現在は東京学芸大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長、徳川林政史研究所所長、日本博物館協会会長、社会経済史学会顧問などを務める。

(文責・たろべえ)

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