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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その6」

 Kazan61 お銀様の住む清蔵の家は、いまの神奈川県綾瀬市小園24-1にあった。《游相日記》に登場する小薗(小園)の「地蔵堂」は、崋山が記した略図と同じ場所にる。海老名駅行きの相鉄バス「小園団地入口」バス停前である。ここから少し歩いた所が清蔵の家跡で「JAさがみ早園支店」となっている。周囲には畑と農家が点在している。見渡す限りでは、肥沃な土壌ではない。田舎である。

 さてお銀様は、崋山と弟子の梧庵を家の奥へ招いた。家の中に畳などない、板敷きの間で、客人のために花ムシロ(ゴザ)を敷いてくれた。かの老女、頭にかぶっていた手拭いをとると、見間違えるべくもなく、お銀様その人であった。ただただ涙にむせび、お互いに話す言葉も出てこない。お銀様もようやく崋山を思い出した。

 「まるで夢でも見ているようです。今日、主人は避けられない用事で出掛けており、まだ戻ってまいりません」と、お銀様。続いて「これが次男の幸蔵19歳、娘のもとで11歳、弟の栄次郎8歳、末っ子の留吉3歳」と紹介すると、こどもたち一同、会釈をした。そのうち、厚木まで馬をひいていって帰ってきたのが、長男の清吉22歳でたくましく育っている。

そこで崋山は、土産代わりに小遣いを渡そうと、ふところから路銀(旅費)を取り出す。おそらく主君・巣鴨の老公(三宅友信)からいただいたものだろう。はじめは全額あげようとも思ったが、まだ旅の途中でもあり、帰りには厚木から浦賀方面に回って行く予定もあるため、路銀を半分にして、片方は取っておく。残りの半分を六等分し、4/6はお銀様へ、残りの2/6は父上(幾右衛門)と清蔵に与えた。

 そばがき二椀食す。梧庵は一椀にて止む。酒三盞(せん:盃)かるく飲す。濁酒のどへ通らず。吸いもの、とうふ、たまご、味よろしからず。一箸給へる梅ほしうまし。粟餅壱ツ食う。其人よろこびのあまり、何かと工夫してかくはもてなしけるなり。

 お銀様は、粗末な有りあわせの食材で、工夫をして料理をつくった。崋山はそれでも「そばがき」を2杯、若い弟子の梧庵でさえ1杯と食が進まない。濁酒(どぶろく)もなかなかのどを通らない。お吸い物や豆腐にタマゴと、決してうまいとはいえない。それでも一箸添えてくれた梅ぼしはうまかった。江戸とは違って、たぶん調味料の醤油が精製されていなかったのだろう。それでもお銀様の精一杯の手料理に、崋山は感激したに違いない。

 (略)又行末こし方の物かたりに、なみだ落る事折々なり。我が身の上を語りてはなき、都の空を思ひてはなく。ただけふといふけふ、仏とや云ん、神とや云ん、かゝる御人の草の庵に御尋候はとて、むかしかたりに時移りて、日西にかたふく。(略)

 お銀様は、いままでの楽ではなかった人生を話し始めると、涙がポロポロ落ちる。自分の身の上を語っては泣き、江戸の都の空を思い出しては泣き濡れる。ただ今日という今日は、仏様と言おうか、神様とも言おうか、大切なお方がこのような貧しい草の庵にお訪ねいただき、本当に夢のようです。そんな思い出話をしているとあっという間に時間は過ぎていく。太陽も西に傾いてきた。今後のことなども話をして、家を出た。

 長男が馬をひき、お乗りくださいと、勧めるが、頭陀袋と旅行小箱(かばん)を馬の背に乗せてもらう。いつのまにか村人が総出で見送ってくれた。武陵の真境(桃源郷、別天地)にいるようにすがすがしい気持であった。

※家の中のスケッチだが、左がお銀様の父上・幾右衛門で右が弟子・梧庵。奥の台所で料理を運ぶのがお銀様。崋山は筆をもって手前でスケッチをしている。

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