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【にっぽん 旅の文化史】《東照宮以前の日光》日光修験道その2

中世に盛んになった「日光三所権現」は、いってみれば日光の三山信仰であった。「権現」とは、形がなく目には見えない神様や仏様が、仮の姿であらわれることだ。神様も元々仏様で同体(神仏習合思想)であり、日本ではインド・中国など大陸伝来の仏の姿が神であるとする「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」説の影響もある。2

具体的には、三山にそれぞれの神と仏が宿るとされた。つまり男体山の神は男体権現、仏は千手観音。女峰山は神が女体権現で、仏は阿弥陀如来。太郎山の神は同太郎権現、仏は馬頭観音。

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鎌倉時代には修験者は集団となり、組織化され、日光修験が成立していく。鎌倉後期南北朝から室町時代に、行者が関東各地から集まってくるようになり、日光独特の山中に修行に入る「峰修行」が確立されていく。日光山の座主・弁覚は、熊野での修行を伝え、教義や山中の道場を兼ねた宿泊施設、休憩所(仮泊所)を整備した。そして「三峰五禅頂(さんぶごぜんじょう)」の形が出来あがった。

山中の宿(しゅく)には本尊として日光三所権現や勝道上人の板絵が掲げられ信仰の対象となった。峰々と宿を結ぶ修行のコースも四季に応じて決められた。

「三峰」は、春のコースの春峯(華供峯:はなくのみねともいう)、夏の過酷なコースの夏峯、冬場のコースの冬峯をいう。「五禅頂」は秋峯という秋のコースである。

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山岳修験の道場、一大霊場としての日光山を巡るコースは、2,000m級の山々の尾根伝いに行くもので、つぎのようになっていた。

●冬峯(冬):四本龍寺~出流山(いづるさん)~古峰ガ原(こぶがはら)~地蔵岳~掛合宿~薬師岳~滝ガ原峠~合峰(がっぽう)~星宿(ほしのしゅく)~(神橋)

    華供峯(けぐぶ・はなくのみね 春):四本龍寺~出流山~古峰ガ原~地蔵岳~掛合宿~薬師岳~細尾峠~歌ガ浜宿(中禅寺湖畔)

    夏峯(夏):四本龍寺~星宿~合峰~滝ガ原峠~薬師岳~細尾峠~歌ガ浜宿~夕暮宿(中禅寺湖南岸)~黒桧岳(往復)~千手ガ浜~男嶽(宿堂坊山)~錫ガ岳~白根山~金精峠~温泉岳~山王帽子山~太郎山~寒沢宿~大真名子山~男体山~寒沢宿~小真名子山~女峰山~行者堂

    五禅頂(秋):四本龍寺~行者堂~女峰山~小真名子山~寒沢宿~大真名子山~男体山~中禅寺

かかった日数は、春と冬が40日間、もっと過酷な夏のコースが、100日間近くで、このコースだけは遭難者や行方不明者が続出したため、のちに廃止されたという。

 日光山興雲律院(こううんりついん)の中川光熹(こうき)住職は、明治期以後、廃止されたこの日光修験の「華供峯(春峯)」を復活させ、毎年6月に実施しているという。(写真:日光博物館、福田さん提供)

日光修験道の山伏を体験するのも興味深いものがあると思う。ちなみに難行苦行に耐え山をおりた修験者は、霊験を備え、祈祷やまじないの呪術をつかい、庶民の信仰を集めたそうだ。

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