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2009年1月の23件の記事

ご近所グルメ 浅草《らーめん 一龍》に「味噌味」登場!!

 西浅草のいちおしラーメン店《一龍》に、なんと「みそ」が登場した。もちろんここ《らーめん 一龍》売りは、しょう油らーめんなのだが、塩もチャーシューもなかなかのもの。そこに「味噌味らーめん」である。

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山盛りの刻みネギ、メンマ、もやし、ワカメに極上のチャーシューが入る。スープは当然、ベースの醤油系と同じ「だし」だが、押さえ気味の「味噌」の味だ。700円。もともと丁寧なスープづくりと感じていたが、みそ味もなかなかの出来だ。個人的な好みでいえば、もっと「味噌」が主張してもよいかもしれない。ただサッポロラーメンとは違うのだから、この店独特の「味噌味らーめん」を追求する独自性は評価したい。

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        らーめん 一龍

        東京都台東区西浅草2-25-12

        TEL:03(3841)1149

        火曜日定休に決まった

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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その6」

 Kazan61 お銀様の住む清蔵の家は、いまの神奈川県綾瀬市小園24-1にあった。《游相日記》に登場する小薗(小園)の「地蔵堂」は、崋山が記した略図と同じ場所にる。海老名駅行きの相鉄バス「小園団地入口」バス停前である。ここから少し歩いた所が清蔵の家跡で「JAさがみ早園支店」となっている。周囲には畑と農家が点在している。見渡す限りでは、肥沃な土壌ではない。田舎である。

 さてお銀様は、崋山と弟子の梧庵を家の奥へ招いた。家の中に畳などない、板敷きの間で、客人のために花ムシロ(ゴザ)を敷いてくれた。かの老女、頭にかぶっていた手拭いをとると、見間違えるべくもなく、お銀様その人であった。ただただ涙にむせび、お互いに話す言葉も出てこない。お銀様もようやく崋山を思い出した。

 「まるで夢でも見ているようです。今日、主人は避けられない用事で出掛けており、まだ戻ってまいりません」と、お銀様。続いて「これが次男の幸蔵19歳、娘のもとで11歳、弟の栄次郎8歳、末っ子の留吉3歳」と紹介すると、こどもたち一同、会釈をした。そのうち、厚木まで馬をひいていって帰ってきたのが、長男の清吉22歳でたくましく育っている。

そこで崋山は、土産代わりに小遣いを渡そうと、ふところから路銀(旅費)を取り出す。おそらく主君・巣鴨の老公(三宅友信)からいただいたものだろう。はじめは全額あげようとも思ったが、まだ旅の途中でもあり、帰りには厚木から浦賀方面に回って行く予定もあるため、路銀を半分にして、片方は取っておく。残りの半分を六等分し、4/6はお銀様へ、残りの2/6は父上(幾右衛門)と清蔵に与えた。

 そばがき二椀食す。梧庵は一椀にて止む。酒三盞(せん:盃)かるく飲す。濁酒のどへ通らず。吸いもの、とうふ、たまご、味よろしからず。一箸給へる梅ほしうまし。粟餅壱ツ食う。其人よろこびのあまり、何かと工夫してかくはもてなしけるなり。

 お銀様は、粗末な有りあわせの食材で、工夫をして料理をつくった。崋山はそれでも「そばがき」を2杯、若い弟子の梧庵でさえ1杯と食が進まない。濁酒(どぶろく)もなかなかのどを通らない。お吸い物や豆腐にタマゴと、決してうまいとはいえない。それでも一箸添えてくれた梅ぼしはうまかった。江戸とは違って、たぶん調味料の醤油が精製されていなかったのだろう。それでもお銀様の精一杯の手料理に、崋山は感激したに違いない。

 (略)又行末こし方の物かたりに、なみだ落る事折々なり。我が身の上を語りてはなき、都の空を思ひてはなく。ただけふといふけふ、仏とや云ん、神とや云ん、かゝる御人の草の庵に御尋候はとて、むかしかたりに時移りて、日西にかたふく。(略)

 お銀様は、いままでの楽ではなかった人生を話し始めると、涙がポロポロ落ちる。自分の身の上を語っては泣き、江戸の都の空を思い出しては泣き濡れる。ただ今日という今日は、仏様と言おうか、神様とも言おうか、大切なお方がこのような貧しい草の庵にお訪ねいただき、本当に夢のようです。そんな思い出話をしているとあっという間に時間は過ぎていく。太陽も西に傾いてきた。今後のことなども話をして、家を出た。

 長男が馬をひき、お乗りくださいと、勧めるが、頭陀袋と旅行小箱(かばん)を馬の背に乗せてもらう。いつのまにか村人が総出で見送ってくれた。武陵の真境(桃源郷、別天地)にいるようにすがすがしい気持であった。

※家の中のスケッチだが、左がお銀様の父上・幾右衛門で右が弟子・梧庵。奥の台所で料理を運ぶのがお銀様。崋山は筆をもって手前でスケッチをしている。

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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その5」②

Kazan6_2  (略)その娘のゆけるさきまで打きゝて、いといと喜び、すゝみて細徑をたどり行、誠によはなれたる片いなかにて、都の空もおもひ出られて、何となう物かなしく、ただ木くさの香ひたかく、冷風人をうつ。

【お銀様が生きていることを聞き、喜びが満ちてくる。歩き進んで細い道を行く。ここは俗世間を離れた静かな片田舎だが、江戸の都でのあの頃の青く澄んだ空が思い出され、なんとなくものさびしい気持にさえなる。ただただ、木や草の香りが漂い、秋のさわやかな風が頬を打つ】

  渡辺崋山は、すでに少年の日の、ほのかに憧れた人へ、万感迫る想いである。ニワトリの鳴く声や犬の吠える声が遠くにきこえる。食事時でめしを炊くかまどの煙や麦をたたく音など、都と比べると、のどかな音さえ珍しく、なんだかうれしくなってきた。先を急ぐように小走りになる。村をしばらく行くと、こどもたちが遊んでいる。駆け寄って「幾右衛門さんのお宅はどこかね?」、「清蔵さんの家を知らないかね?」などと、尋ねてみる。「(お銀様の夫の)清蔵さんの家は、すぐそこだよ」。「それならその家を教えてくれるかな」と、こどもに小遣いを渡して道案内をさせることにした。

  022_2 小薗(小園)村には地蔵堂があった。案内する子が、立っていたいが栗頭の男の子を指差し、この子の家が清蔵の子だよ、と教えてくれる。よく見ると鼻から眉毛のあたりが、お銀様に似ている。走って行くその子の後を追う。

  民家の入口に頭に手拭いをかぶった老女がいた。お銀様の姑(しゅうとめ)だろうか、しかし江戸半蔵門外(麹町)、田原藩上屋敷で藩士の子として生また、崋山が彼女と別れてから二十年余り・・・顔を見れば耳の下にイボがあった。まさしく探していた人である。 崋山はいう。私がまだこどもの頃、あなた様には大変可愛がっていただきました。そのご恩に報いるため、厚木まで旅をする途中、まわり道をしてまでここへ訪ねてまいりました。「そのようなことは身に覚えがありません。お殿様はどちらからいらしたのですか。もしや人違いではありませんか」女は、過去の記憶を封印してしまったのだろう。

   ここ相模の国、早川村から江戸の田原藩上屋敷へ奉公にあがった、美しい娘は、やがて藩主のお手がつき、男の子(三宅友信)を産む。しかし自らこの子を育てることはなく、国許へ帰されることになる。そして小園村の農民・大川清蔵の嫁となり、二十五年近くが経った。江戸では、崋山が14、5歳でお銀様が20歳くらいであった。

Photo_3 「あなたのお名前は、なんとおっしゃるのですか」「名は町(まち)と申します」「それでは昔の名前は?」「町です・・・」「お銀といっていたことがあったでしょう?」驚く女は「むかし、江戸にいた時には、(お銀と)名乗っていたこともありました。それでは、あなた様は麹町からいらした(田原藩関係者)の(方)ですか」 老女は、そんなやりとりの中、崋山一行を家の中へと招き入れたのだった。

写真:上/地蔵堂 下/清蔵の家のあった場所・現在はJAさがみの早園支店(いずれも20年12月たろべえ撮影、イラストは渡辺崋山

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ご近所B級グルメ 浅草《ラーメン 山小屋》ここは地下商店街

 地下鉄(東京メトロ)浅草駅に続く「地下商店街」には、ユニークな飲食店やあやしいが魅力的なお店が立ち並ぶ。昭和29年(1954)にできた「浅草地下商店会」だそうで、もう54年もの歴史がある。

 有名なのは、浅草名物ソース焼きそばの《福ちゃん》と立ち喰いそばの《文殊》だ。この2店にはファンが多い。(私もその一人)それからこの地下には、寿司屋、タイ屋台料理、カレー、甘味・おむすびの店もある。散髪屋、マッサージ屋、スピード名刺の印刷屋にディスカウント・ショップもある。占いの館もある。

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 おすすめは《ラーメン 山小屋》。ラーメン屋なのだが、本当は居酒屋だ。夕方から夜の営業が主のようだ。浅草発の東武線の時間待ちに利用する常連が多い。メニューはラーメン類と餃子やお新香、大根煮(おでん)などのつまみがある程度だ。生ビールや焼酎、日本酒もある。全体的には安くておいしい、庶民の味方である。

 さてラーメンである。同様に「中華そば」もある。共に500円。ラーメンも中華そばも澄んだ鶏ガラスープの「東京醤油ラーメン」だ。具材も同じで、やわらかいチャーシュー、メンマ、海苔に刻みネギである。メニューには「中華そば」だけ、「あっさり醤油味」とコメントがある。「ラーメン」は若干、表面に油が浮くが、基本的にはあっさりしている。どちらがうまいかといえば、「中華そば」だった。しかし「ラーメン」も普通にうまい。前者のラーメンのスープには、鶏ガラのほか、豚骨も入っているような気がする。後者の中華そばのスープには、鰹節か煮干など魚介系の風味と香り、甘みを感じた。さてさて真実はいかに?次回、顔なじみになったら大将にきいてみよう。

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■ラーメン 山小屋

■東京都台東区浅草1-1(浅草地下商店街)

■営業時間および定休日 調査中

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ご近所B級グルメ 浅草《五十番》

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 《五十番は、》浅草の馬道通りにある普通のラーメン屋、中華料理屋さんである。特段、特徴はない。誰でも気軽に入れる店だ。おやじさんが昭和に、こだわってつくっているラーメンがうまい。

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 ラーメン500円。鶏ガラスープのあっさり醤油味で、中細麺。メンマにナルト、焼豚に刻みネギの定番具材だけ。表面にラードの油が浮く。本当にどうってことはない。だからうれしい。たかがラーメン、されどラーメンというわけで、1杯だけ頼んでも恥ずかしいことはない。ついでにチャーハンも、オーソドックスでうまい。

 別に有名店ではないので、あえて住所も電話番号も紹介するつもりはない。

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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その5」

Kazan512 9月22日 下鶴間(神奈川県大和市)→早川村→小園村(綾瀬市小園)

 いよいよ、「お銀様さがしの旅」である。

 鶴間を出づ。此邊(このあたり)も又、桑柘多し。田圃(たんぼ)の間に出れば、雨降山蒼翠、手に取るばかり。蜿蜒(えんえん)して一矚(いっしょく)の中に連なるものは、箱根、足柄、長尾、丹澤、津久井の山々見ゆる。耕夫懇(ねんごろ)に其々と教ふ。4

 【下鶴間宿を出発。桑畑や柘(はりくわ)の木が多い。(このあたりは養蚕が盛んであった。)たんぼの間の道を行けば、世間の信仰の山(大山の)雨降山が青空に映え緑に輝いていて手にとるほど美しい。そして、畑を耕すお百姓さんが、丁ねいに指をさして教えてくれた。一連の山々といえば、箱根、足柄、長尾、丹澤、津久井が見える。】

 そのまま「鶴間原」を行く。「柴胡(しこ)」の花が咲く野原が続いている。(柴胡は薬草でセリ科ミシマサイコ。秋に黄色の小さな花を咲かせ、その根を乾燥させ漢方薬に用いる。解熱作用があり、感冒(カゼ)や肝機能に効く)

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 野原や田んぼを過ぎ、程なくお銀様の出身地早川村である。道すがら、お銀様の父親・早川村の幾右衛門の近況を尋ねる。ある人は「幾右衛門は酒に酔って川に落ちて死んだ」という。またある人は「小園村に幾右衛門の娘は嫁に行き、清蔵というお百姓の妻になった」という。しかしながら、朝夕、炊事の煙が立つだけのさびしい所で、とてもとても(渡辺崋山のような)お殿様がいらっしゃる場所ではございません。お銀様の消息が徐々にわかってきた。崋山は、おそらく胸の高まりを感じたことだろう。

 柏ヶ谷を過ぎ、早川を渡る。幾右衛門の件を尋ねる。「幾右衛門は無類の酒好きの爺さまです。年齢は80近いでしょうか。娘が4人いて、姉は若い頃から江戸へ奉公に出て宮仕えをしていたが、髪に花カンザシを飾り錦の着物を身に着け帰ってきた。まもなく母親が亡くなり、その娘は小園村の清蔵のもとへ嫁に行った。清蔵の家も貧しいが、とてもまじめな働き者で、人のために苦労も惜しまない。他の村へも出かけ、人の世話もいとわない。家は貧しいけれど、出は豪農で北条氏で軍配扇の家紋である」

 これをきいて崋山は、ますます高揚する。お銀様は生きている。うれしいことだ。

(写真/下鶴間:明治4年横浜美術館蔵、ミシマサイコ:みともり花の図鑑より)

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特攻隊の町《知覧》へ

 物力で米英にかなわなかった大日本帝国は、精神力のみで戦っていた第二次世界大戦があった。私の亡き父親も従軍した。それだけに印象深いのが、鹿児島県南九州市知覧町にある「特攻平和会館」の見学である。

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 戦況が不利になっていた昭和20年、日本軍は若き兵士を戦闘機に乗せ、片道の燃料と爆弾を積み、敵艦に突っ込む作戦をとった。まさに命懸けの戦いであった。多くの者はアメリカ艦隊からの艦砲射撃で撃墜させられたという。はたしてどのくらいの確立で成功?したのだろうか。(もし特攻作戦が3、4ヶ月遅れていれば終戦になっていた)

 この特攻平和会館の資料によれば、知覧飛行場から出撃し、特攻で戦死した兵士は、1,036柱だそうだ。意味がないことはわかっていながら、死んでいった若者たちの心意気を思うと切なくてならない。もちろん、こういった戦争で命を落としていった人々の歴史の果てに、現在があり、未来が続くのだから、「戦争」そのものを非難しようとは思わない。しかし知覧の町で17から20歳前後そして27、8の若者の母親や妻に宛てた遺書を見ると、二度と同じあやまちを繰り返してはならないと確信する。

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《かごしま黒豚角煮弁当》食べました

 会社の旅行で鹿児島へ行ってきました。見所は数々ありますが、まずは「黒豚」をフュ-チャ-したお弁当の紹介。空港で売っている「空弁」である。久々においしい駅弁、いや空弁を食べた。P1200002_2

 《かごしま黒豚角煮弁当》は、文字通り豚の角煮が満載のお弁当だ。高級ブランドである「かごしま黒豚」を使用し、米は鹿児島産。しかも鹿児島の芋焼酎「さつま若潮」でじっくり煮込んであるそうだ。付合せには、干し大根のつぼ漬もつく。何はともかく角煮だが、やわらかくてジューシーで、いままで味わったことのないうまさだ。確かに鹿児島産のごはん(伊佐米)もおいしい。これで1,100円なら安いほどだ。

 ちょっと気になったのが、空港しか販売しないはずなのに。「温めて食べると一層おいしいです。」の表示だ。もちろんあたためた方がうまいだろうが、賞味期限の限られた弁当を、みやげにしろというつもりだろうか。もう少し配慮をすべきだ。

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           株式会社 萬來 ※鹿児島空港で発売

           鹿児島県志布志市志布志町安楽4623-5

           TEL:099-472-3835

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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その4」②

Kazan6_3 崋山と梧庵は、そして長津田へ。ここでは、旅の出発に際して俳諧師の太白堂に紹介状をいただいた、たばこ屋の萬屋藤七(号は兎来:とらい)を訪ねる。しかしこの主人、たいそう偏屈で、梧庵が太白堂の名をあげても一向に店先に出てこない。どなたかに俳諧を学んだのかと、問われた崋山は、「いや、誰の門下でもなく、私は昔から自分で俳諧の道を歩んでいる」と強く出る。これにはさすがにひるんだ兎来、しぶしぶ二人を店の奥に招き入れ、酒と肴を用意し、句会を始めた。そばを出してくれたが、まずくて食べられたものではなく、麦めしを頼む。これはうまかった。そのうち、近所に住む農夫の松五郎(号は琴松)を呼び、崋山に書画を所望した。

出て鶴間に至る。兎来伝書して長谷川彦八といふ豪農の家に行く。門塀巨大、書を伝ふ。其の家、賓客屏列、飲膳甚だ盛ん也。宿を不乞(乞えず)。角屋伊兵衛、俗にまんぢうやといふ家に宿す。四百三十二銭。

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【鶴間に到着である。長津田の兎来の紹介状をもって、豪農・長谷川彦八の屋敷を訪ねた。巨大な門構えだ。しかし長谷川家は、折りしもたくさんの客があり、何やら大宴会の真っ最中。お泊り交渉は遠慮して、(下鶴間の)角屋、通称「まんじゅうや」に宿泊。宿代は二人432文であった。】

下鶴間宿は、崋山によれば「宿場は粛々(しゅくしゅく)として、わずかに20軒ほどの家々が建つ。まわりは松や竹で覆われている」。大変に世離れした場所だ。

まんじゅうやできくと、宿の主人夫婦は、近在の村で婚儀があり出かけている。だから家には、祖父と孫(娘)たちしかおらず、風呂も沸いていない。たいした食事も用意できないが、よろしければお泊りください、とのことだった。しかし、酒を注文したらよい酒だ。それに夕食もうまかった。

実際に小田急江ノ島線の「鶴間駅」から下鶴間宿へ歩いてみた。20分くらい行くと、大和市の下鶴間である。狭い街道の両脇に大きな農家が立ち並ぶ。山王(日枝)神社の入口に大山道(矢倉沢往還)の石碑が建つ。しばらく行くと、「まんじゅうや」の案内板がある。すご隣は、鶴林寺である。残念ながら崋山が泊った頃の様子は、まったく残っていないのである。

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大和市教育委員会の案内板『渡辺崋山とまんじゅうや(土屋家)』によれば、初代土屋伊兵衛が、開業した旅籠で、まんじゅうも売っていたそうだ。「崋山会報」で游相日記を解説している加藤克己氏によれば、「角屋は瀬沼氏。まんじゅうやは隣の土谷氏。崋山は両家を一軒と書いている。」

ところが、内藤敏男氏によれば、「『角屋伊兵衛』と日記にあるが、崋山は2軒を混同しているようだ。角屋とは西隣の瀬沼義右衛門の屋号、まんじゅう屋は、瀬沼家の屋敷を一部買って、初代土屋伊兵衛が開いた旅籠で、饅頭も商っていた。」(『渡辺崋山と大山道を歩く』)これで謎が解けた。しかし、このあたりに当時の面影はない。Kazan6_4

 

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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その4」①

 Kazan6 崋山と弟子の梧庵は、大山街道・荏田宿の升屋に宿泊。宿の主人にきけば、このあたりには、とくに取り立てて驚くほどの人物はいないそうだ。時折、京都あたりから有名な歌よみ人が来ることもある。(中略)ところで宿泊代は(二人で)460文。(江戸の貨幣価値の換算には諸説あるが、1泊2食付で2人で4,600円と考えた方が無難)

 一池云。頃、狼近き山中に来りすみて、多く犬をとり喰う。夜な夜な往来へ出て人をうかがふとて、行人絶てなし。人家も又、戸さしかたふして出ず。

 

 【宿の主人(一池)がいうには、最近、近くの山の中に住むオオカミが里へ降りてきて、犬を食べる。さらには通りまで出てきて、人間を襲おうとしているため、人通りもなくなり、民家では(安全のため)戸をしっかり閉ざしている】

 どうやら狼が、わがもの顔で闊歩(かっぽ)するくらいだから、自然にあふれている土地であろう。さらにこのあたりでは、また「観音講」といって、馬頭観音を中心に置いて馬の(売り買いの)市が開かれるそうだ。

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9月21日 荏田宿→矢元(横浜市青葉区谷本)→恩田(横浜市青葉区恩田)→長津田

(横浜市緑区長津田)→鶴間(相模原市)→下鶴間(大和市)

 祖母君、母君の御側(かたわら)に侍ると思ふに、耳なれぬ鳥共の囀(さえず)るあり。障子隔てゝ手など拍く。こはいまにと目さむれば、宵にかきちらしたる反故(ほご)の中に枕高う寝たり。はしための雨戸あくれば、日高う、こころよふはれわたりて、きのうこせし山々見ゆる。やがて立出るれば、やがて矢元といふ所に出る。橋あり、銭とりて渡す。もののふはあづからず。恩田茶店にいこふ。柿栗買。銭四十文。

 【旅籠升屋、朝の風景である。自分の祖母や母親のそばにいるような落ち着いた安らかな睡眠中、耳なれない鳥の鳴き声で起きる。障子の向こうで手をたたく音がする。いったいここはどこだ?と目を覚ませば、昨夜、酔っ払って書き散らかした書画、失敗作のゴミの中に枕を高くして寝ていたわけだ。旅籠の女中が雨戸をあけると、もう陽は高く気持よく晴れ渡り、遠くには昨日、越えてきた山々が見える。そして宿を出発、やがて矢元(谷本)という所に到着。川が流れ橋が渡してある。通行料をとるが、武士は無料であった。その後、恩田の茶店で休憩。柿と栗を買い食べる。40文。】

なるほど、秋の風情である。Kazan6_2

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成田空港《ロイヤルキャフェテリア》でもラーメン

 成田空港近くのホテルで会議があり、遅めの昼食は成田空港内のレストランでAp0622 「ラーメンランチ」(880円)を食べた。普通においしかった。

 成田空港は、第2ターミナル本館2階の奥に《ロイヤルキャフェテリア》がある。ここは「スタッフ カフェテリア ROYAL」、「ROYAL Airport Restaurant」など、いろいろな呼び名があるようだが、とにかくロイヤルホスト系のファミリー・レストランの空港バージョンだ。したがって、ハンバーグやカレーライス、各種どんぶりもの、うどん類からスパゲティ、ピザなど、なんでもある。そして「ラーメン」も各種ある。

 ラーメンランチには、小さいごはんと漬物が付く。ランチなんていわずに「ラーメンライス」なのだ。特別ではなく、中細の縮れ麺で鶏ガラスープ。具はメンマ、チャーシュー、ゆで卵半身、海苔、刻みネギである。特別にどのこうの、ではない。期待していなかったのに、おいしかった。

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 これから海外旅行へ出かけようとする日本人の方々や帰国する外国人の姿も多い。街中のロイヤルホストよりは、1割程度値段は高い。しかし、空港勤務者や旅行業関係者の場合は、IDカードを提示すれば、10%引きになる。だから今回は880円のラーメンライスが792円で、しかもサービスでソフトドリンクが付く。(これはID所持者のみ)

        ロイヤル キャフェテリア (喫煙席もたくさんある)

        成田空港

        TEL:0476-34-6150

        営業時間/07:30~21:00

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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その3」

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このやどりに、夜に入り到れり。ざしきは奥の方にふた間ありて、新にもふけたる家なり。我が借かたは殊にきよく心やすし。隣にくさめ(くしゃみ)する人あり。いかにととえば、これも旅人にて、我より先に借りて、燈(ともしび・あかり)のもとにうづくまりたる翁、相州今泉といふ所のものにて、地頭大澤二十郎どのゝ用ありて江戸へ出るなり。今ひとり入来るは、相模の山おくにすめる孫兵衛といふむくつけき男なり。こは秋の半(なかば)より猪と鹿とを打て都へ出すを業とするものなり。所は半原とて、烏山侯の支封なりとぞ。主人酒を買ひ、肴をもふけ、書畫(書画)を乞ふ。酔ひに乗じ、燈のもとに数十枚を揮(ふる)ふ。

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 【(荏田宿升屋という)この旅籠に着いたのは夜になった。座敷(部屋)は奥に二間あり、新築である。通された部屋はことさらきれいで気持ちがよい。隣の部屋には、くしゃみをしている人がいる。気になって襖(ふすま)を開けてみると、先客で灯りのもとにうずくまり横になっている老人がいる。話しかけてみると、相模の国今泉から来た人で、領主大澤氏の用事で江戸へ出る旅の途中とのことだ。もう一人客が到着した。相模の山中に住む孫兵衛という荒々しい男である。この男は、秋も半ば頃から猪や鹿を打って、江戸へ売りに行くことを仕事としている。住んでいる場所は、半原という烏山侯の領地。さて、宿の主人は酒と肴を持参してきて、崋山に書画を依頼してきた。すすめられた酒に興が乗り、行灯の下で数十枚も揮毫した。】

   

 そうこうしていると、猟師の半原の孫兵衛と今泉の(くしゃみの翁)佐右衛門たちも、酒と肴を携えて、崋山に書画を所望してきた。弟子の梧庵も書をつくる。そのうち酒も進み、崋山は酔いがまわってかなりの酩酊状態だが、この二人に句をよんだ。

 今泉の佐右衛門へおくる。(隣の部屋のくしゃみの老人)

 荏田のやどりにて此人に逢ふ。百姓と寝もの語(がたり)や稲の秋

 半原の孫兵衛におくる。(例のイノシシや鹿の猟師)

 いざとはん紅葉(もみじ)のしぐれもる家か

 梧庵も又、

 中ゝ(なかなか)に逢(あい)にけるかな 

あはさらば かくも別れのおしからましを

 酔いに任せて句会が始まった。「なかなか珍しい出会いであるけれど、会えばすぐ、さらばと言わねばならぬ、本当にお名残惜しゅうございます」などと弟子・梧庵は、陳腐に句をよんだ。

(※旅籠升屋の室内図:『日本庶民生活史料集成』第三巻、三一書房刊、「游相日記」P222)Kazan510

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ご近所グルメ 浅草《ラーメン浅草ベスト3》

 浅草のラーメン行脚を続けている。そろそろ、二度目三度目の店もあるので、ここいらで「ベスト3」を決めたい。あくまでも個人的趣味嗜好であって、第三者の読者の方々に押し付けるつもりはない。

☆《あづま》のDXラーメン(800円) うまい醤油

豚バラと鶏ガラで丹念につくったスープ。化学調味料も入る。ここの特徴はなんといっても、1㎝四方のチャーシューの角切りがたっぷり入っていること。中細麺もしっかり醤油味のスープにからむ。メンマの味付けも気にいっている。DXはデラックスの意味である。普通のラーメン(650円)も美味。「純レバ(炒め)丼」という名物もあるが、餃子やチャーハンもうまい。

■東京都台東区浅草1-13-4(すしや通り) TEL:03(3841)2566

もりたたろべえ: ご近所グルメ 浅草《あづま》伝説のDXラーメン

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☆《まるごと北海道浅草駒形橋店》の味噌ラーメン(700円) なつかしの味噌

 とにかくなつかしい伝統的手法の「味噌ラーメン」。麺は毎日、札幌から空輸される王道「西山ラーメン」のタマゴ縮れ麺だ。玉ねぎやもやしは、挽肉と一緒にさっと鍋で炒めて入れる。コーンも載る。甘みさえ感じる「味噌」である。

■東京都台東区雷門2-4-1 TEL:03(5827)0823

もりたたろべえ: ご近所グルメ浅草《札幌みそラーメン》絶対おすすめ!!

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☆【閉店】《らーめん 一龍》の塩らーめん(700円) 新進気鋭の塩味

 最近、ここの店の味と「一生懸命」さに好感を持ち、通いつめている。黒いどんぶりの「塩らーめん」だ。絶妙のやわらかチャーシューもよい。ワカメもやさしい。すりゴマで一味違う。ランチタイムには、ごはん茶碗の小ライスもサービスで付くようになった。店内はイス席が6つという超狭いつくりだが、昼時には行列ができるようになった。いまイチオシの店。

■東京都台東区浅草2-25-12 TEL:03(3841)1149

もりたたろべえ: ご近所グルメ 浅草《一龍》新規開店

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※残念ながら「一龍」は、平成21年4月、閉店してしまいました。

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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その2」

Kazan333 わずかに5日間にわたる《游相日記(ゆうそうにっき)》だが、旅することにしよう。

天保二年(1831)9月20日、江戸麹町半蔵門外(三宅坂)の田原藩上屋敷より、弟子の高木梧庵を連れて相模の国厚木方面への旅に出る。空が急に曇り雨が降ってきたので、蓑笠(雨具)を買う。銀11銭3分。また絵の具の胡粉(ごふん・白)と 朱砂(すさ・赤)を購入。こちらはわずかに1銭。途中、青山に住む俳諧師・太白堂(六世)長谷川孤月先生を訪ね、一緒に店で、酒をいただき昼食をとる。230文。

 幾ほどもあらで帰らん旅なれど しばしわかれに袖しほりぬる(梧庵)

【数日ほど帰ってくる旅ではあるけれど、長谷川先生とのしばしの別れに涙で袖が濡れるほどです】と、ほろ酔い気分の弟子の梧庵は、いかにも大袈裟に一句よんだ。

道玄坂で煙管(キセル)を買う。銅銭70文。(崋山もほろ酔いなのか、なぜか帳面いっぱいにこのキセルをスケッチする)

 渋谷、目黒、用賀、瀬田、土黒、杉黄、稲秀□、出郭平行四里。有渡、曰二子、

二子宿駅三十武(歩)、又得亭、曰溝口、土白、赤松多、岡多、上下蛇行、笹原、有馬、

小兀山(しょうこつざん)蜿蜒(えんえん)送我行、地勢自與用賀・瀬田殊異、宿荏田。

【渋谷→目黒→用賀→瀬田と行く。土は黒く、杉の樹木は青々と育ち、稲は立派に実っている。江戸の城域を出て平坦な道を4里(約16㎞)、多摩川を渡る。二子の渡しという。また二子宿から30歩ほど、すぐ近くにも宿場があり、溝口(みぞのくち)という。土は白っぽく赤松が多い。丘陵地帯で道は、上り下りで上下に蛇行している。樹木のない小さなハゲ山(小兀山)が延々と見え隠れする。このあたりの土地の様子は、自然と用賀や瀬田の風景とは違ってくる。やがて荏田(えだ)宿に到着。】

 荏田升屋喜兵衛といふ方にやとる。主人頗(すこぶる)はいかい(俳諧)を好。

名を一池、號(号)を旭陽とよぶ。

 此地は有馬坂下にて、山多田少し。芝増上寺領、代官奥隅忠左衛門とよぶ。産物なし。村は千二百石、戸数二百。

 【荏田宿の升屋に泊る。この宿の主人・升屋喜兵衛は、たいそう俳諧を好み、その道では「一池」と名乗り、号は「旭陽」という。このあたりは、有馬の坂下で山が多く田んぼは少ない。芝増上寺が管理する領地で、代官は奥隅忠左衛門といい、とくに有名な産物はない。石高は千二百石、家の戸数は二百戸である。】

江戸から厚木方面へ続く大山街道(矢倉沢往還)の道筋では、江戸を出発した旅人の第一日目の宿場が、「荏田宿」(神奈川県横浜市青葉区荏田町)または、手前の「溝口宿」(神奈川県川崎市高津区溝口)であった。なお、初日にわらじを脱ぐ荏田宿は、江戸から七里、約27.5㎞の距離となる。(游相日記写真:京都大学図書館谷村文庫、イラスト:たろべえ)Kazan333_2

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【にっぽん旅の文化史】渡辺崋山《游相日記》を読む「その1」

Kazan5  渡辺崋山(わたなべかざん1793~1841)は、江戸時代後期の画家であり、儒学 者・陽明学者、洋学者即ち思想家であり、三河田原藩の江戸詰め家老(政治家)である。その著作『慎機論(しんきろん)』等で鎖国政策を批判し、「蛮社の獄(ばんしゃの獄)」により、幕府から国許蟄居(ちっきょ)を命ぜられ、最終的には責任をとって自刃した思想家のイメージが強い。

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 この崋山が、藩命を受け、関東近郊を調査、民情視察などの目的で旅したことはあまり知られていない。しかも彼は、その類稀(たぐいまれ)な絵の才能から、旅行中に目にしたことがらを文章に記し、風景・人物などを筆でスケッチして残している。それらは、公式な報告者や意見書と違って、きわめて私的な日記であり、渡辺崋山の「人となり」が正直に表れていて興味深い。まさに旅する文化人の飾り気のない一面を物語る文献である。

 天保二年(1831)9月、門人の高木梧庵を伴い、相州(神奈川県)厚木に旅をした。その時の旅日記が《游相日記(ゆうそうにっき)》である。日記の原本は大正大震災で焼失してしまったが、初期の写真印刷であるコロタイプによって、複製が残されていた。(写真は、京都大学附属図書館所蔵の谷村文庫より)

 この《游相日記》の旅は、藩の側用人であった崋山にとって、公式には「江戸湾周辺の海防事情視察」が目的であったようだが、実はもっと重大な任務があった。

 渡辺崋山は田原藩十一代藩主・三宅備前守康友(やすとも1792~1809)に仕えていた。康友の二男・三宅対馬守康和(やすかず1798~1823)が十二代、その弟・三宅備前守康明(やすてる1800~1827)が十三代を継ぐ。しかし康明が、在任わずか4年で死去すると、子どもがなかったため藩内には後継者問題が勃発。崋山らは十一代康友と侍女(側室)の「お銀様」との間にできた22歳の三宅友信を推した。だが逼迫(ひっぱく)する藩財政を救うため、藩の重鎮らは、持参金付きで播磨姫路藩主酒井家の九男を迎え、十四代三宅土佐守康直(やすなお1811~1893)とする。本来藩主の血筋であった友信は、文政十一年(1828)、隠居の身となり、田原藩下屋敷(文京区小石川植物園近く、通称は巣鴨別邸)に住んだ。崋山は友信のお世話役担当となった。巣鴨別邸に移った三宅友信は、隠居といっても崋山より13、4歳年下で、文芸や蘭学に理解があり、洋書の収集など、崋山のよきパトロンでもあった。この友信も男子を設け、人の親となったことから、世話役の崋山に「実母・お銀様探し」の旅を申しつける。

 このお銀は、田原藩上屋敷に奉公にあがり康友の寵愛を受け、友信を産むが、実家の母親の、急死のため相模の実家に帰り、その後二度と藩邸に戻ることはなかった。当時、小姓として、康友のもとに仕えていた14、5歳の崋山にとっても、お銀様は思い出深い、憧れの人であったに違いない。渡辺崋山39歳、《游相日記》の旅は始まる。

(《游相日記》は「日本庶民生活史料集成第三巻」三一書房刊、1969年による)Kazan5_2

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ご近所グルメ 浅草《萬里楼》で担担麺

 浅草は国際通り、サンル-ト浅草近くの中国料理《萬里楼(まんりろう)》でのランチがおすすめだ。840円の「日替わりランチ」もあるが、やっぱり「担担麺ランチ」。0582 0581

 担担麺に小チャーハン、小鉢(ザーサイ)、杏仁豆腐で980円だ。浅草では、四川ハウスや担担亭の「タンタン麺」がうまいが、ここの担担麺はそれほど辛くはないから一般向け。麺はやわらかめで具材の挽肉の量が多い。チンゲン菜も入る。チャーハンもきちんとつくってある。デザートの自家製杏仁もうまい。高級中国料理ではあるが、ランチタイムはリーゾナブルな値段で楽しめる。

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 《萬里楼》は「北京料理」がメインだそうだ。北京料理は本格的な宮廷料理がそのルーツだから、見た目も美しい。従業員の方々も中国人ばかりだが、日本語もうまく完璧な接客マナーも身につけているから驚きである。田原町駅の方が近い。

    萬里楼

    東京都台東区雷門1-16-4

    TEL:03(3847)7755

    営業時間/11:30~15:00 17:00~22:00

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ご近所散歩 浅草《白浪五人男》をさがせ!!【解説】

Vfsh0563_2 東武浅草駅の北口を背にして左手へ。馬道通りの交差点を渡ると、右の角に惣菜の店「中村屋」がある。この店舗の3階ベランダ、エアコンの室外機の隣に⑤南郷力丸(なんごうりきまる)がいる。

 

 伝法院通りを進み、左側の駐車場の隣、もつ焼き「千代乃家」の屋根にいるのは、③忠信利平(ただのぶりへい)。

 

 さらに仲見世に交差する手前、左側がラーメンの名店「与ろゐ屋」。ここの店舗の屋根にすわるのが、④赤星重三郎(あかぼしじゅうさぶろう)。

 

 

 Vfsh0560_2与ろゐ屋の向かいの呉服屋「仲満」の屋根には、色っぽい②弁天小僧菊之助が、鎮座する。

 ところで五人組の親分は、①日本駄衛門(にっぽんだえもん)。事情があって毎日は出勤しないようだが、伝法院通りの道路に出没する。

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ご近所散歩 浅草《白浪五人男》をさがせ!!マップ

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ご近所散歩 ちょいと浅草《白浪五人男》をさがせ!!

江戸末期から明治に活躍した歌舞伎作家の河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は、浅草寺境内の末寺・正智院に約40年間住んだ。当代人気の劇作家で『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』(白浪五人男)は有名である。江戸の町人文化を描いた作品の中でも代表作とされるのが、日本屈指の盗賊軍団「白浪五人男」である。

 この五人とは、①盗賊の首領・日本駄衛門(にっぽんだえもん)、②女形の弁天小僧菊之助(べんてんこぞう・きくのすけ)、③神出鬼没の忠信利平(ただのぶりへい)、④最年少の赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)、⑤元漁師の船強盗・南郷力丸(なんごうりきまる)である。

 歌舞伎では、この五人が勢揃いし、次々と自己紹介する場面の「名セリフ」が有名だ。0585_3

      日本駄右衛門

問われて名乗るも おこがましいが、産まれは遠州浜松 在、十四の年から親に放れ、身の生業(なりわい)も白浪の、沖を越えたる夜働き、盗みはすれど非道はせず、人に情けを掛川から金谷をかけて宿々で、義賊と噂 高札に、廻る配符の盥(たらい)越し、危ねぇその身の境界も、最早(もはや)四十に人間の、定めは僅か五十年、六十余州に隠れのねぇ、賊徒の首領 日本駄右衛門

②弁天小僧菊之助

さて其の次は江の島の岩本院の児(ちご)上がり、平生(ふだん)着馴れし振袖から、髷(まげ)も島田に由比ケ浜、打ち込む浪にしっぽりと、女に化けた美人局(つつもたせ)、油断のならぬ小娘も小袋坂に身の破れ、悪い浮名も0584_2竜の口(たつのくち)、土の牢へも二度三度、だんだん越える鳥居数、八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書も、島に育って其名さえ、弁天小僧菊之助

③忠信利平

 

続いて次に控えしは、月の武蔵の江戸育ち、幼児(がき)の頃から手癖が悪く、抜け参りからぐれ出して、0586_2旅を稼ぎに西国を廻って首尾も吉野山、まぶな仕事も大峰に足を止めたる奈良の京、碁打(ごうち)と云って寺寺や豪家(ごうか)へ入込み盗んだる、金が御嶽の罪科(つみしな)は、蹴抜(けぬき)の塔の二重三重(ふたえみえ)、重なる悪事に高飛びなし、後を隠せし判官の御名前騙(かた)りの忠信利平

④赤星十三郎0583_2

又その次に連なるは、以前は武家の中小姓、故主の為に切取も、鈍き刃の腰越も砥上ケ原に身の錆を磨ぎ直しても、抜かねる盗み心の深緑(ふかみどり)、柳の都谷七郷(やなぎのみやこ・やしちごう)、花水橋の切取から今牛若と名も高く、忍ぶ姿も人の目に月影ケ谷神輿ケ嶽(みこしがたけ)、今日ぞ命の明け方に消ゆる間近き星月夜 其名も赤星十三郎

⑤南郷力丸0587_2

さてどんじりに控えしは、汐風荒き小ゆるぎの、磯馴の松の曲がりなり、人となったる浜育ち、仁義の道も白川の夜船へ乗込む船盗人、波にきらめく稲妻の白刃に脅す人殺し、背負って立たれぬ罪科は、其身に重き虎ヶ石、悪事千里と云うからはどうで終(しま)いは木の空と、覚悟は予(かね)て鴫立沢(しぎたつさわ)、しかし哀れは身に知らぬ、念仏嫌えな南郷力丸

この白浪五人男が浅草の伝法院通りに出現した。町おこしの一環で「伝法院通り東商店会」が主体だ。面白ので浅草にお越しの節は、さがしてみたらいかがですか。

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ご近所グルメ 浅草《一龍》チャーシュー麺を食す

 最近、西浅草に開店した《らーめん 一龍》を訪問。なにしろこの店には、「(醤油)らーめん」、「塩らーめん」、「又焼(チャーシュー)らーめん」の3種類しかない。お店のスペースも狭いが、味に自信がなければできないことだ。0591_2

 チャーシューらーめんの登場である。スープはあっさりしていてコクのある醤油味だ。美しいチャーシューが7枚も載っている。これがうまい。やわらかい。秘伝のタレにつけこみ、長時間煮る。口に入れるとすぐ溶ける感じだ。決してしつこい味つけではない。具材といえば、メンマ、ワカメに半熟玉子1個に刻みネギである。中細麺もしっくりくる。鶏ガラで丁ねいに「だし」をとり、魚介や野菜でじっくり仕上げたスープは、誰もが気に入るはずだ。それにしても、このスープにピッタリの麺をよくさがしたものである。

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 ところで麺は一般的に小麦粉、グルテン、かんすい、塩でつくられる。玉子を配合する場合もある。水分の多い「多加水麺」は、モチモチ感が味噌ラーメンに合い、水分の少ない「低加水麺」は、コシがあり豚骨ラーメンに相性がよいといわれる。それでは「醤油」と「塩」には、どちらの麺がよいのだろうか。《一龍》の場合は、間違いなく「多加水麺」である。そして麺は冷蔵庫で1日は熟成しているはずだ。

 自家製麺は別にして、浅草周辺には有名な製麺所が多いそうだ。浅草開化楼をはじめ、来集軒製麺所、児玉製麺、林家製麺、タチバナ製麺、黒須商店、まるか商事に向島の朝日製麺などだ。下町のラーメン激戦区を支える職人の腕が生きている。

※《らーめん 一龍》台東区西浅草2-25-12 TEL:03(3841)1149

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ご近所グルメ 浅草《星かわ》とりしおラーメン

 浅草の国際通りを行く。浅草ビューホテルを過ぎ、スーパー「ライフ」の先、たばこ屋の角を左折、ニッポンレンタカーを過ぎ、セブンイレブンの角を入る。赤いラーメン提灯がなければわからないのが《らーめん 星かわ》である。夜しか営業をしないのでビールや焼酎や日本酒も飲める「ラーメン居酒屋」といった方が無難な店。

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 看板メニューは「とりしお(鶏塩)らーめん」だ。630円。岩手産地鶏で丹念にとったスープは透明感がある。これに魚介類系を合わせ「だし」をとるようだ。塩は甘みのあるピンク色の岩塩を使う。表面には「とり油」を浮かせてあるので、すぐには冷めない。あっさりしているが、深いコクがある味である。

 中太の平打ち麺はやわらかく食感がよい。具材は、とりのササミの千切り、海苔三枚、味のよいメンマに刻みネギ。おまけに半熟タマゴだけだ。最初、レンゲで熱いスープをすすると、コラーゲンが溶け出している。かすかに魚介の風味もある。これは間違いなく飲んだ後の「締めのラーメン」に最適だ。

 狭い入口を入った店は、薄暗いうえに決してきれいではない。むしろ汚い。カウンターだけの10席の店内だ。しかし手書きのメニューには、多種類のラーメンが・・・。

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とりしおらーめん630円、しょうゆらーめん570円、みそらーめん680円、焼豚らーめん730円、豆乳らーめん730円、担担麺800円、つけめん730円。このほか、壁に貼ってあるのは、トマト・レタスらーめん750円、焼きらーめん600円、油らーめん600円。

ここの店主(星川さん)は、なかなか研究熱心なようである。「とりしお」は、うまかった。(店内が暗く、フラッシュなしでの撮影のため、写真がブレている)

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        らーめん 星かわ

        東京都台東区西浅草3-27-10(TX 浅草駅から徒歩5分)

        TEL:03(3847)2408

        営業時間/18:00~深夜02:00(日曜定休)

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ご近所グルメ 浅草《与ろゐ屋》冬限定【柚切り塩らーめん】

 お昼時は行列のできる浅草の名店「浅草名代らーめん 与ろゐ屋(よろいや)」。冬季限定で1210日から提供している【柚(ゆず)切り塩らーめん】を食べた。1日50食の限定である。自家製麺だが、柚を練りこんである。750円。

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  澄んだスープは、国産豚のゲンコツ(骨)と大山どりの鶏ガラを基本に、利尻昆布、枕崎のかつを節、千葉九十九里産の煮干、そしてニンジン、玉ねぎ、生姜に青ネギで丹念につくられている。和風である。もともと《与ろゐ屋》では、「らーめん」には柚が、「ざるらーめん(つけ麺)」にはミツバが添えられているが、この限定の【柚(ゆず)切り塩】で使う中細麺には、南アルプス山麓・(山梨県)増穂町産の「柚」が練りこんである。だからやわらかく、フルーティーな風味があっておいしい。

 具材には、肩ロースのチャーシュー(これが抜群に美味)、手をかけたメンマ、みつば、白髪ネギに柚の千切りも入る。絶妙な塩味である。この店がよいのは、ラーメンがうまいだけではない。ご主人のあったかい気持が、揃いの紺のティーシャツを着た従業員に浸透し、お客様を心から迎えてくれる声や姿勢がみられることだ。だから地元にいると何回でも通ってしまうことになる。

※お店のデータは以前の記事を参照ください。

ご近所グルメ《与ろゐ屋》浅草和風ラーメンならここだ!!

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_d47e.html

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謹賀新年《たろべえ今年のスタンス》

 見事に2009年である。昨年はいろいろな人たちとの出会いがあった。

職場の「下町浅草」は、いつも活気に満ちている。そんな地元のラーメンや各種B級グルメを、今年も探訪したいと思う。

さらにライフワークである【にっぽん旅の文化史】をさらにきわめていきたい。江戸時代を中心に、「旅」の歴史や食文化を調べてみたい。

ここまで生きてきた証(あかし)と、さらなる明日への決意を育むために、食べて飲んで、歩いて、読んで、書いていきます。2_2 (イラスト:写真をもとに自作)

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