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【にっぽん海外交流史】日本初サムライの英語教師《マクドナルド》

 幕末の黒船来訪時、江戸時代の唯一の海外窓口であった長崎に配置された通詞(通訳)がいた。当時は日本とアメリカの交渉事では「オランダ語」が共通語であった。日本→オランダ語→英語、英語→オランダ語→日本といった複雑な翻訳システムであった。しかしペリーが二度目に浦賀に現れた時点では、日本語と英語で直接的に交渉することができた。その時活躍したのが、森山栄之助である。長く続いた鎖国の中で、森山はどのようにして「英会話」を学ぶことができたのだろうか。調べてみると日本の英語史・英語教育史には、驚くべき事実があった。

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 実は長崎にいた森山は、ネイティブ・アメリカンのラナルド・マクドナルドRanald MacDonald)から直接、英会話を学んでいた。マクドナルドには『日本回想記』という書物がある。“Japan, Story of Adventure of Ranald MacDoanald, First Teacher of English in Japan”が原題である。マクドナルドは嘉永元年(1848)、日本近海で操業していた捕鯨船の乗組員であったが、密かに北海道の焼尻島から利尻島に渡り、身柄を拘束される。幕府によって、利尻島、宗谷、松前と送られ、最終的には長崎に送還。長崎では監禁生活を強いられた。

 利尻に漂着後の約十カ月、長崎に拘留された約七カ月の間、江戸時代の唯一の海外窓口であった長崎に配置された通詞に英語を教えた史実があった。マクドナルド自身の回想によれば、彼の教え子となった通詞は、14名いた。通詞たちは、それまで書物でしか知らなかった英語をマクドナルドの前で、音読する。発音のおかしいい個所があれば訂正してもらう。当時の「英語」は、いうまでもなくオランダ人から教えられたオランダ訛りのものであったようだ。したがって生きた英語に接する機会が、マクドナルドであった。

 その後、サムライ達に日本で初めて英語を教えたマクドナルドは、長崎からアメリカ船で送還され、紆余曲折を経て、アメリカへ帰る。別れる際、彼は「SAYONARA MY DEAR SAYONARA」と語ったそうだ。(さようなら 私の親愛なる仲間たちよ さようなら)あまり歴史の表舞台には登場しないが、心あたたまる英語教師がいたのだ。

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(参考:マクドナルド『日本回想記』、刀水書房)

 また、森山栄之助については、次の機会に紹介したいと思う。

※10月24日、マクドナルドの利尻島上陸や滞在期間を訂正しました。

※学会の定説で読み方は「ラナルド・マクドナルド」です。

 

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コメント

記事、面白く拝見致しました。自分は利尻島の出身ですが、ドナウド・マクドナルドが最初に日本上陸を果たしたのは、利尻島の野塚という所だと記憶しておりますが、どうなんでしょう。

投稿: idaken | 2009年10月22日 (木) 00時10分

idakenさんbeer
 コメントありがとうございます。「日本回想記」を読みますと、マクドナルドの行動がわかります。

 彼は「増毛」沖で米国捕鯨船から離れ、天売島を通過し「焼尻島」の西南海岸に上陸します。しかし島にあがったものの、無人島であったようでボートに戻って泊まります。その後、ボートで北へ向かい、ボートを転覆させアイヌ人に救助されます。漂流を装うためであったようです。

 そして「利尻島」の野塚に上陸。番屋に収容されました。番屋から島内の本泊へ移され、取り調べを受けたようです。

投稿: もりたたろべえ | 2009年10月22日 (木) 22時57分

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