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會津八一と《日吉館》【その2】

會津八一(あいづやいち1881~1956)は、奈良をこよなく愛し、常宿の日吉館(ひよしかん)》のご主人に自作の和歌を贈っている。

おほてらの まろきはしらの つきかけを 

つちに ふみつつ ものをこそ おもへ (秋艸道人しゅうそうどうじん)

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 実際には唐招提寺で詠んだ歌である。おそらく秋の夜、大きな寺で月の光を見て、心をうごかされた情景だろう。

さて、會津八一と《日吉館》といえば、やはり日吉館の看板を抜きには語れない。屋根の上にあった横書きのものと、入口にあった縦書きの看板は、八一の書である。私が日吉館に通っていた頃でも、まだまだ木の看板が大手を振って飾ってあった。

昭和4年、八一はこの看板の元になる書を認(したた)めた。日吉館の文字を揮毫するにあたり、三日がかりで、30枚近く書き損じた。墨も三合あまり使った。彫刻師には、勝手に大きさを変えず、八一の書をそのままの大きさで彫らせるように指示を出している。このときの(右からの)横書きの「日吉館」が玄関上の屋根に置かれ、「ひよし館」と平仮名で書かれた縦書きの看板は、入口に向かって右側に飾られた。私が泊っていたのは、昭和50年代だから、これら木製の看板がつくられてから50年近くもたっていたことになる。

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看板の文字には、最初白いとのこが埋められたいたようだが、長い年月、風雨に耐えたためか、白い色か消えていた。現在では、この横看板は早稲田大学に保存されている。

(参考:『奈良の宿・日吉館』太田博太郎編、講談社、日吉館前の八一の写真も同書より)

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