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ご近所散歩 ちょいと浅草《浅草寺 旧五重塔跡》

 以前、このブログで浅草寺の五重塔を取り上げた。

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ご近所散歩 ちょいと浅草《浅草寺 五重塔》の謎

《浅草寺の五重塔》だが、創建は天慶〔てんぎょう〕五年(942年)といわれている。その後、何度か炎上し、江戸時代の慶安元年(1648)、三代将軍・徳川家光によって再建された。しかし、この「慶安五重塔」は、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で惜しくも焼け落ちてしまった。現在の五重塔は、昭和48年(1973)に建てられたものである。これを「昭和五重塔」という。

 実は「慶安五重塔」と「昭和五重塔」とでは建っている場所が違う。雷門から仲見世を抜けた宝蔵門(仁王門)と本堂(観音堂)を結ぶ直線を軸とすると、現在の「昭和五重塔」は、本堂に向かって左側、西南の位置にあり、かつての「慶安五重塔」は、向かって右側の東南方向にあったそうだ。この五重塔の位置関係は、まさに軸を中心に対称(シンメトリー)にある。

 江戸時代の「慶安五重塔」は、木造で高さが33.18m。広重の「名所江戸百景」に描かれた冬の雪景色の浅草寺にも、しっかりと右側に五重塔がある。「昭和五重塔」は、戦災による焼失から28年後、再建されたが、鉄骨、鉄筋コンクリート造りとなり、高さも48.32mと高くなった。塔の最上層には、スリランカから贈られた仏舎利(聖仏舎利)が納められていることは有名だ。しかし、防災上の問題であろうが、木造にして再建されなかったのは悔やまれる。 

 さて参道の東南方向、宝蔵門から本堂に向かって右側に、なんと「慶安五重塔」の位置を示す、御影石のプレートがはめ込まれている。15cm四方の小さなものだが、「塔」と刻まれている。なんとなくロマンを感じる。梅原猛先生の著作にも『塔』という作品があったなんて、思い出す。それはさておき、なぜ江戸時代の場所に再建されなかったのであろうか。謎である。どなたかご存知の御仁がいれば、ご教示願いたいものだ。

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実は6月になって「塔」という礎石が撤去され、《旧五重塔跡》の碑が建った。たまたま写真を撮っていたら、地元の史跡研究会の方々が講師の先生の先導で来ていた。

なんと以前の塔と反対側に再建された理由は、「万一火災になった場合、近隣の住居に類焼するのを避けるために、敷地に余裕のある反対側、つまり本堂に向かって左側に建てられた」そうである。これは新鮮な発見だった。

(上:浮世絵、昇旭斎国輝)

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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

ほー!お勉強になります そんな深い訳があるんですね!そんな目印探せたら好いですね♪

投稿: いっくん | 2009年6月22日 (月) 20時24分

いっくんbeer
五重塔の秘密に迫る、という感じですね。
浅草はおもしろい所がたくさんあります。

投稿: もりたたろべえ | 2009年6月23日 (火) 16時51分

こんばんわ。
私が地元の人に聞いた話では、大きい声じゃ言えませんが・・・という話でした。戦災の後は多くの人たちが住む場所を失い浅草寺に集まったそうです。そしてこの敷地に沢山の仮設住宅が建てられて、今の場所はほとんど家を失った人達の仮の宿になっていたそうです。その後撤退させるまで時間がかかったと聞きました。元の場所に作れなかったのはその為だと聞きました。

投稿: わたし | 2009年7月 3日 (金) 23時51分

わたしさん、コメントありがとうございます。
戦後の浅草寺境内に「不法占拠」のバラックが多数あった話は、きいたことがあります。なるほどと、思いました。こういった理由なら記録にも残りにくいですね。納得です。

投稿: もりたたろべえ | 2009年7月 4日 (土) 08時02分

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