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幕末のハワイ《フレンチホテル》

 このブログでも何度も取り上げた安政七年(1860)、つまり「万延元年の遣米使節団」がハワイ・ホノルルに寄港した際、宿泊したのが《フレンチホテル》である。

新見豊前守(しんみぶぜんのかみ)の従者、玉虫左太夫(たまむしさだゆう:仙台藩史)の記録には、ホテルの様子が描写されている。このホテルは、ホノルルのフォートストリートとホテルストリートの交差するあたりにあった。

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 海岸からおよそ2km弱、レンガ造りで白壁のホテルは、平屋建てで一部2階建てであった。全部で8棟の建物があり、4棟は酒場(レストラン)、浴場、厨房に主人の居住スペースだ。残りの4棟に上陸した使節団一行が宿泊した。2棟は大きな2階建てでメンバー上位の奉行から調役が泊まった。部屋は2間から3間の広さというから6畳から8畳程度の広さだろう。ガラス窓がつく。日本家屋のような障子窓はない。花もようのカーペットが敷かれ、靴のまま出入りをする。タテ1間(1.8m)ヨコ半間(90cm)ほどの寝台(ベッド)が置かれ、床からは高さ3,4尺(1m)ほどだ。上から蚊帳のような白い木綿の布をつるしてある。布団は羽毛か木屑を詰めてある。

 一行の従者や身分の低い者たち36名は、ほかの2棟をあてがわれた。

「大勢で大混雑であり、寝る場所もない。部屋の四隅には塵(ちり)が積もっていて決してきれいではない。それまで狭苦しい船の上で寝泊まりをしていたので、期待していたが、これなら船上の方がましだ。」(玉虫左太夫、「航米日録」日本思想大系『西洋見聞集』岩波書店より、現代語訳)

 写真(スケッチ)をみると、国民宿舎のような建物がならぶ。《フレンチホテル》が150年前のホノルルの最高級ホテルであったようだ。ちなみに玉虫は「仏蘭西旅館」と記している。

(イラストは、小田基著「玉虫左太夫『航米日録』を読むー日本最初の世界一周日記―」東北大学出版会および宮永孝著「万延元年のアメリカ報告」新潮選書から引用した)

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にっぽん海外交流史」カテゴリの記事

コメント

たろべえさん フレンチホテルと言いながらまるで昔の中学校か兵隊の宿舎(兵舎)の様です。なんだかホテルの敷地内に畑が有るように見えます。150年前のホノルルも のどかだったんですね。

投稿: 通りすがりの旅人 | 2009年12月 7日 (月) 10時18分

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