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特攻隊の町《知覧》へ

 物力で米英にかなわなかった大日本帝国は、精神力のみで戦っていた第二次世界大戦があった。私の亡き父親も従軍した。それだけに印象深いのが、鹿児島県南九州市知覧町にある「特攻平和会館」の見学である。

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 戦況が不利になっていた昭和20年、日本軍は若き兵士を戦闘機に乗せ、片道の燃料と爆弾を積み、敵艦に突っ込む作戦をとった。まさに命懸けの戦いであった。多くの者はアメリカ艦隊からの艦砲射撃で撃墜させられたという。はたしてどのくらいの確立で成功?したのだろうか。(もし特攻作戦が3、4ヶ月遅れていれば終戦になっていた)

 この特攻平和会館の資料によれば、知覧飛行場から出撃し、特攻で戦死した兵士は、1,036柱だそうだ。意味がないことはわかっていながら、死んでいった若者たちの心意気を思うと切なくてならない。もちろん、こういった戦争で命を落としていった人々の歴史の果てに、現在があり、未来が続くのだから、「戦争」そのものを非難しようとは思わない。しかし知覧の町で17から20歳前後そして27、8の若者の母親や妻に宛てた遺書を見ると、二度と同じあやまちを繰り返してはならないと確信する。

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