著者の半藤一利(はんどう かずとし)について、同書から一部を引用する。
“1930年東京向島生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋に入社。「週間文春」「文藝春秋」編集長、取締役などを経て作家。”
文芸に造詣が深く、自分の生きてきた昭和史を証人の目で綴るエッセイは、至極である。実は半藤の『幕末史』を読み始めたところだが、今回は《隅田川の向う側》-私の昭和史(2009年3月、創元社刊、1,500円税別)を紹介する。
第一章 隅田川の向う側
第二章 わが雪国の春
第三章 隅田川の上で
第四章 観音堂の鬼瓦
書名にもなっているが、第一章の「隅田川の向う側」の主題は、半藤が1930(昭和5)
年に「浅草側」から見て「隅田川の向う側」の向島に生まれ、多感な少年時代を過ごし、昭和20年の東京大空襲で焼け出されるまでの自伝的な随筆になっている。別にどこから読んでも構わないのだが、最初は向島の大スター・世界の王貞治少年も登場する。それから「長命寺の桜もち」や「三囲神社」については、地に足がつくシュールな描写だ。
なるほど、われわれよりも世代が上だと痛感するのは、昭和20年3月の空襲の記述。著者は、大変な時代を生き抜いてきたのに、さらっと戦争の空しさを書く。
第二章では、焼け出されて疎開した新潟の長岡での旧制中学の時代。山本五十六、上杉謙信、小林一茶(貞心尼)もモチーフとなっている。新潟出身の会津八一も出てくる。私も敬愛する歌人だが、“おほてらの もろき はしらの つきかげを つちに ふみつつ ものをこそおもへ”の句まで、取り上げてあり、うれしい限りだ。
著者は、長岡から旧制浦和高校、東大へと進むが、ボート部に所属し、隅田川で学生生活を送る。これが第三章の「隅田川の上で」となる。昭和26年頃までの話だ。
第四章は、27年から29年(1954)までの「浅草」界隈を主題としている。社会に出て、生まれ育った川向うを見る。大人の生活の基盤は、「浅草」になっている。当時の老舗の数々や仲見世の土産屋の紹介もあるが、とくに感心した箇所を引用したい。
浅草生まれの女優サン沢村貞子さんがうまいことをいっている。浅草のよさは春の淡雪みたいな気がすると。
「ここがいいんですよって手のひらにのせてみると、溶けちゃうんですね。だって人の情でしょう。情っていうものは、そうやって見せるもんじゃない」
なんだが、ずいぶん「いい話」に出会った気がした。おもしろいエッセイである。
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