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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その5」②

Kazan6_2  (略)その娘のゆけるさきまで打きゝて、いといと喜び、すゝみて細徑をたどり行、誠によはなれたる片いなかにて、都の空もおもひ出られて、何となう物かなしく、ただ木くさの香ひたかく、冷風人をうつ。

【お銀様が生きていることを聞き、喜びが満ちてくる。歩き進んで細い道を行く。ここは俗世間を離れた静かな片田舎だが、江戸の都でのあの頃の青く澄んだ空が思い出され、なんとなくものさびしい気持にさえなる。ただただ、木や草の香りが漂い、秋のさわやかな風が頬を打つ】

  渡辺崋山は、すでに少年の日の、ほのかに憧れた人へ、万感迫る想いである。ニワトリの鳴く声や犬の吠える声が遠くにきこえる。食事時でめしを炊くかまどの煙や麦をたたく音など、都と比べると、のどかな音さえ珍しく、なんだかうれしくなってきた。先を急ぐように小走りになる。村をしばらく行くと、こどもたちが遊んでいる。駆け寄って「幾右衛門さんのお宅はどこかね?」、「清蔵さんの家を知らないかね?」などと、尋ねてみる。「(お銀様の夫の)清蔵さんの家は、すぐそこだよ」。「それならその家を教えてくれるかな」と、こどもに小遣いを渡して道案内をさせることにした。

  022_2 小薗(小園)村には地蔵堂があった。案内する子が、立っていたいが栗頭の男の子を指差し、この子の家が清蔵の子だよ、と教えてくれる。よく見ると鼻から眉毛のあたりが、お銀様に似ている。走って行くその子の後を追う。

  民家の入口に頭に手拭いをかぶった老女がいた。お銀様の姑(しゅうとめ)だろうか、しかし江戸半蔵門外(麹町)、田原藩上屋敷で藩士の子として生また、崋山が彼女と別れてから二十年余り・・・顔を見れば耳の下にイボがあった。まさしく探していた人である。 崋山はいう。私がまだこどもの頃、あなた様には大変可愛がっていただきました。そのご恩に報いるため、厚木まで旅をする途中、まわり道をしてまでここへ訪ねてまいりました。「そのようなことは身に覚えがありません。お殿様はどちらからいらしたのですか。もしや人違いではありませんか」女は、過去の記憶を封印してしまったのだろう。

   ここ相模の国、早川村から江戸の田原藩上屋敷へ奉公にあがった、美しい娘は、やがて藩主のお手がつき、男の子(三宅友信)を産む。しかし自らこの子を育てることはなく、国許へ帰されることになる。そして小園村の農民・大川清蔵の嫁となり、二十五年近くが経った。江戸では、崋山が14、5歳でお銀様が20歳くらいであった。

Photo_3 「あなたのお名前は、なんとおっしゃるのですか」「名は町(まち)と申します」「それでは昔の名前は?」「町です・・・」「お銀といっていたことがあったでしょう?」驚く女は「むかし、江戸にいた時には、(お銀と)名乗っていたこともありました。それでは、あなた様は麹町からいらした(田原藩関係者)の(方)ですか」 老女は、そんなやりとりの中、崋山一行を家の中へと招き入れたのだった。

写真:上/地蔵堂 下/清蔵の家のあった場所・現在はJAさがみの早園支店(いずれも20年12月たろべえ撮影、イラストは渡辺崋山

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