《すし屋の常識・非常識》書評
『書を捨てよ、町に出よう』(寺山修司)という本があったが、この《すし屋の常識・非常識》は、読んでから「すし屋」に行くには最高の参考書である。(朝日新書、重金敦之著、朝日新聞出版2009年2月)
単なるウンチク本ではなく、すし屋の社会学、すし職人と客にまつわる社会心理学の名著だと思う。この本のエッセンスは、新書につく帯を見れば、おおかた見当がつく。
薀蓄(うんちく)はあるが邪魔にならない
情報はあるがおぼれることはない
店の名前はあるがガイドではない
カウンターで対決する職人の「プライド」とお客の「わがまま」
無性に「すし」が食べたくなる
古風で伝統的なすしに固執するつもりはないが、いま流行の「なんでもあり」の
すしニューウエーブには、一抹の寂しさを感じる。
志賀直哉から、向田邦子、俵万智まで「すし文学誌」をひもときながら、江戸前ずしの来し方行く末を、すしだねの旬とともに追いかけてみたい。
「すし空間」を引き立てる客と職人の「会話術」
すしというのは不思議な食べ物だ。祝儀・不祝儀、老若男女、上戸・下戸の別を問わない。この日本人のソウルフードが、今や「SUSHI」として世界を席巻している。
すしを食べるとき、知っておくと楽しい「ちょっとおいしい話」。
構成は、つぎのようになっている。
第一章 すし屋がたどって来た道
第二章 すしだねの四季
第三章 すし屋のプライドとお客のわがまま
第四章 すし屋は何処へ行く
第一章では、江戸前すしの歴史をたどりながら現代の「すし屋」を分析する。そもそも「屋台」で始まった「すし」は、堅苦しいマナーにとらわれない気ままな雰囲気が魅力のはずだ。それがいつのまにか、日本料理の板前割烹のようになり、茶碗蒸しや煮魚、焼き魚、吸い物をだすようになった。和食の会席コースを食べ、締めに、握りずしを5、6貫つまむというスタイルになりつつある。しかも現在では、著者がいうところの「なんでもあり」になった。すし屋の「しきたり、伝統、習慣、約束事、常識といったものはみんなどこかへ飛んでいってしまった」ようだ。
どうしてもすしの高級店であれば、一人15,000円や20,000円は覚悟する必要がある。だから、すし屋でさりげなく振る舞うのは、結構難しい。いつかはすし屋のカウンターに座って、「お好み」で食べるのが夢、と思い続けていた人も多いはずだ。実際には、値段が明示された「お任せ」が登場。酒の肴と握りをセットにしたメニューである。
まったく著者の言うとおりで、私などいまだに接待以外で「お好み」のすしを味得あった経験がない。もっぱらセットメニューの「お任せ」である。気楽に味わえる。
第二章では、気持よくさらっと、すしの旬を閲覧できる。マグロ、初ガツオ、コハダ、白身魚、貝類、イカ、アナゴ・シャコ、ウニ、(海苔、しゃり、ワサビ)など、この部分は、豊富な経験によるウンチクにあふれていて、大変参考になる。
本書で圧巻なのは、やはり第三章である。すし屋職人と客の心理を細かく描写し、「心理学」的に分析する。“どんな順序に(すしを)食べるのか”という記述は、とても興味深い。
握りずしの華であるマグロから食べるべきだ、と主張する人も多い。(略)いや、締めたコハダから始めて、白身、貝をはさんで、マグロ、アナゴへいくべきだ、という人もいる。これも魅力的だ。だいたいのすし屋は「お客さんのお好きなようにたべればよいのです」という。(略)淡白な白身の魚から始めて、コハダやアジ、カスゴなど、酢で締めたものに移り、マグロを流れの中心に持っていくのもいい。(略)マグロをトップバッターに置くか、四番打者にするかのいずれかだろう。
アナゴのような濃厚で甘いたねを一番打者に起用する人はあまりいないはずだ。アナゴは締めのご飯の位置に置くのが適所かもしれない。最後に、「かんぴょう巻き」か「カッパ巻き」に玉子焼きを頼む人が目につく。
著者は、要するにお客がお金を払って食べるのだから、好きなような順序で食べればよいと結論する。あたり前の話だが、すし屋でその日、最良のバッティング・オーダーを組むのは、結構至難の技である。
第四章の「すし屋は何処へ行く」では、昨今のミシュランガイド東京版での、すし屋の格付けについての描写がおもしろい。星が付いた店に予約が殺到し、ひと月もふた月も先でないと予約が取れなくなった。だいたい2ヶ月先にすしを食べる予定など、立てるのもおかしい。フランスの三ツ星レストランといえば世界中からお客が集まる。石油産出国の富裕層や王侯貴族、新興国の政府関係者、国際企業の経営者などが外交や商用などに使用する。
そこで日本のすし屋は、ミシュランでランク付するレストランとはいえない。本来のすし屋は、カウンター席に一人で行くものだ。本質的に商談、接待には向かない所なのだ。これは同感。著者にいわせれば、すし屋は「課長が部下を引き連れて説教を垂れるところではない」し、「幼児を連れてくるところでもない」そうだ。
しかもすし屋は、客と主人が向かい合うパーソナル・コミュニケーションの形態である。また初めて入った店で味わう客の心理について、つぎのように記述されている。
お客同士が知り合いで、初めての客をいかにも闖入者(ちんにゅうしゃ)という目で見る。そんな店は、やはり店主のお客への教育が足りないのだろう。(略)常連と初めてのお客とを区別しないのが、すぐれたすし職人ということで、職人の人柄も味のうちに含まれているのだ。
まったくとの通りである。これからすし屋に行く前に読んでほしい良書だ。






































































































































































最近のコメント