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會津八一と《日吉館》【その1】

會津八一(あいづやいち・秋艸道人しゅうそうどうじん1881~1956)は、奈良をこよなく愛した歌人であり、書家であり、美術史家であった。八一の奈良での定宿が、私にとっても忘れられない《日吉館(ひよしかん)》であった。

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八一は、明治14年(1881)、新潟市に生まれ、同39年(1906)、早稲田大学英文学科を卒業。故郷で英語教師をつとめ、後に早稲田中学の教員、さらに早大英文学科の講師となる。その頃から古都奈良への思い入れが深く、大正10年から常宿として日吉館に宿泊。大正14年には早大付属高等学院の教授、さらに昭和元年(1926)には早大文学部で東洋美術史の講座を担当する。昭和13年(1938)、早大文学部哲学科の芸術学専攻主任教授になる。まさに奈良の仏像や寺社の美術史的研究をはじめ、度々の古都への旅行で多くの歌を詠んだ。昭和31年(1956)、76歳で亡くなるまで、学問と趣味に生きた人物といってよい。

そんな八一が、晩年(73歳)、自分の歌集『鹿鳴集(ろくめいしゅう)』に、自ら解説と注釈をつけた『自註鹿鳴集』を出した。この中に《日吉館》が登場する。

奈良の宿にて

をじか なく ふるき みやこ の さむき よ を

いへ は おもはず いにしへ おもふ に

奈良の宿 作者(八一)は明治41年(1908)の第一遊には、東大寺転害門外の「対山楼」といふに宿れりしも、その後は登大路町の「日吉館」を常宿とす。

 【牡鹿鳴く古き都の寒き夜を 家(故郷)は思わず 古(いにしえ)思う】

 漢字に書き換えてみると、意味はわかりやすいが、會津八一独特のやさしいリズムと少し離れてしまう気がする。さて、私の学生の頃(昭和50年代)確かに日吉館に泊っていると、すぐ裏の庭まで奈良公園の鹿が入ってきた。角を生やした牡鹿が、鳴くのもきいたことがある。八一の時代から80年近くも、日吉館の歴史は止っていたのだろうか。

 ここで私の大好きな八一の一首を紹介する。薬師寺東塔を詠んだ一首だ。

すゐえんの あまつおとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな

(水煙のあまつ乙女が、衣での 暇にも住める 秋の空かな)

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 東塔の最上部に「水煙(すいえん)」がある。そこには、天女が衣を着て舞う姿が彫刻されている。まるで秋の真っ青な空に、住んでいるかのようにすがすがしく舞い踊る姿が美しい。そんな情景である。

(イラスト:たろべえ 写真:薬師寺東塔by flicr)

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