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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その4」②

Kazan6_3 崋山と梧庵は、そして長津田へ。ここでは、旅の出発に際して俳諧師の太白堂に紹介状をいただいた、たばこ屋の萬屋藤七(号は兎来:とらい)を訪ねる。しかしこの主人、たいそう偏屈で、梧庵が太白堂の名をあげても一向に店先に出てこない。どなたかに俳諧を学んだのかと、問われた崋山は、「いや、誰の門下でもなく、私は昔から自分で俳諧の道を歩んでいる」と強く出る。これにはさすがにひるんだ兎来、しぶしぶ二人を店の奥に招き入れ、酒と肴を用意し、句会を始めた。そばを出してくれたが、まずくて食べられたものではなく、麦めしを頼む。これはうまかった。そのうち、近所に住む農夫の松五郎(号は琴松)を呼び、崋山に書画を所望した。

出て鶴間に至る。兎来伝書して長谷川彦八といふ豪農の家に行く。門塀巨大、書を伝ふ。其の家、賓客屏列、飲膳甚だ盛ん也。宿を不乞(乞えず)。角屋伊兵衛、俗にまんぢうやといふ家に宿す。四百三十二銭。

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【鶴間に到着である。長津田の兎来の紹介状をもって、豪農・長谷川彦八の屋敷を訪ねた。巨大な門構えだ。しかし長谷川家は、折りしもたくさんの客があり、何やら大宴会の真っ最中。お泊り交渉は遠慮して、(下鶴間の)角屋、通称「まんじゅうや」に宿泊。宿代は二人432文であった。】

下鶴間宿は、崋山によれば「宿場は粛々(しゅくしゅく)として、わずかに20軒ほどの家々が建つ。まわりは松や竹で覆われている」。大変に世離れした場所だ。

まんじゅうやできくと、宿の主人夫婦は、近在の村で婚儀があり出かけている。だから家には、祖父と孫(娘)たちしかおらず、風呂も沸いていない。たいした食事も用意できないが、よろしければお泊りください、とのことだった。しかし、酒を注文したらよい酒だ。それに夕食もうまかった。

実際に小田急江ノ島線の「鶴間駅」から下鶴間宿へ歩いてみた。20分くらい行くと、大和市の下鶴間である。狭い街道の両脇に大きな農家が立ち並ぶ。山王(日枝)神社の入口に大山道(矢倉沢往還)の石碑が建つ。しばらく行くと、「まんじゅうや」の案内板がある。すご隣は、鶴林寺である。残念ながら崋山が泊った頃の様子は、まったく残っていないのである。

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大和市教育委員会の案内板『渡辺崋山とまんじゅうや(土屋家)』によれば、初代土屋伊兵衛が、開業した旅籠で、まんじゅうも売っていたそうだ。「崋山会報」で游相日記を解説している加藤克己氏によれば、「角屋は瀬沼氏。まんじゅうやは隣の土谷氏。崋山は両家を一軒と書いている。」

ところが、内藤敏男氏によれば、「『角屋伊兵衛』と日記にあるが、崋山は2軒を混同しているようだ。角屋とは西隣の瀬沼義右衛門の屋号、まんじゅう屋は、瀬沼家の屋敷を一部買って、初代土屋伊兵衛が開いた旅籠で、饅頭も商っていた。」(『渡辺崋山と大山道を歩く』)これで謎が解けた。しかし、このあたりに当時の面影はない。Kazan6_4

 

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