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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その5」

Kazan512 9月22日 下鶴間(神奈川県大和市)→早川村→小園村(綾瀬市小園)

 いよいよ、「お銀様さがしの旅」である。

 鶴間を出づ。此邊(このあたり)も又、桑柘多し。田圃(たんぼ)の間に出れば、雨降山蒼翠、手に取るばかり。蜿蜒(えんえん)して一矚(いっしょく)の中に連なるものは、箱根、足柄、長尾、丹澤、津久井の山々見ゆる。耕夫懇(ねんごろ)に其々と教ふ。4

 【下鶴間宿を出発。桑畑や柘(はりくわ)の木が多い。(このあたりは養蚕が盛んであった。)たんぼの間の道を行けば、世間の信仰の山(大山の)雨降山が青空に映え緑に輝いていて手にとるほど美しい。そして、畑を耕すお百姓さんが、丁ねいに指をさして教えてくれた。一連の山々といえば、箱根、足柄、長尾、丹澤、津久井が見える。】

 そのまま「鶴間原」を行く。「柴胡(しこ)」の花が咲く野原が続いている。(柴胡は薬草でセリ科ミシマサイコ。秋に黄色の小さな花を咲かせ、その根を乾燥させ漢方薬に用いる。解熱作用があり、感冒(カゼ)や肝機能に効く)

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 野原や田んぼを過ぎ、程なくお銀様の出身地早川村である。道すがら、お銀様の父親・早川村の幾右衛門の近況を尋ねる。ある人は「幾右衛門は酒に酔って川に落ちて死んだ」という。またある人は「小園村に幾右衛門の娘は嫁に行き、清蔵というお百姓の妻になった」という。しかしながら、朝夕、炊事の煙が立つだけのさびしい所で、とてもとても(渡辺崋山のような)お殿様がいらっしゃる場所ではございません。お銀様の消息が徐々にわかってきた。崋山は、おそらく胸の高まりを感じたことだろう。

 柏ヶ谷を過ぎ、早川を渡る。幾右衛門の件を尋ねる。「幾右衛門は無類の酒好きの爺さまです。年齢は80近いでしょうか。娘が4人いて、姉は若い頃から江戸へ奉公に出て宮仕えをしていたが、髪に花カンザシを飾り錦の着物を身に着け帰ってきた。まもなく母親が亡くなり、その娘は小園村の清蔵のもとへ嫁に行った。清蔵の家も貧しいが、とてもまじめな働き者で、人のために苦労も惜しまない。他の村へも出かけ、人の世話もいとわない。家は貧しいけれど、出は豪農で北条氏で軍配扇の家紋である」

 これをきいて崋山は、ますます高揚する。お銀様は生きている。うれしいことだ。

(写真/下鶴間:明治4年横浜美術館蔵、ミシマサイコ:みともり花の図鑑より)

Kazan612

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