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2009年11月の21件の記事

新潟・小千谷の《へぎそば わたや》を食す

 久しぶりに新潟「瀬波温泉」へ添乗した。そこで帰りに昼食は、小千谷(おじや)で名物の《へぎそば》を食べた・このさばについては、以前にこのブログで塩沢(越後湯沢)の中野屋を紹介したことがある。

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うまいそば《へぎそば 中野屋》 新潟県南魚沼郡

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_388d.html

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 今回は『わたや』平沢店へ行く。良質のそば粉に「ふのり」をつなぎに使う。板の上に一口大のそばが盛られる。のど越しがよく、実にうまい。若干、水気が多いのと、江戸前に比べ「つゆ」が薄いのは文化の違い。久々に再会した《へぎそば》に感動。

(写真は3人前)

        わたや 平沢店(関越自動車道、小千谷インターから5分)

        新潟県小千谷市平沢1-8-5

        TEL:0258(83)0588

        営業時間/11:00~21:00(隔週木曜日定休)

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ご近所散歩 浅草《錦秋の浅草寺》

 浅草寺の境内では、いちょう(銀杏)が黄色く色づいています。急がなくちゃ、散ってしまいます。

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 伝法院通り。

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 浅草寺、久米平内(くめのへいない)から二尊仏を見る

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 浅草寺、宝蔵門を見る

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ご近所グルメ 浅草《四川ハウス》マーボー豆腐定食

 タンタン麺のうまい店で何度も通っているが、

【ご近所グルメ 浅草《四川ハウス》激辛!!「坦々麺」】

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_2e61.html

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この《四川ハウス》、実はマーボー豆腐定食840円)もおすすめ。もちろん辛い。

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ご近所グルメ 浅草《さいたま屋》@浅草店「味噌らーめん」うまい!!

 先日紹介した《さいたま屋》@浅草店を再訪。「味噌らーめん」に挑戦した。

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【ご近所グルメ 浅草《さいたま屋》@浅草店、新規開店】

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-0203.html

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  味噌らーめんは650円。

薄いが大き目のチャーシュー、しゃきしゃきもやし、極太メンマ、大判海苔に刻み長ネギが具材である。中太平打ち麺が、こってり濃厚味の味噌スープに泳ぐ。背脂が少々浮く。だから冷めない。自家製のタマゴを含む熟成麺のゆで時間は、2分半ほどだ。個人的には少しかたいと思ったが。

 最近、味噌ラーメンのチェーン店のクオリティーの高さに感心する。もちろん個人の好みの問題なのだが、《さいたま屋》はあなどれない。

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【にっぽん旅の文化史】《日本初の海外観光旅行》

 明治41年(1908)、民間初の海外観光旅行の団体が世界一周ツアーとして実施された。朝日新聞社の企画で、旅行主催はイギリスのトマスクックトラベル社だった。このブログでも取り上げたが、参加者56名、現代の貨幣価値で1千万円以上の旅行代金が必要だった。

コースは横浜から客船で太平洋を渡り、ハワイに寄港しサンフランシスコへ。列車でアメリカ大陸を横断し、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨークを訪れる。さらに船で大西洋を行き、イギリスのリバプールに上陸後、ロンドンに滞在。ドーバー海峡を船で渡り、フランスはパリへ。その後、列車でイタリア・ジェノバ、ローマ、ナポリ、ベニス、ミラノと移動。続いてスイス・コモ湖からルガノ、ルツエルン、バーゼルへ。そしてドイツ・フランクフルト、ベルリンを経て、ロシア・ペテルブルグ、モスクワ、ウラジオストックと列車の旅だ。ウラジオからは日本海を渡り、福井県敦賀に帰国した。

 旅行期間は96日間だが、航空機(旅客機)のない船旅の時代、ほとんどが船中泊や列車内の車中泊でホテルには46泊しかしていないそうだ。「移動」の旅である。

このツアーについては、2冊の研究書が上梓されている。一つは、初めての海外旅行が朝日新聞というメディアがつくり出したイベントとしてとらえた『海外観光旅行の誕生』(有山輝雄著、吉川弘文館「歴史文化ライブラリー134」2002年)である。新聞社の大命題は、読者を増やし販売部数を伸ばすことにある。アイデアを駆使して「世界一周ツアー」を企画し、募集し催行する。民間外交として中流・上流の日本人を世界へ旅立たせ、旅行中の様子をニュースとして記事にする。「世界一周旅行が社会的・文化的な意味をもっていることを説明する物語が必要なのである。そうした物語が、共有されることによって世界一周旅行は、社会的・文化的事件となり、多くの読者が共感的関心をもって読むニュースとなるのである。」

著者はジャーナリズム論やメディア論の専門家であるため、海外旅行の成立や創生期の歴史については詳しく論じられている。しかし「旅行」、「ツーリズム」の観点、つまり実際のツアーの内容や参加者の視点など、読者が知りたいと思う点については、残念ながら記述が少ない。

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もう一冊は、『日本初の海外観光旅行―九六日間世界一周―』(小林健著、春風社2009年)である。こちらは専門のツーリズムの立場から細部にこだわり、ツアーの実態を克明に解き明かすことを目的とし、旅行中の詳しい日程にまで言及している。出発前、この募集旅行が新聞紙上で発表される前後の事情も丁寧に取材する。出発後も毎日の旅程について、新聞記事を中心に参加者の残した日記・旅行記あるいは現地の新聞ニュースなどで周辺を固め、旅行の追体験を可能にしている。わくわくするような内容だ。しかも帰国後の参加者の行く末をも記述し、この大イベントの意味を明らかにしていく。

ただ残念なのは、海外旅行の三大要素(ホテル、食事、観光もしくはショッピング)についての記載が少ないことだ。100年前のツアーで宿泊した「ホテル」についての記述はあるものの、現代、営業を続けているかどうかではなく、どんなホテルで一行は、どのようなホテルライフを送ったのか。また各地の日本大使館や領事館、在留邦人主催による晩さん会が多かったようだが、100年前の旅行者は、どのような昼食をとり、欧米の夕食の人気はどうであったか。また有名な観光地でツアー参加者は、みやげとして何を買ったのか。このあたりにも詳細な記述があれば、もっと楽しく読めると思う。

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《ある明治女性の世界一周日記-日本初の海外団体旅行-》を読む【その3】

 主人公・野村みちの含蓄ある記述を続けて紹介する。

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○青年諸君、故国に執着せず、海外に出よ

 “ああ、本国の青年よ。あなたたちは少し学問をかじると労働を卑賤(ひせん:人として品位が低い)の業と考えます。労働をいとわない人がいても、相変わらず故国に執着します。学問の素養がある人間こそ結局は永遠の成功者となれるのに、そのことを知らずに狭苦しい日本であくせくし、むなしく生活難を嘆いています。実に愚かの極みではないでしょうか。天は限りなく高く、地は広いものです。「人間至る所青山あり」、男子たるものこの心意気あってこそ成功できるのです・・・!”

 明治の女性とは思えない発言だ。実に進歩的。こせこせした日本にいて、うじうじするなら、広い世界へ飛び出すことも方法論としては理解できるところである。だがしかし現実のきびしさが、また青年の前途に重くのしかかってくるのも現実なのだが・・・。

○アメリカの「台所の清潔さ」に思う

 アメリカで個人の邸宅(スポルディング氏)に招かれたとき

“応接間、居間、食堂などどこも美しいのですが、ことに台所です。整然として掃除が

行き届き、塵一つありません。一家の主婦の人となりがしのばれる清潔さです。(略)毎日油ものを扱っているとは思えない清潔さがあります。これでこそ料理を快く味わえるものです。”

 もちろん当時の日本では、アメリカのように蛇口をひねればお湯が出ることはなかったため、すぐに真似することはできないとわかっている。だが将来的には、日本もアメリカ同様に設備も整い、台所も改善されるべきだとみちは述べている。なるほど主婦の観察眼である。

○西洋美術と裸体

 “アメリカ以来どの博物館や美術館の油絵も彫刻も、裸体を描いていないものはありません。初めのうちこそ、女性の身で裸体を直視するのは少々辛いものがありましたが、慣れてくるとそれほど違和感がなくなって、今では「実にいい作品だわ」と仔細に見入ることさえあります。(略)我が国で裸体の絵画や彫刻についてとかく議論があるのは、そうしたものを今まで見慣れていないせいですから、咎めるべきことではありません。(略)風俗教化の上では、裸体の美術品よりも、胸をはだけて歩いている人のほうがずっと害が大きいでしょう。”

 まさにその通りだと思う。これまた明治女性・野村みちの目は、厳格な中にも柔軟性があふれている。こうのように「海外旅行」は、その人の視野や価値判断基準を広くできるものだ。

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ご近所グルメ 浅草《いさりび》寿司屋でボジョレー・ヌーヴォー解禁

 今年も11月の第三木曜日、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁がやってきた。今宵は、行きつけの浅草弁天山、小さなお寿司屋さん《いさりび》で新酒のワインを味わった。

 やっぱりGEORGES DUBCEUF Beaujolais Villages Nouveau(ジョルジュ・デュブッフのボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー)がうまい。普通のヌーヴォーよりも1ランク上である。とにかく、今年はフランスの春夏の好天続きと夏の暑さのため、例年以上にぶどうの熟成が進んだそうだ。そのため、通常よりも2~3週間ほど早く収穫され、ワインづくりの決め手である「熟成期間」も長くとることができた。したがってヌーヴォー(新酒)でありながら、奥深い深みのあるワインである。もちろんフルーティーで、すっきりした飲み口だ。

 《いさりび》では、大将が赤ワインに合うつまみを用意してくれた。なぜか、ハーブのチーズもある。

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 サーモンの握り、マヨネーズ。意外にボジョレーにぴったり。

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 マグロの赤身とヅケ。やはり赤ワインには赤身だ。

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ご近所グルメ 浅草《さいたま屋》@浅草店、新規開店

 浅草のロックス脇、TSUTAYAならびに、平成211111日《さいたま屋》@浅草店がオープンした。以前は「バレーカレー」(カレー屋さん)があった場所。

《さいたま屋》は、つけめん、博多らーめん、味噌らーめんで有名なチェーン店だ。

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 《さいたま屋》はチェーン店だが、自家製の麺はうまいと思う。ただ量が多い。たとえば「つけめん」の並盛は350gある。おまけに大盛(500g)無料である。これで650円。スープが魚介系、魚粉のだしが効いている。カツオ節、サバ節、煮干の類だ。しかしそれほど臭みもなく、多少の油っぽさはあるが、あっさりした味でうまい。つけめんの場合は、メンマと刻み長ネギにチャーシューと大判の海苔が具材だ。

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 ちなみに「つけめん」は太麺、「味噌らーめん」は中太麺、「博多らーめん」は細麺となっている。麺は(おそらく博多らーめんを除いて)全体的に“やわらかめ”だ。

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 浅草店は店内が狭く、カウンターで156席。ランチタイムはすぐに満席になる。小さな割にはメニューの多い券売機が、買いにくいのが欠点である。

 白ゴマ坦々麺、味噌ラーメン、油そば650円。焦がし醤油ラーメン、博多ラーメン500円。つけめんは650円。

■さいたま屋 浅草店

東京都台東区浅草1-24-7

TEL:不明

■営業時間/定休日:調査中

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百年前のハワイ《アレキサンダー・ヤングホテル》

 日本初の海外団体旅行、明治41年(1908)の世界一周ツアーでの最初の寄港地は、ハワイ・オアフ島のホノルルであった。100年前の宿泊先は、ビッショプ通りとホテル通りの角にあった大きな《アレキサンダー・ヤングホテル》であった。ツアー参加者の野村みちの日記にはつぎのように紹介されている。

 “これほど広大な建築と行き届いた設備はアメリカ本土にも数少ないと聞いておりましたが、まさにその通りでした。

 大理石の装飾は目を驚かせる見事なものですし、客室数は二百以上。近年増加している避寒客をオアフ島に集め、太平洋航路の旅行者にホテルを知ってもらってホテルの名声とともにハワイを世界に紹介しようという目的で造られたそうです。(略)今のところは収支が折り合わないそうですが、半永久的な将来の利益を見越しているので、現在の赤字は気にしないそうです。”(野村みち著『ある明治女性の世界一周日記』神奈川新聞社刊より)

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 《アレキサンダー・ヤングホテル》は、1903年スコットランド出身の実業家・アレキサンダー・ヤングの名を冠して開業した。ハワイ島ヒロの砂糖キビ工場や製糖工場の成功で財を成したヤングは、当時の2百万ドル(現在の200億円近い巨額)を投じて、部屋数300室の豪華ホテルを建設した。イオラニ宮殿やアロハタワーに近いダウンタウンである。ヤングは、「ハワイのホテル業界の父」と呼ばれ、1901年、ワイキキにオープンした「モアナホテル」や「ロイヤル・ハワイアンホテル」に後年、出資し、現在の世界に誇るリゾート地の基礎を築いたともいえる。残念ながら先の《アレキサンダー・ヤングホテル》の建物は、1981年に取り壊されてしまった。

 余談ながらハワイのお土産の定番「マカデミアナッツ・チョコレート」は、1950年、この《アレキサンダー・ヤングホテル》内の売店で、はじめて販売され、人気を博したそうである。

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      参考:The Honolulu Advertiser 2006年7月2日号

※アレキサンダー・ヤングホテルのイラストは当時の絵ハガキより

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《ある明治女性の世界一周日記-日本初の海外団体旅行-》を読む【その2】

 横浜で外国人相手の古美術商を営んでいた主人公・野村みちの含蓄ある記述をいくつか紹介してみたい。

○船客のボーイへのチップについて

 “この船客の中でチップを多くくれるのは日本人だそうです。部屋付きのボーイに対し、多いもので二十円、少ないものでも十円を下らないとか。(中略)思うに、日本人は海外旅行に慣れておらず外国語のできない人も多いので、失策を恐れるあまり、驚くほど多額のチップを与えてしまうのでしょう。外国人であれば、報酬は労力に見合ったものを与えるという価値観が強くありますし、旅慣れてもいますから、ボーイの働きぶりに応じた金額を航海の終わりに与えるに違いありません。”

 まさに野村みちさんのおっしゃる通りだと思う。当時の貨幣価値だと、「二十円」は十万円、「十円」でも五万円近くなる。もちろん豪華客船の一等船室を利用する客ならば、その程度のチップをはずんでもおかしくないのかもしれない。しかし、長い船旅ならば、サービスに見合った額を別れ際に渡すのも理にかなっているといえる。

○船旅での外国式マナーについて

 “船室での声高のお喋りは慎むべき。(略)男性が女性の部屋に入るのをそれほど失礼だと思っていないことや、だらしない服装で甲板をうろついていること、食事中の不作法の多さなど、(略)冷や汗をぬぐう場面が多々あります。これからは西洋の人々との付き合いがますます増えることでしょう。母親たるもの、外国式の礼儀を一通りは心得ておき、子どもたちに幼い頃からそれを身につけさせることもなすべき育児の一つでしょう。”

 明治41年に書かれた内容が、いまでも通じる。現代の若い女性にはまったく理解されないだろう。つぎの、この旅ではじめて上陸した、最初の訪問地「ハワイ」で、最高級のホテル(ホノルルにあったアレキサンダー・ヤングホテル)に宿泊して、みちは述べる。

○外国人用ホテル

 “我が日本は今や世界が環視する中心であり、来日する外国人も年々増えています。それなのにホテルの設備がこうした変化に対応できていません。ただいたずらに目の前のわずかな利益にばかりあくせくとして、その先にある将来の莫大な利益のことを考えていないのは、いつもながらまことに恨みの多いことでございます。”

 開国から約50年、横浜で商売をしていた野村みちの目は、広く海外に向けられていた。日本を訪れる外国人客を受け入れる本格的なホテルの必要性を、当時から思い描いていたことは、すばらしい発想であった。

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《ある明治女性の世界一周日記-日本初の海外団体旅行-》を読む【その1】

 「日本初の海外団体旅行」というキャッチに思わず手にして知った1冊である。本の帯には“日本初の世界一周団体旅行に参加した横浜の古美術商・サムライ商会の野村みち ハワイ、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ヴァチカン、スイス、ドイツ、ロシア、中国・・・96日間のハードスケジュールを綴る”とあった。

 さらに「表」表紙折り返しには、“母親からの厳しい「良妻賢母」教育と共に、東洋英和女学校でキリスト教と英語という新しい教育を受けた明治の女性、野村みち。豊かな感性と柔軟性で、真摯に、率直な心情を綴った旅行記。”と紹介されている。

(神奈川新聞社刊)

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 明治41(1908)年三月、一人の女性が横浜港から96日間の世界一周旅行に出発した。彼女は32歳、夫は横浜で外国人相手の古美術店を営んでいた。そしてこのツアーは、朝日新聞社が主催した「世界一周会」会員募集の旅行団であった。日本で最初の一般人が参加する海外団体旅行である。

 旅行費用は2,340円。当時の大卒初任給が40円程度であったようで、現代ならおおよそ1170万円という驚異的なツアー代金ということになる。募集旅行であったが、主催の朝日新聞社は(50人の募集に対し80人近い申し込みがあったため)参加者の選考を実施した。いまでは考えられないことだが、申込者の「地位、職業、身体健康状態、教育等」を選ぶ条件にしたようだ。結局、54名の参加者に2名の新聞社社員が随行役(添乗員)として同行した。

 96日間世界一周の旅行コースは、つぎのようなものだった。

3/18モンゴリア号横浜港出発→10日間船中泊→3/27ハワイ・ホノルル(アレキサンダー・ヤングホテル1泊)→3/28ホノルル発→7日間船中泊→4/3サンフランシスコ(フェアモントホテル2泊)→4/5鉄道車中泊→4/6ソルトレイク(ナッツフォールドホテル2泊)→4/8車中泊→4/9シカゴ(オーデトリアムホテル2泊)→4/11デトロイト(フーリア邸1泊)→4/13車中泊→4/14ボストン(ブランズウィックホテル1泊)→4/15車中泊→4/16ワシントン(ショーラムホテル3泊)→4/19ニューヨーク(パークアベニューホテル4泊)→セドリック号乗船→10日間船中泊→5/2イギリス・リバプール→ロンドン(セントアーミンスホテル10泊)→5/12フランス・パリ(ウィンザーホテル5泊)→5/17車中泊→5/18イタリア・ジェノヴァ(サヴォイホテル2泊)→5/20ローマ(コンチネンタルホテル3泊)→5/23ナポリ(ヴェスビオホテル2泊)→5/25ローマ(コンチネンタルホテル1泊)→5/26ヴェネチア(ロイヤルホテルダニエル1泊)→5/27ミラノ(グランドホテル1泊)→5/28スイス・バーゼル(1泊)→5/29車中泊→5/30ドイツ(ハプスブルグホテル3泊)→6/2車中泊→6/3ロシア・サンクトベテルブルグ(ホテル・ド・フランス2泊)→6/5車中泊→6/6モスクワ(スラビヤンスキーバザールホテル1泊)→シベリア鉄道車中泊→12日間(途中、中国東北部通過)→

6/18ウラジオストック(船中泊)→6/21敦賀着

 各都市では、昼間は公式訪問や視察があり、夜には必ず大使館や在留邦人の晩さん会があり、歓迎式典、歓迎音楽会、観劇もあった。船での長旅はまだしも、大陸では鉄道の移動が多く、車中泊も大変多い。かなりハードな旅行である。

 32歳の主婦・野村みちは、明治女性らしい視点でしっかり西欧文化を見て、自分で消化し、振り返って日本について考えをめぐらす。実に興味深い記述も多い。このあたりは、次回にゆっくり紹介したい。

 なお、この世界一周旅行については、『日本初の海外観光旅行/96日間世界一周』

(小林健著、春風社刊)という本も出ているが、3名しかいなかった女性参加者の日記には、正直な旅の印象が書かれていて含蓄に富んでいておもしろい。

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ご近所グルメ 浅草《味乃一番》五目うま煮そばがうまい!!

 浅草は雷門の反対側を歩き、浅草1丁目の交差点、スタバの角を左折して一本目の小道を右へ。しばらくすると左側に外見は古い《味乃一番(あじのいちばん)》(チャイニーズ・レストラン)がある。ここは地元の人に評判の中華料理のお店。何でも普通においしいが、「五目うま煮そば」や「鶏肉入り煮込みそば」がうまいという。

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 五目うま煮そば(五目入りスープそば)をさっそく注文。840円。豚バラ肉、にんじん、白菜、キクラゲ、ほうれん草にエビとイカ・・・具材がいっぱいだ。細麺もいい感じでしょう油ベースの甘辛熱々スープにマッチする。これはウワサに違わず、名店である。

それから店員さんに若い人はいない。ベテランの方ばかりだから仕事がはやい。

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■味乃一番

東京都台東区雷門1-3-9

TEL:03(3841)7546

■営業時間/12:0014:00 17:0022:00(日曜祝日は12:0021:30)月曜休

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紅葉の《鬼怒川温泉》

 栃木県鬼怒川温泉で会議があり出張。見事な紅葉である。

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鬼怒川温泉駅から。赤、黄、茶、緑と秋色の共演だ。

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上:金谷ホテル方面

中:駅を背に右側のダイヤルバスとタクシー乗り場方面

下:藤原文化会館方面

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《遣米使節団》なくてはならない日本の味「しょう油」

 幕末の安政七年(万延元年)つまり1860年、海を渡った日本初の外交使節《遣米使節団》は、9カ月に渡る長旅であった。この時出航に際して「ポーハタン号」に、どれほど日本の食料を積んでいったかは記録が残っていないが、護衛艦として同時期に太平洋を往復した「咸臨丸」の積込品はわかっている。使節団77名の「ポーハタン号」にもほぼ同量かそれ以上の日本食品が積載されたと推定されている。

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 積込品は、主食の米が七十五石(75,000合=約11,250㎏、60㎏詰米俵で187.5俵)。

一人あたり1食1合として、1日3合、1年で約1,000合(1石)の計算になるため、おおざっぱに75名分となる。醤油は七斗五升。1斗=10升、10合=1升=1.8039ℓだから1斗は18.039ℓとなり、七斗五升は約135.3ℓで、75名分として(135.3÷75=)一人1.8ℓとなる。旅行期間の9カ月(270日間)から計算すると、1日あたり一人、なんと約67mlも使うことになる。

このほか、食品・調味料などは、味噌、香物、焼酎、砂糖、茶、小豆、大豆、胡椒、唐辛子、ソバ粉、麦、かつお節、梅干、酢、塩鮭、野菜乾物類など、大量に積まれた。

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 さて、この醤油(しょう油)であるが、肉食中心のアメリカの食事で随分、活躍したようだ。確かに自分でも経験があるが、塩とコショウで調味したステーキにしょう油をかけると、風味も増し、うまい。まして江戸時代、煮物や焼き物が中心の食事では、しょう油は欠かせない。おそらく慣れないアメリカ料理には、なんでも醤油をかけて食べたことだろう。ついに使節団一行も帰りの船中では、日本から持ち込んだ醤油が切れてしまった。

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 帰路は「ナイアガラ号」に乗り換え、一行はニューヨークから大西洋を渡り、アフリカ大陸のロアンダ、喜望峰を回り、インド洋を越え、バタビア(ジャカルタ)へ寄港。

(バタビア)出航を明日に控えて、日本人は当地においていろいろ求めねばならぬものがあった。それは日本人の食生活に不可欠な醤油である。すでに百日余もろくに醤油を口にしていなかったので皆、体に力がなく、ようやく街中でそれを見つけ、帰艦して用いたところ「身体肥ゆるが如し。これ等にて航海中の困苦を思ふべし」(佐野鼎『万延元年訪米日記』)と、生気を与えてくれる醤油のふしぎな力とそれの欠乏したときの辛苦について述懐している。(宮永孝『万延元年のアメリカ報告』新潮社より)

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 実はこの醤油、正真正銘の日本のもの。江戸時代、長崎の出島から初期には東インド会社を通じ、東南アジアや遠くヨーロッパに輸出されていた“JAPANSCHZOYA”(オランダ語でジャパンのソイ・ソース)という磁器の「染付醤油瓶」であった。バタビアは、当時オランダ領であり、東インド会社のバタビア本店があった場所。

 キッコーマン国際食文化研究センターによれば、江戸時代のこの醤油瓶は、「コンプラ瓶」と呼ばれるもので、長崎県の大村湾東側の東彼杵(ひがしそのぎ)郡波佐見町で焼かれた「波佐見焼き」の徳利だ。おおよそ三合入りでバラツキはあるものの、540mlほどの内容量だった。「しょう油」は京都産のものが、堺から長崎へ樽で運ばれ、オランダ商会・東インド会社の指導で、そのしょう油を鉄の釜で煮て、瓶に詰め、コルクで栓をして密封、保存性を高めたという。

(「染付醤油瓶」写真:古美術青華堂さん提供)

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ご近所グルメ 浅草《徳仙》天ぷら屋?寿司屋?定食屋?

 浅草は六区近くの《徳仙(とくせん)》である。おもてのショーウインドウのサンプルメニューには、かつ丼、カキフライ定食、エビフライ定食、とんかつ定食があり、鉄火丼、にぎり、ちらしがあり、天ぷら定食がある。地元の人は、よく知っていて「あああそこの天ぷら寿司屋は、この時期、カキフライがうまいよ」ってなもんだ。

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 店を入ると油まみれで汚い昭和の、場末の定食屋といった風情。奥には寿司のカウンターもある。えっ?何屋なんだろうというのが正直な感想だ。それでは・・・と、おすすめの「カキフライ定食」1,000円を注文する。

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 大きめのカキフライが6個、山盛のキャベツ千切り、レタスとポテトサラダ。お新香に味噌汁。ごはんはどんぶりで。断じてタルタルソースはつかない。ウスターソースをしゃびしゃびで食す。

 まずカキフライがうまい。ごはんがうまい。とうふの味噌汁もなかなかだ。とにかくボリュームがある。店は汚いが、ファンは多いといのもうなづける。

 浅草はやはり下町である。歩けばこういったうまい店が、いくらでもあるような気がする。

        徳仙

        東京都台東区浅草2-4-4

        TEL:03(3841)5596

        営業時間/11:30~20:30(水曜休み)

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ご近所グルメ 浅草《いさりび》秋から冬11月

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 そろそろ寒い日もあり、焼酎のお湯割りが恋しい。《いさりび》のつまみでは、定番の三陸の「生カキ」のほか、思いがけずうまい魚に出会う。

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 サヨリ。細長い剣のような白身の魚。春が旬だという人も多いが、秋から春にかけて身がしまってうまい。刺身のほか、昆布締め、酢締めもよいとのこと。皮を串で巻いてあぶり、塩を振ってもうまい。

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 サヨリの握り。透明な白身だから塩でもよいが、煮切りしょう油もよい。

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 春子鯛(カスゴタイ)。春先が旬という人もいるが、秋にも出てくる。酢で軽く締めたものがうまい。

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歴史の町・足利《第一立花》老舗のそばがうまい!!

 浅草から東武鉄道の特急りょうもう号で1時間10分、「足利市」駅に着く。歴史の町あしかがである。世界最古の総合大学「足利学校」、「織姫神社」、「栗田美術館」に「足利フラーパーク」など、観光名所が点在する。ここは「そば」がうまい。

 市内には「足利手打ち蕎麦切り会」があり、手打ちの技にこだわる10軒のおそば屋さんが、加盟している。よくマスコミに登場する《一茶庵本店》も有名だが、今回は地元の人おすすめの《九一そば 第一立花》へ。

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 明治12年創業の堂々たる老舗だ。店名につく「九・一そば」とは、そば粉九割につなぎ一割の意味だそうだ。それ以上にそば粉100%の十割が、1日15食限定である。『生粉(きこ)打ちそば』という。つなぎの小麦粉などを含まないため、そば粉は挽きたてでなければ、つながらない。しかもこの店では、北海道音威子府産のそば粉を石臼で丹念に挽く。

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 やや細めのそばだ。甘み、風味がよい。つゆはカツオ節がきく、東京風のすっきり味。薬味も長ネギ、大根おろし、本ワサビがたっぷりだ。普通盛りは700円だが、お店の人のOKが出たので大盛1,000円を食べた。満足である。それからこの店は、従業員の方の接客マナーがすばらしい。老舗にありがちな「傲慢(ごうまん)さ」など、微塵もない。

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        九・一そば 第一立花

        栃木県足利市通り6丁目3222

        TEL:0284(21)2821

        営業時間/11:30~15:00 17:00~20:00(木曜日休み?)

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ご近所グルメ 浅草《かごしま黒豚 豚珍館》本場の「鹿児島ラーメン」

 ご当地ラーメンは数々ある。中でも近頃、健闘している、本場「鹿児島ラーメン」が、浅草で食べられる。しゃぶしゃぶ・とんかつの「黒豚」で売っている《豚珍館》浅草店では、今年6月に店をリニューアルしたが、最近、「鹿児島ラーメン」を始めた。

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 鹿児島ラーメンは、もちろん豚骨(とんこつ)ベース。加えて鶏ガラ、野菜、煮干、昆布、椎茸等で「だし」をとった半濁スープが特徴。とんこつスープの博多ラーメンほど、白濁はしていない。具材は、チャーシュー3枚、もやし、キクラゲ、万能ネギにゆでたまご半身。直流の中細麺である。700円。

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 やはり黒豚だけあって、チャーシュー(焼き豚)がやわらかくておいしい。ランチタイム(11:3014:00)なら、漬物と半ライス付きだ。

 ちなみに「ランチメニュー」も種類が豊富だ。ロースとんかつ定食(200g980円、ヒレとんかつ定食1,080円、カツカレー980円、ミックスフライ定食880円、カツ丼840円、日替わりランチ(メンチカツなど)600円など。しゃぶしゃぶ定食1,380円、ランチ黒豚餃子200円、ランチビール200円もある。

 夜は有名焼酎を飲みながら、庶民的なお値段で黒豚をはじめ、薩摩料理を楽しめそうだ。

■かごしま黒豚 豚珍館 浅草店

東京都台東区花川戸1-2-3

(浅草駅ビル1階)東京メトロ銀座線「浅草駅」

TEL03(3841)8144

■営業時間/月~金 11:3014:00 17:0023:30

 土日祝 11:3016:00 17:3022:00

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焼酎《晴耕雨読》のラベル

 焼酎のブランド物《晴耕雨読》を飲む機会があった。季節柄、お湯割り。1杯600円。すっきりしていて甘みを感じる。芋焼酎はなんとなく苦手なのだが、こいつはいける。おそらく米麹のせいかと思う。そして瓶のラベルの漢詩が洒落ている。

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人生中年過 人生なかばを過ぎ

戴仕事重責 戴(いただ)く仕事の重責益々重く

一時忘浮世 一時のゆとりを求めたし

人生最高楽 人生最高の楽しみは

非栄達贅沢 贅沢(ぜいたく)栄達(えいたつ)に非(あたは)ず

齧煎豆罵倒 煎り豆を齧(かじ)り

歴天下英雄 歴史の英雄豪傑を罵倒する

呑晴耕雨読 酒と楽しむ読書にこそあれ

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(私の勝手な解釈は以下)

人生も中年を過ぎ 背負うべき仕事の重い責任に 

一時(いっとき)でも この浮世を忘れたくなることがある

人生最高の楽しみは 栄達(出世)や贅沢ではない

つまみにほんの少しの煎り豆を齧(かじ)りながら 

歴史上の英雄や豪傑をも罵倒するくらいの たいしたことはないなどと

自信をもって (本格芋焼酎「晴耕雨読」を呑む)

晴れた日には田畑を耕し 雨の日には家の中で書を読み

仕事のあとには酒を楽しむ

そんな悠々自適な 心のゆとりがもてる晩年を送りたいものである

Seikouudoku

有限会社 佐多宗二商店

891-0704

鹿児島県南九州市頴娃町別府4910番地

TEL/0993*38*1121 FAX/0993*38*0098

世の流れなんかには左右されない・・・

そんなあなたの生き方が似合う 佐多宗二商店のベーシック商品です。

●原材料/さつま芋、米麹(白麹)、米

●アルコール分25%

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参考《遣米使節団》日程表

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※服部逸郎『77人の侍アメリカへ行く』講談社より

 

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【にっぽん 海外交流史】《遣米使節団》の滞在ホテルその2

 使節団のワシントンでの宿は、開業間もない「ウィラード・ホテル」である。150年を経過して現在もこの首都で営業を続ける(Willard InterContinental Washington)高級ホテルだ。1860年当時のサムライたちのホテルライフを紹介したい。

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 この家(ホテル)は一町四方(一町=109m)もあるだろう。四つ角にある五階建ての大建築で美麗を極めている。新見豊前(正使)と自分(副使・村垣)が相部屋になったが、十五畳敷きくらいの部屋である。絨毯を敷いて椅子もあるが、片付けて蒲団を敷いて坐った。(村垣淡路守範正『遣米使日記』)

 この旅館は七階建て(地下二階)で四つ角にあるので入口は二つある。部屋は十畳か八畳くらいで花模様の絨毯が敷いてある。私(従者・加藤素毛)は三階の部屋に四人ではいった。部屋ごとに寝台、タンス、椅子、姿見鏡があり、入口には何か書いた横文字の板がかかっているが、読めないから日本字でもって役柄と名前を書いて張っておいた。

 おそらく新見・村垣・小栗の使節ナンバー3は、「スイート・ルーム」の待遇であろう。イスを片付けて、日本から持参した座布団を敷きすわった。また、従者たちは、おそらく4人程度でスタンダード・ルームに入った。ベッドが置いてある。

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 食事も当然ながら提供される。

 料理はいろいろあるが、鶏肉(チキン)、カステラ、卵、牛のモモ、砂糖、ソップ(日本の味噌汁の代用:スープ)、魚(頭と尾とひれを切り取り、正味と親骨ばかり)、以上は必ず出る。他には牛乳(何を煮るのにも入れる。味はよいが日本人には臭いがきらいだ。飯にさえ入れて炊く)、パン(アメリカ人の常食でむし立てはおいしいが、古くなるとまずい)、魚は鯛、鱒、鮭などが多い。

 飲料は湯茶、コーヒー、氷水などで、西瓜(すいか)は立て割りにして合わせて元の形にして出す。味はとてもよい。(略)ワインは種々あるが、大きな瓶に入れて調合して出すので薬酒のようである。おかんをすることはない。

 一行はハワイ、サンフランシスコでも「西洋料理」に洗礼を受けていたため、それほどのカルチャー・ショックはみられない。だが、「牛乳」は好きになれなかったようだ。また米(ライス)については、アメリカでは「ライス」は野菜であり、主食ではなく、付合せのバターライスが主流だった。これはいまでもかわっていないが、白飯とは違う。

このホテルには、長期滞在することになっていたため、ホテル側も日本の使節団のために、専用の厨房を用意し、日本から同行した料理人(御賄い方)が持参した米を炊いたり、味噌汁をつくったようだ。

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(参考:服部逸郎『77人の侍アメリカへ行く』講談社)

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