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庄内武士の歩んだ糸の道《気節凌霜道はるかなり》書評

 《気節凌霜(きせつりょうそう)道はるかなり》は、前作の《西の西陣 東の桐Photo_2 生》正・続と合せ、岡田幸夫の「織物三部作」と呼ばれる作品だ。(郁朋社刊)サブタイトルに

「庄内武士の歩んだ糸の道」とあるように、庄内(山形県)の武士たちが幕末から明治時代を通して、養蚕にかけた歴史を小説にしたものである。「松ヶ岡開墾場」が舞台である。松ヶ岡には、戊辰戦争に破れ賊軍の汚名を着せられた旧庄内藩士三千名が、広大な原野を開墾し、桑を植え、蚕室を建設し、養蚕業に取り組んでいった史実がある。

 庄内には養蚕のための技術がなかったため、上州の島村(群馬県伊勢崎市)へ実習生を派遣する。養蚕の道具については、島村から職人を呼び寄せる。器械製糸業の導入には、指導を受けるため富岡製糸場から人を招く。さらには欧米への輸出用の羽二重の生産。主人公の庄内藩士・五十嵐文太郎とその次男吉助の生き方を通じて、著者は詳細な時代背景の描写も忘れない。自分たちの利益、私利私欲のためではなく、近代国家建設のために、たゆまぬ努力を重ねていったのだった。武士の魂が生き続けていた。

 開墾の本義は、徳義を基にして不毛の地を開墾、報国のために産業を振興し、賊軍となった国辱をそそぎ、武士の見本、天下の模範となる

そして岡田幸夫は、本書のあとがきで執筆の動機を明らかにする。

養蚕・製糸・織物は、日本人が有史以来かかわってきた主要な産業であった。ほとんど文化といってよい。また、幕末の開国以来、これらの産業がどれだけ日本の近代化に貢献してきたのか、どれほど評価しても過ぎることはないであろう。

また、この本を読んで最大の発見は、西郷隆盛と庄内の結びつきであった。書名の「気節凌霜」とは西郷隆盛が、原野を切り開こうとする旧庄内藩士を元気づける(叱咤激励する)ために贈ったことばに由来する。“気節凌霜天地知(きせつ・りょうそう・てんち・しる)”という。「艱難辛苦(困難)に直面してもそれを凌(しの)ぐ強い心意気・意志があれば、天は見ていますよ。必ず苦労に、こたえてくれるものです」といった意味だろうと思う。詳しくは、本書をぜひ読んでほしい。

庄内に旅をしたことがある。おもに酒田と鶴岡そして湯野浜温泉と温海(あつみ)温泉を訪ねた。「松ヶ岡開墾記念館」や「映画『蝉しぐれ』資料館」も見学した。いまも残る大きな木造の養蚕用の建物が五棟、事務所であった本陣もあった。庄内藩主の末裔・酒井天美(あまみ)さん[酒井家奥方、松岡物産社長]と娘の酒井賀世(かよ)さんに案内していただいた。もしその当時、《気節凌霜道はるかなり》が出版されていて、読むことができていれば、どれだけ歴史の感動に出会えたことか。芋煮汁を肴に酒田の駅前の居酒屋で飲んだ、地酒「初孫」のうまさもきっと倍増していたに違いない。

(写真:松ヶ岡開墾場 鶴岡市観連盟提供)

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