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《ある明治女性の世界一周日記-日本初の海外団体旅行-》を読む【その3】

 主人公・野村みちの含蓄ある記述を続けて紹介する。

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○青年諸君、故国に執着せず、海外に出よ

 “ああ、本国の青年よ。あなたたちは少し学問をかじると労働を卑賤(ひせん:人として品位が低い)の業と考えます。労働をいとわない人がいても、相変わらず故国に執着します。学問の素養がある人間こそ結局は永遠の成功者となれるのに、そのことを知らずに狭苦しい日本であくせくし、むなしく生活難を嘆いています。実に愚かの極みではないでしょうか。天は限りなく高く、地は広いものです。「人間至る所青山あり」、男子たるものこの心意気あってこそ成功できるのです・・・!”

 明治の女性とは思えない発言だ。実に進歩的。こせこせした日本にいて、うじうじするなら、広い世界へ飛び出すことも方法論としては理解できるところである。だがしかし現実のきびしさが、また青年の前途に重くのしかかってくるのも現実なのだが・・・。

○アメリカの「台所の清潔さ」に思う

 アメリカで個人の邸宅(スポルディング氏)に招かれたとき

“応接間、居間、食堂などどこも美しいのですが、ことに台所です。整然として掃除が

行き届き、塵一つありません。一家の主婦の人となりがしのばれる清潔さです。(略)毎日油ものを扱っているとは思えない清潔さがあります。これでこそ料理を快く味わえるものです。”

 もちろん当時の日本では、アメリカのように蛇口をひねればお湯が出ることはなかったため、すぐに真似することはできないとわかっている。だが将来的には、日本もアメリカ同様に設備も整い、台所も改善されるべきだとみちは述べている。なるほど主婦の観察眼である。

○西洋美術と裸体

 “アメリカ以来どの博物館や美術館の油絵も彫刻も、裸体を描いていないものはありません。初めのうちこそ、女性の身で裸体を直視するのは少々辛いものがありましたが、慣れてくるとそれほど違和感がなくなって、今では「実にいい作品だわ」と仔細に見入ることさえあります。(略)我が国で裸体の絵画や彫刻についてとかく議論があるのは、そうしたものを今まで見慣れていないせいですから、咎めるべきことではありません。(略)風俗教化の上では、裸体の美術品よりも、胸をはだけて歩いている人のほうがずっと害が大きいでしょう。”

 まさにその通りだと思う。これまた明治女性・野村みちの目は、厳格な中にも柔軟性があふれている。こうのように「海外旅行」は、その人の視野や価値判断基準を広くできるものだ。

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