【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その2」
わずかに5日間にわたる《游相日記(ゆうそうにっき)》だが、旅することにしよう。
天保二年(1831)9月20日、江戸麹町半蔵門外(三宅坂)の田原藩上屋敷より、弟子の高木梧庵を連れて相模の国厚木方面への旅に出る。空が急に曇り雨が降ってきたので、蓑笠(雨具)を買う。銀11銭3分。また絵の具の胡粉(ごふん・白)と 朱砂(すさ・赤)を購入。こちらはわずかに1銭。途中、青山に住む俳諧師・太白堂(六世)長谷川孤月先生を訪ね、一緒に店で、酒をいただき昼食をとる。230文。
幾ほどもあらで帰らん旅なれど しばしわかれに袖しほりぬる(梧庵)
【数日ほど帰ってくる旅ではあるけれど、長谷川先生とのしばしの別れに涙で袖が濡れるほどです】と、ほろ酔い気分の弟子の梧庵は、いかにも大袈裟に一句よんだ。
道玄坂で煙管(キセル)を買う。銅銭70文。(崋山もほろ酔いなのか、なぜか帳面いっぱいにこのキセルをスケッチする)
渋谷、目黒、用賀、瀬田、土黒、杉黄、稲秀□、出郭平行四里。有渡、曰二子、
二子宿駅三十武(歩)、又得亭、曰溝口、土白、赤松多、岡多、上下蛇行、笹原、有馬、
小兀山(しょうこつざん)蜿蜒(えんえん)送我行、地勢自與用賀・瀬田殊異、宿荏田。
【渋谷→目黒→用賀→瀬田と行く。土は黒く、杉の樹木は青々と育ち、稲は立派に実っている。江戸の城域を出て平坦な道を4里(約16㎞)、多摩川を渡る。二子の渡しという。また二子宿から30歩ほど、すぐ近くにも宿場があり、溝口(みぞのくち)という。土は白っぽく赤松が多い。丘陵地帯で道は、上り下りで上下に蛇行している。樹木のない小さなハゲ山(小兀山)が延々と見え隠れする。このあたりの土地の様子は、自然と用賀や瀬田の風景とは違ってくる。やがて荏田(えだ)宿に到着。】
荏田升屋喜兵衛といふ方にやとる。主人頗(すこぶる)はいかい(俳諧)を好。
名を一池、號(号)を旭陽とよぶ。
此地は有馬坂下にて、山多田少し。芝増上寺領、代官奥隅忠左衛門とよぶ。産物なし。村は千二百石、戸数二百。
【荏田宿の升屋に泊る。この宿の主人・升屋喜兵衛は、たいそう俳諧を好み、その道では「一池」と名乗り、号は「旭陽」という。このあたりは、有馬の坂下で山が多く田んぼは少ない。芝増上寺が管理する領地で、代官は奥隅忠左衛門といい、とくに有名な産物はない。石高は千二百石、家の戸数は二百戸である。】
江戸から厚木方面へ続く大山街道(矢倉沢往還)の道筋では、江戸を出発した旅人の第一日目の宿場が、「荏田宿」(神奈川県横浜市青葉区荏田町)または、手前の「溝口宿」(神奈川県川崎市高津区溝口)であった。なお、初日にわらじを脱ぐ荏田宿は、江戸から七里、約27.5㎞の距離となる。(游相日記写真:京都大学図書館谷村文庫、イラスト:たろべえ)
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コメント
たろべえさん 渡辺華山とおもってました。崋山・山だんですね。勉強になります。

なかなか面白そうです。
投稿: 通りすがりの旅人 | 2009年1月14日 (水) 15時50分
コメントありがとうございます。渡辺崋山は、最初、絵の号として「華山」としていましたが、思うところあって、35歳頃から「崋山」(山カンムリ)になったそうです。
崋山の旅は、クライマックスの「お銀様」との再会も大変、興味深く感動的です。それから厚木までの道中で出会う人々との交流も見逃せません。準備が出来次第、発表していきます。(さすがに毎日、連載はできません)
投稿: もりたたろべえ | 2009年1月15日 (木) 00時32分