ご近所散歩 ちょいと浅草《浅草寺 五重塔》の謎(その後)
慶安元年(1648)、三代将軍・徳川家光によって再建された「五重塔」は、元禄五年(1692)・享保四年(1719)・明治十九年(1886)の修復を経て、明治四十四年(1911)に国宝の指定を受けていた。しかし残念なことに太平洋戦争の戦火により、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で、他の本堂・仁王門などの伽藍とともに惜しくも焼失してしまった。(浅草寺史より)
焼失した「旧国宝五重塔」は、それまでの本堂の東南の場所(本堂に向かって右側)ではなく、対称的な西南(本堂に向かって左側)の場所に、昭和四十八年(1973)、11月再建された。鉄筋コンクリート製で高さも以前より高くなった。なぜ、これまでとは反対側に五重塔が再建されたのか、このブログでも取り上げてきた。
最近、地元の方からコメントの送信もあり、さらに浅草周辺で聞き込みをおこなってみた。結論からいえば、やはり昭和20年3月の大空襲で住む家を失った戦災者や浮浪者たちが、広大な敷地であった浅草寺境内に入り込み、バラックを建てて住みついてしまったため、浅草寺側もなかなか強硬手段に出ることができず、結果として、本堂に向かって右側には「不法占拠」のバラックがあり、立ち退かなかったため、再建場所を移動したようだ。仕方がないことだったかもしれない。
昭和史を撮ってきた写真家・石川光陽氏(1904~1989)の作品にも『浅草寺境内のバラック』(昭和23年)がある。文章が添えられ、「焼け出されて家族も行き場もなくした人々が、浅草寺の境内にまであちこちにバラックを建てて暮らしていた」とある。
(写真は昭和館蔵)
浅草の昔を知る古老にきくと、昭和50年頃まで、浅草寺のまわりの公園にも勝手にバラックを建てて生活している人もいたそうだ。中には境内で靴屋や中古衣類を売る古着屋の仮設店舗をつくり、商売をやっていた人もいたそうだ。さらに、旧五重塔の敷地付近は、○○という右翼系の方が住みつき、居住権をタテに居座っていたそうだ。戦後の混乱は、たったいまから30年から35年前まで存在していたということである。
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コメント
なるほど!そうですよね〜でなければ同じ場所に建つべきですからね ありがとうございますヾ(^▽^)ノ
投稿: いっくん | 2009年7月 5日 (日) 19時18分