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《黒船の晩餐メニュー》その2幕府からペリーへ

 1854年3月8日、横浜での幕府側のペリーご一行様への接待の昼食は、会席料理(本膳料理)のフルコースであった。一説によれば、一人前が三両(現代の通説で、江戸後期の換算が、1両3万円として、9万円、さらにその後の幕末換算では9千円となる)で300人前の料理だから、いずれにせよ、大変高価な高級料理である。この料理についてのペリー一行の感想は、『歴史のかげにグルメあり』(黒岩比佐子著、文春文庫)にあった。

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 実はペリー艦隊は、浦賀に入港する以前、1853年5月26日、琉球(那覇)に寄港していた。しかも時の琉球王朝の晩餐会に招かれ、「琉球料理」を満喫していた。その時の献立は、同書によれば「ゆで卵、魚の蒲鉾、油で揚げた魚、冷たい焼魚、豚の肝臓を細く刻んだもの、砂糖菓子、(中略)薄い豚肉の片れを揚げたもの」などであった。この「琉球(沖縄料理)」に、いたく満足した様子だ。

 横浜で提供された本膳料理は、メニューを見る限り、鯛や平目にあわびなどの魚介類に牛蒡、大根、うど、山菜などの日本の伝統的な食材だ。肉類にいたっては、鳥肉で鴨が出された程度で、これではアメリカ人の食欲を満足させることはできなかったに違いない。事実、ペリーに同行したアダムスの記した『ペルリ総督日本遠征記(三)』によれば、この時の饗宴は、「日本人の饗応は、非常に鄭重(丁重)なものではあったが、全体として、料理の技倆(技量)について好ましからざる印象を与へたに過ぎなかった。琉球人は明らかに、日本人よりもよい生活をしてゐた。」

 肉料理中心に育った欧米人には、淡白で薄味の会席膳は、まったく評価されなかったといえる。おそらく、渋々料理に箸をつけ、すすめられるままに酒の盃を重ねたのだろうと思う。そういえば、私もハワイに駐在したばかりの一ヶ月間は、ステーキやロブスターばかり食べたが、そのうちあっさりした日本食ばかり口にしたくなったものだ。食文化は、このようにはっきりと存在する。まさに「歴史のかげにグルメあり」なのだ。1856_3 (ペリー1856年)

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