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浅草にもあった芭蕉ゆかりの《象潟(きさがた)》

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 先日、浅草三丁目近辺を歩いていたら、松尾芭蕉が『奥の細道』でよんだ一句が、刻まれた碑を発見して驚いた。実は、私はこの句が気に入っていて、芭蕉が実際に尋ねたその土地、現在の秋田県象潟に行ったことがある。

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 象潟や 雨に西施が ねぶの花(きさがたや あめにせいしが ねむのはな)

 「象潟」(地名)は、古来から「松島」と並んで、和歌の題材として取り上げられることが多い“歌枕”の地で、風光明媚な、いまでいえば観光スポットであった。西行法師や能因法師らが、象潟で歌を詠み、この地を芭蕉もたどり、追体験をした。

名勝地や歌枕で名高い「きさがた」の雨に煙る景色の美しさは、まるで(中国春秋時代の絶世の美女、薄倖な)西施(せいし)の姿を連想させる、妖艶な(あやしくつやっぽい)「ねむ(合歓)の花」のようだ・・・、たぶんこんな意味だと思う。

ねむ(合歓)の花は、俳句では夏の季語である。写真を見ていただくと、お化粧をする際の刷毛(はけ)のようで、夜になると静かに花を閉じるところから「ねむ(眠る)」花ともいわれる。

実際の「象潟」は、現在、秋田県にかほ市(旧秋田県由利郡象潟町)のことで、Photo_2 日本海沿いで山形の県境に近い。蚶満寺(かんまんじ)というお寺が、残る。実は、江戸時代の文化元年(1804)、マグニチュード7規模の大地震により、象潟近辺の名勝地「八十八潟(やそはちがた)、九十九島(つくもしま)」も土地が隆起した関係で、陸や沼となってしまい、風景もかわってしまったようだ。現在は、このお寺がひっそり残っていて、松尾芭蕉の先の句碑と芭蕉像が当時の面影を伝えるのみである。なお、JR羽越本線には「きさがた」駅が残っている。

さて、いまの浅草三丁目あたりは、かつて「浅草象潟町」であったそうだ。江戸時代、出羽本荘藩の11代藩主・六郷政鑑(ろくごうまさかね)の下屋敷が、浅草のこのあたりにあったことから、地名になった。(出羽の国だが、山形に近い秋田県である)

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