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【にっぽん 海外交流史】スフィンクス前、武士の集合写真

 嘉永六年(1853)のアメリカ使節ペリーの来訪、日米和親条約調印、日米修好通商条約調印と幕末から維新まで激動の日本。幕府はこの時期、アメリカやヨーロッパ、ロシア等列強国に使節団を送った。そんな中、攘夷派のほこさきをかわすため、横浜港を閉鎖(鎖港)する目的でフランスをはじめ、西欧諸国との交渉を目的に、1863年、「遣仏使節 池田筑後守一行」が派遣された。

 この使節団は交渉に失敗し結果を出せず、フランスとの外交交渉のみで帰国したため、ほとんど日本の歴史ではふれられることはない。しかし、旅の途中で立ち寄ったエジプトのギザのピラミッド、スフィンクス前で撮影された武士たちの集合写真は、実に興味深いものである。

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 使節団一行は、35名。行程はつぎのとおりであった。

文久三年(1863)12月27日、使節団江戸出発、12月29日出航。翌1864年1月6日上海着、7日上陸、1月14日フランス郵船ヘーダスプ号にて上海出帆、1月17日香港着、アルフェー号に乗り換え、18日香港上陸、19日香港出帆。1月23日(仏領)サイゴン着、上陸、25日出帆、26日シンガポール着、上陸、27日出帆、2月3日セイロン島着、上陸、2月12日アデン着、13日上陸、19日スエズ上陸。汽車にてカイロへ。

2月28日ピラミッド見物。スフィンクス前。3月1日国王の招宴。3月3日アレキサンドリア着、4日仏汽船ペルリン号にて出帆、10日マルセーユ着。ホテルドマルセーユ宿泊。11日市長訪問、博物館・公園見物。12日マルセーユ出発。13日パリ着、グランドホテル宿泊。3月20日外務省外相訪問。4月9日交渉。5月17日・20日パリ発、マルセーユへ。26日英船に乗船、27日出帆、6月3日アレキサンドリア着、英船にて、7月18日横浜着。

 スフィンクスを見て、当時の武士の記録。

「石造の大像あり、顔面より乳上まで現れ、以下は土中埋没す、面闊(ひろ)く方五尺程、又此辺土砂中より銅石造りの古仏、銭幣など往々に拾ひ取るものある由なり。思ふに古代の大梵刹の跡なるべし。(欧行記)

※尾佐竹猛著、『幕末遣外使節物語』講談社学術文庫より

※写真:「スフィンクス前の武士たち」他、エジプト大使館観光局

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 いまから140年以上前のスフィンクスは、胸の上までしか地上に出ていなかった。実際に添乗員でエジプトに行く機会があったが、いまは発掘も進み、足の部分まで現れている。周辺の道も整備され、砂漠地帯はほんの少しだ。ピラミッドやスフィンクスのすぐ近くに駐車場や土産屋がたくさんあることは、訪れてみなければわからない。

(参考:別冊歴史読本『世界を見た幕末維新の英雄たち』新人物往来社刊)

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コメント

たろべいさん、勉強されてますね。
面白い記事でした。
鎖国体制の維持の為の外国視察ですか。
メンバーも解ると面白いですね。

投稿: いさりび岡ちゃん | 2009年10月29日 (木) 11時30分

いさりび岡ちゃんbottlebottle
コメントありがとうございます。
遣米使節団、欧欧使節団等の参加者もすべてわかりますが、そこまで書くとどうしてもブログでは饒舌になりますので控えております。ネットで検索くださいませ。

 幕末のこの頃は、もはや鎖国体制の維持は困難になり、開国に向かってまっしぐらの状況にあったようです。それでも尊王攘夷派の動きも激しく、幕府はかなりびびっていたのですね。この遣仏使節団も最初から「横浜鎖港」交渉を目的に派遣されましたが、無理なことはわかっていたようです。

投稿: もりたたろべえ | 2009年10月29日 (木) 12時26分

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