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《日本ベンチャー史 零戦から超LSIへ》書評

 岡田幸夫著、《零戦から超LSIへ》(2001年鳥影社刊)を読む。

群馬県太田市にある、いまの富士重工の工場や同大泉町の、三洋電機東京製作所が、かつて日本の航空機産業のパイオニアであった「中島飛行機株式会社」の工場の跡地であった。実際に大田や大泉に行ったことがあるが、現在の工場の敷地も広大である。昨今ではブラジルの日系人も労働者として多数、近辺に在住し、コミュニティさえ出来ている。Zerosen_2

著者は昭和45年(1970)、この大泉の東京三洋電機、半導体事業部に入社した。やがて先輩たちの話から、会社の敷地や建物が、戦前から中島飛行機という日本で最大の航空機生産工場であったことを知る。「ひとつの町であれ、工場であれ、時間を軸にした歴史の因果関係の先に今日が存在する」という認識をもつようになる。つまり今日まで面々と続く歴史がここにあった。そこで著者は自分が「取り組まなければならないひとつの歴史の課題がある」ことに気づく。いいかえれば、岡田自身がプロローグで本書の執筆の意図をつぎのように述べている。

三洋電機に勤務する一社員である著者が、戦前・戦中は飛行機生産工場として、そして戦後は電機工場として、いわば二つの顔をもつ工場の歴史を、それに関する技術開発史、ベンチャー起業史のような意図でまとめたものである。

本書の構成は、中島飛行機、松下電器、三洋電機の創業からの歴史を軸にして、その後の流れを描写する。とくに、中島飛行機の創業者「中島知久平」の生い立ちから、大正末期の中島飛行機の創立、欧米の技術移入から国産化そして昭和の戦前・戦中のトップメーカーとしての同社の存在が、前半の山場となっている。

後半は、電機メーカー大手各社の技術開発や会社としの浮き沈みの歴史を展開していく。恥ずかしい話だが、本書を読むまで三洋電機の創始者・井植歳男が松下幸之助の義理の弟であり、松下を支えていた存在であったことなど、知らなかった。

やはり後半部については、トランジスタ、ラジオ、テレビ、IC、半導体、電卓、パソコン、LSIと、現代では欠かせないキーワードが、たくさん出てくる。おそらく超LSIへ続く起業家たちの大切な業績なのだろうが、あまりにも各種エピソードを詰め込み過ぎの感は否めない。残念ながら、飛行機や松下電器などの創成期の歴史を雄弁に語る前半部とやや饒舌な後半部とでは、読みやすさが違う。極端にいえば、飛行機生産と松下・三洋の部分に特化した歴史でもよかったのではないだろうか。したがって、全体としてはエンジニアや技術系の方々には、当然のように評判がよくても、われわれ素人には、労作ではあるけれど、どうにもわかりにくい本である気がしてならない。

個人的には、私の兄も大手電機メーカーの技術系研究者である。難解な専門書も数冊出版し、学会で発表している。いまでも世界各国を飛び回っている。また東京八王子出身の85歳になる母は、女学校を出てから立川にあった「中島飛行機」の、恐らく出張所で働いていたそうだ。亡き父は、第二次世界大戦に出征し、復員後は進駐軍のいた羽田飛行場(空港)で飛行機や車の整備関係の仕事についていた。本書を読んでいくと、そんな身近な縁を感じ、ある種の親近感で読了できたのかもしれない。

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