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2010年3月の25件の記事

隅田公園の桜と《東京スカイツリー》

 隅田公園つまり隅田川河畔の浅草側から、桜の木々の合間にスカイツリーが見える。ここの桜、いまはまだ五分から七分咲きだが、もうすぐ満開になるはず。

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 結構、人が出ているけれど、まだまだ寒い。花見が最高なのは、きっとこの週末ではないだろうか。

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 そういえば、30年近く前の話だが、3月下旬、添乗で九州の(鹿児島)知覧へ行った。特攻隊の基地があった場所である。若き少年飛行兵が、春爛漫、満開の桜に見送られ、飛び立っていった。まさに散ることの美学。あるいは、そう考えるかなかったのだろう。つくづく平和はすばらしいと思う。学校に行きたくない、つまらない会社で働きたくないなどと、文句ばっかりの若者よ。やがては消えてゆく短い人生の中、命がけで生きた同世代の名もない特攻隊員もいたことを、知ってほしい。

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《上野駅》は桜の花盛り

 もう四月だというのに、この寒の戻りはどうしたことだろうか。まるで真冬。これでは咲きかけた桜も足踏み状態である。

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 でもJR上野駅は、桜が満開だ。駅構内中央改札の桜は、見事だ。

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 アトレ(上野駅構内のショッピング・アケード)も桜まつりで賑わっている。

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《東京スカイツリー》ついに日本一338m!!

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  2010年3月29日、ついにスカイツリーが東京タワーを抜き、338mになった。お昼頃ツリーの真下には、テレビカメラが数台と黒山の見物客である。そういえばあまり覚えていないのだけれど、昭和33年(1958)母に連れられ東京タワーに登ったことがある。なんとなく高度成長期の象徴のような存在だった。

 日本一の建造物ということで、これから634mまで伸びていく。しかも第一展望台が350mで、第二展望台は450mになるそうだ。下町の新名所、楽しみである。

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【にっぽん 旅の文化史】旅館の《お茶受け》あれこれ

 観光地や温泉地の日本旅館に泊まる。部屋に案内され、まずはお茶で一服。そんなときうれしいのが、お茶受けである。ちょっと気のきいた和菓子や地元の有名茶菓子が並べられている。

 京都なら「生八つ橋」や「わらびもち」。草津温泉では「花いんげん甘納豆」。熱海温泉では「桜えびせんべい」など。箱根温泉の老舗旅館では、羊羹入りのやわらかい「湯もち」だった。宿に着いて、ひと風呂浴びる前の、お茶の一杯にうれしいサービスである。もちろん旅館側にとっては、宿の売店で「おみやげ」として買っていただきたいための試食でもあるのだけれど、あまりいい加減なものは出せないはずだ。もしもお茶受けに出された茶菓子が、その土地の産物ではなく、東京で生産されたお菓子であったら、たとえそれが有名な高級品であっても、少しもうれしくないばかりか興ざめである。

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 栃木県鬼怒川温泉は、東京の浅草から特急で約2時間。この温泉地のほとんどの旅館で出る「お茶受け」は、《きぬの清流》である。やわらかい2枚の和風クッキーであんこをはさんだものだが、直径7㎝、厚さが1㎝と食べやすい。地元・鬼怒川の虎彦製菓が50年近く前から製造販売しているようだ。

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 この《きぬの清流》に季節限定バージョンがある。いまなら「木いちご」や「山里のラズベリー」がある。これがなかなかうまい。お得な詰合せもあるので、鬼怒川温泉や川治温泉に旅したら必ず、おみやげにしてほしい。かなりレベルの高いお菓子である。

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■虎彦製菓株式会社 栃木県日光市鬼怒川温泉滝728

■TEL:0120-16-8300 ※地元と栃木県内の宇都宮でしか発売していないが、通信販売もある。

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下町グルメ《シベリア》

 たぶん東京近郊にしかないお菓子らしい。《シベリア》は、羊羹(ようかん)カステラサンドといったらわかりやすいかもしれない。最近とみに見かけなくなったが、とにかくなつかしい代物(しろもの)である。スカイツリーの近く、墨田区業平橋(なりひらばし)1丁目のパン屋さん(キムラヤ)でみつけた。1個210円。

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 なぜ《シベリア》と呼ばれるのか、調べてみると諸説あって正確にはわからない。その名が示すように、日露戦争(明治37年1904)の戦勝記念のお菓子だとか、シベリア出兵(大正7年1918)に参加した菓子職人が初めてつくったから・・・などである。

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 少なくとも明治末期から大正時代の産物であることは確かでありそうだ。昭和世代の自分にとっても、こどもの頃の大好きなお菓子であった。ちなみにキムラヤでは、《シベリア》を月水金の夕方に焼く。出来たてもおいしいらしいが、1日置くと、なおさらうまいのだそうだ。

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ご近所グルメ 浅草《ぬちぐすい》えっ!浅草で本場の沖縄料理?

 歓送迎会が浅草の沖縄料理店で開催された。下町浅草では異色の沖縄料理《ぬちぐすい》である。《ぬちぐすい》とは、「命の薬」という沖縄ことばだそうだ。沖縄すなわち琉球の料理は、とても体にやさしい。ヘルシーな豚肉がメインだ。だからストレスも解消される。命の洗濯ができたようだ。

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 沖縄といえば、「泡盛」である。水割りで銘酒「菊の露」をいただく。口あたりと喉越し、そして心地よい飲み口は、さすがだ。菊の露は本当は宮古島の酒なのだけれど、まっいいか・・・。

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 それからそれから、沖縄の豆腐「ジーマーミー」がおいしかった。久し振りに大好きな沖縄料理に再会して、幸せな一夜であった。オリオンビールもおいしかった。

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    沖縄料理と泡盛古酒 ぬちぐすい

    東京都台東区浅草1-20-3

    TEL:03(5828)6788

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日光鬼怒川の駅弁《日光 鶏めし弁当

 出張で鬼怒川温泉へ行く。昼食は《日光 鶏めし弁当》。メインは鶏そぼろで、甘辛に煮ておいしい。錦糸卵と紅しょうがもつく。鶏肉もある。

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 地元の素材にこだわり、栗、かんぴょう、たまり漬も。里芋、タケノコ、いんげん、にんじん、こんにゃくと煮物がうまい。肉ダンゴ、カマボコもある。おまけにデザートはとちおとめ(イチゴ)である。なかなか具沢山で、食べるのが楽しくなる弁当だ。

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    調整元 油源

    発売は東武日光駅、鬼怒川温泉駅など

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《東京スカイツリー》328m

 《東京スカイツリー》が、1週間で10m成長して328mになった。

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東京タワーの333mを追い抜くのも時間の問題になってきた。

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【江戸時代の旅】村尾嘉陵《江戸近郊道しるべ》を読む

 江戸時代、江戸城・大奥入口の役人である御広敷用人(おんひろしきようにん)を務めていた清水徳川家の武士・村尾嘉陵(むらお・かりょう)が書き残した旅日記が残されている。(清水徳川家は徳川御三家に次ぐ「御三卿 田安家・一橋家・清水家」に属する将軍家ファミリー)

 村尾嘉陵(宝暦10年1760~天保12年1841)は、おそらく一線を退いた頃から、江戸近郊の寺社や名所などを、日帰りで旅し、その記録をまとめていた。もちろん車や鉄道のない時代、旅は徒歩である。いまの皇居近く北の丸公園あたりにあった清水家の屋敷内の下宿やその後の日本橋浜町の社宅、そして麹町三番町に与えられた住居を出発する。

 《江戸近郊道しるべ》(平凡社、『東洋文庫448』)によれば、目的地は「西の郊外」が現在の新宿・渋谷・豊島・杉並・世田谷・練馬に東京都下多摩地区。そのほか北、東、南の郊外地区で、都内に限らず埼玉県、千葉県、神奈川県川崎も含まれている。ほとんどが当時の観光スポットとして、庶民に人気の寺社めぐりや季節の草花をめでる旅である。まずは「小金井・府中再遊」の箇所で【小金井桜】の項を紹介する。

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 小金井桜(こがねい・さくら)

 小金井の桜は、牛込服部坂上の道栄寺(文京区小日向二丁目)の桜と同じ種類で満開の時期も同じ頃である。小金井の桜を見るなら道栄寺の花の咲き具合を参考にするとよい。(文政2年3月28日、1819年)

元文の頃、公命によりて和州芳野山、常州桜川の種を栽(うゑ)らるゝといへり。金井

(こがねゐ)橋の手前、梶の橋の辺より、花あれどもまばら也。金井橋の少し手前より、上水の両岸に花あり、五六間乃至七八間程、間を置て大樹あり、八重一重相交る、金井橋より西水源の方、殊(こと)に花多し。橋の上より水上を望めば、両岸目の及程の所みな花也、水上に富士をみる、眺望たぐひなしといふ。

(元文2年1737年、幕府の命によって、このあたりに奈良吉野山と茨城桜川の桜木の種を植えたそうだ。東京都小金井市桜町1丁目の小金井橋の手前、梶の橋あたりにも桜はあるがまばらだ。小金井橋の少し手前から玉川上水の両岸に、10~15m間隔で大きな桜の樹木が植えられ、八重桜や一重桜が咲いている。小金井橋より上流がとくに花が多い。橋の上から川面を見れば両岸の桜の花が目に入る。水に富士山が写り、すばらしい眺めである。)

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続けて「桜を見るのには、小金井橋の上からが最高である。川岸の茶店や飲み屋からだと、風にたなびく桜を横から見ることになり、全体の美しさがわからない。橋の上からは両岸の枝に咲く一連の花々が、水に浮かぶ帯のように見える。」と、村尾嘉陵は強調し、イラストも描く。

 さらに小金井桜への行き方については、現代とあまり変わっていない地名をあげ、道案内を記す。

「小金井に行くには、中野→堀之内・妙法寺門前→大宮八幡宮→上高井戸・下高井戸→久我山→井の頭弁財天→吉祥寺村(武蔵野市)→保谷村(西東京市保谷)→小金井を順路とする。」当時の距離は約七里(約28km)である。当然ながら往復で、なんと56km。

いまなら道路渋滞や信号待ちでも片道で1時間半から2時間程度だろう。それにしてもいかに健脚であろうとも、夜明け前、早朝出発でも江戸に帰着するのは、かなり夜遅くなる。もちろん昼食(弁当)の時間や休憩時間も必要なのだから、ゆっくり桜を見物する時間があったのかどうか。

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 しかしこの「小金井桜」は、多くの旅行案内書に紹介されたり、名所図会や風景版画に刷られたことにより、江戸末期には文人墨客も訪れ、江戸近郊では有名観光地であったそうだ。広重もこの地をたびたび題材にしている。(すべて意訳:たろべえ)

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        うとかりし 春ぞくやしき 朝なゆふな なれて末くむ 水かみの花(春海)

        聞わたる 天の河原か さく花の 雲のなか行く 水の一すじ(千蔭)

(参考:《江戸近郊道しるべ》、平凡社、『東洋文庫448』)

※広重「富士三十六景 武蔵小金井」、広重「江戸近郊八景之内 小金井橋夕照」

※挿絵:東洋文庫より、「金井橋北畔看桜花図 其一」、「金井橋上西望花源図 其二」

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《東京スカイツリー》見学バス

 建築中の《東京スカイツリー》を見るなら、東武線の「業平橋(なりひらばし)駅」下車(浅草から2分、140円)が便利だが、どうも東京に土地勘がないという方には、土曜日の限定にはなるけれど、2種類の定期観光バスが走っている。

○はとバス

『東京、ただ今工事中。(東京スカイツリー(R)&臨海大橋)』 

コース№ R819 (催行日)  3/6~6/26の土曜日(3/20・5/1は運休)

(コース)

Photo 東京駅丸の内南口(9:30発)「東京スカイツリー)」建設現場・インフォプラザ(建設中のスカイツリーを間近で見学・40分※注1)

東武ホテル レバント東京(東京スカイツリー が見える食事処で昼食・和食・60分)

葛西臨海公園(自由散策・50分※注2)建設中の東京港臨海大橋(仮称)を船上より見学

(葛西~お台場・45分)お台場(自由散策・60分)東京駅(16:40着予定) 

(旅行代金)

大人 7,900円  子供 7,400円

昼食付

※注1)東京スカイツリーは建設現場に隣接するインフォプラザ団体用見学場所からの見学となります。建設現場には入りません。

※注2)葛西臨海公園は自由散策です。水族園の入場料金は含まれておりません。

※当コースは募集型企画旅行です。最小催行人員は20名様です。ご予約が20名様に満たない場合は、ツアーを中止させていただく場合がございます。

※添乗員は同行いたしません。バスガイドがご案内いたします。

※予約センター TEL 03-3761-1100 受付時間8:00~20:00(年中無休)

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○スカイバス

<季節限定>

スカイバスで行く

桜と東京スカイツリー®コース

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(催行日)

3月25日・26日・30日・31日、4月1日・2日・6日・7日・8日・9日

(出発時間)

11:30(東京スカイツリー®インフォプラザ見学付)

14:00(全て車窓観光)

16:00(全て車窓観光)

最少催行人数は10名さまです。10名さまに満たない場合催行中止になることがあります。

(旅行代金)

11:30出発

 大人 2,500円(12歳以上)/小人1,500円(6歳以上12歳未満)

14:00出発 ③16:00出発

 大人 2,000円(12歳以上)/小人1,000円(6歳以上12歳未満)

(コース)

鍛冶橋駐車場>首都高速宝町入り口-(首都高向島線)-向島出口>東京スカイツリー

11:30出発便のみインフォプラザ下車見学30分)>吾妻橋>雷門前>上野駅前>秋葉原>日本橋>鍛冶橋駐車場

(所要時間)

11:30出発便  約100分、②14:00出発便  約70分、③16:00出発便  約70分

(チケット販売所)

東京駅丸の内南口より徒歩3分 三菱ビル1F「スカイバスチケットカウンター」

(のりば)

※ご注意ください※ のりばは通年コースと異なります。

東京駅八重洲南口 鍛冶橋駐車場

(電話予約)

03-3215-0008 ※乗車日1ヶ月前09:30から電話予約受付

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東京スカイツリーのお膝元・ゆるキャラ《おしなりくん》

 スカイツリーのお膝元、東京は墨田区の地元5商店街(押上ガーデン通り商栄Photo 会・押上通り商店会・業平商盛会・業平橋融和会・業四市場商栄会)により、昨年、「押上・業平橋地区活性化協議会」が設立された。目的は、2012年開業するスカイツリーに向けて、街を活性化してたくさんのお客様に来ていただこうというものだ。開業時540万人の来訪が予想されているそうなので、額面通りだとすると、大変な経済効果になるはずである。

 そんな押上・業平橋(おしあげ・なりひらばし)地区では、《おしなりくん》というキャラクターを設定し、イメージを公募した。(以下、新聞記事から)

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押上の「おし」と業平橋の「なり」からとった「おしなりくん」。地元の業平橋の名前の由来になった平安の歌人、在原業平をモチーフに、タワーをイメージした烏帽子(えぼし)姿。朗らかでやさしく、何事にも誠実な性格で、趣味は「ネコと戯れること」。好物はおいなりと団子、業平しじみ。

 商店会活性化に向けてイメージキャラクターを公募した結果、全国から寄せられた563作品の中から岐阜県在住の村瀬まゆ美さんの作品が選定された。

 同協議会は8月30日に行われるイベント「タワーでパワーON!2009」でおしなりくんをお披露目し、同区業平2丁目に観光案内所兼お休み処「おしなりくんの家」を開業。携帯ストラップや関連グッズ販売などにも活用し、商店街活性化のために活躍してもらう予定。(産経新聞、2009年7月31日)

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 すでに地元の商店では、ショーウィンドーに《おしなりくん》のステッカーを貼っている。平安時代の在原業平(ありわらのなりひら)をモチーフにしたところが、なかなかのものだ。烏帽子(えぼし)の上のスカイツリー(タワー)がおもしろい。

 この種の「ゆるキャラ」がよい。思わず微笑んでしまう。今後も《おしなりくん》に活躍していただき、人情の下町・押上業平橋地区を盛り上げてほしい。

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下町の長崎チャンポン《ありあけ》

 実は以前にも紹介したが、マスターで下町の演歌歌手「有明貴志(ありあけたかし)」さんが経営する「長崎チャンポン」の店《ありあけ》。墨田区の業平橋駅前にある。いま、まさに旬の東京スカイツリーの近くだ。

以前の記事【下町の演歌歌手、実はラーメン屋のご主人《有明貴志》】

http://tabikoborebanashi.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c048.html

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やっぱり「チャンポン」を紹介したい。九州出身のマスターだけあった、チャンポンはうまい。たっぷりの野菜を中華鍋でしっかり炒めてある。少し太めの麺と白濁したとんこつスープ。900円。もちろん皿うどんもいい。東京の下町で味わう本格派である。

※基本的に年中無休だが、歌手の仕事があると臨時休業あり。有明さんの奥さんの腕も確かで同じ味が出せる。

        長崎ちゃんぽん ありあけ

        東京都墨田区向島1-29-10

        TEL:03(3829)0534

        営業時間/11:30~15:00 18:00~23:30(日曜日は22:30まで)

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《最近の食生活》

 昼食で食べたもの、刺身定食。それからマーボー豆腐定食。

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刺身はマグロのほか、イカ、鯛。墨田区業平の《なりひら》で1,000円だ。旬のサカナを調理して出してくれている。

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浅草の《四川ハウス》のマーボーはうまい。800円。しかし体調がわるいのか、いつものピリ辛の風味がなかった。

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そして夜は、ホタルイカにホッピー。季節の肴(サカナ)に、ホッピーでほろ酔い加減である。

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《東京スカイツリー》318mに!

 スカイツリーも318mになった。先週は311mだったから、わずかに7m伸びた。いよいよ気候が良くなってくると、見物客がふえる。マスコミで取り上げられる機会も増加し、次第に東京下町の名所として、話題になってきている。

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 この分では、3月末までに東京タワーの333mを越えるかどうか。楽しみである。ただし毎日のように見上げているので、変化がわかりにくい。そんなお客様の声に対応するかのように「現在のタワーの高さ ○○○m」という表示は、親切である。

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 今のうちに見に行くことをすすめる。とりあえず、完成予定の634mの半分(317m)をわずかに越えたわけで、写真にでも撮っておけば、将来貴重な資料になるはずだ。

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《桃の花》少しずつの春

 ピンク色の桃の花が美しい。梅もよいが、なんとなく桃がいい。少しずつ春になっていく。

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そういえば、ゴッホの描いた《花咲く桃の木》についてブログの記事を書いたことがある。いまだにアクセスが多い。

たった1枚の絵のために出かける旅 ゴッホ《花咲く桃の木》

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《東京スカイツリー》3月11日311メートルに

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  話題の東京スカイツリー》、3月11日に奇しくも311mの高さである。しゃれた演出というべきなのか、偶然なのか?青空に溶け込むスカイツリーを見上げた。古代からおそらく人間は、空を見上げて、広大な夢を抱いたにちがいない。人の力を超越した何か恐ろしいパワーを感じる。それでもまだまだ634mの半分なのだ。

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 スカイツリーのお膝元、東京の墨田区業平橋駅近く、今日は「有明」(中華料理)で、ラーメン・半チャーハンのお昼を食べた。850円。ごくあたりまえの庶民の昼食である。

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再び《三好弥》定食と《宝来楼》ラーメンと

 お昼は、またまた業平の食堂《三好弥》の日替わりランチで「ハンバーグとコロッケ」。手作りのやわらかいハンバーグにデミグラス・ソース、コロッケも揚げたてだ。もちろんキャベツとマカロニサラダ、どんぶり大盛りご飯、味噌汁、お新香で700円。

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 一説によれば、ハンバーグ・ステーキはドイツのハンブルクで労働者の昼食として考えだされたメニューだそうだ。本当はビーフ・ステーキを食べたいところだが、牛肉や豚肉をミンチにして、焼けば、安価だし、ボリュームもある。そんなわけで、人気メニューになったそうだ。

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 そういえば個人的には、《びっくりドンキー》の300gバーグ・ディッシュが好きだ。(いまもこのメニューがあるのかわからないが)やさしい味だ。

 そして夜は、商談があり、一杯飲んだ帰りがけ、浅草の広東料理《宝来楼》に寄る。オイスター・ソース入りのラーメンだ。ほうれん草と刻み長ネギしか入っていないが、うまい。シンプルだから小細工はできない。600円。

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 オイスター・ソースは牡蠣(かき)油のことだ。牡蠣を塩ゆでした汁を煮つめて砂糖などの調味料を加えてつくる。旨みが満載なので広東料理でよく使われる。炒め物にも大活躍する。なかなかラーメンには使わないなかもしれない。いずれにせよ、《宝来楼》のラーメンは、タマゴ麺との相性抜群で絶品である。

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【にっぽん 旅の文化史】《東照宮以前の日光》日光修験道その3

 戦国時代になると、地元の領主・壬生氏が日光山領へ介入。しかし豊臣秀吉の小田原攻めに際して、壬生氏や日光山の僧兵たちは北条氏に加勢したため、日光山の領地(寺領)は没収され日光山は一時衰退していく。

 日光の歴史の中で最大の転換期を迎えるのは、江戸時代である。徳川家康の死後、遺言により、死後一年を経て柩(ひつぎ)は、(静岡)久能山から日光へ運ばれ、東照社(のちに東照宮となる)が創建された。(1617年)これが家康を神としてまつる「東照大権現」である。このときすべてを取り仕切ったのが、天海大僧正であった。三代将軍・家光の時代、この東照宮の大改築(寛永の大造替、1636年)がおこなわれ、絢爛豪華な現在の姿に変わった。徳川幕府の直轄領となった日光は、それまでの三所権現に東照大権現を加え、四神信仰となり、中心にあった輪王寺は、輪王寺宮(輪王寺門跡)となり、皇族(法親王)を迎え、日光山の最高責任者として継承されていくことになった。

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(写真:天海大僧正、中:川越喜多院の天海像)

 天海が日光山貫主に就任し、東照宮が鎮座され、日光は再び脚光を浴びる。従来の宗教行事も再興される。修験の入峰行事も、遭難者の多かった夏峯以外は再開されるが、規模は縮小された。(修験者の住居を兼ねた日光山の小坊は、鎌倉時代で三百余、室町時代には五百余あったが、江戸時代には輪王寺門跡配下に25院八十坊程度になった)むしろ修行よりも、日光山の伝統行事を取り仕切る役目を担っていくようになる。

(なお、輪王寺宮は当時、天台座主も兼務し、比叡山、上野寛永寺、日光輪王寺を管轄し強大な権力を有していた)

 入峰修行とは別の形態で発展していた男体山信仰(男体禅頂)は、江戸期には七月一日から七日までと決まり、江戸中期からは講組織が発達し、集団登拝がおこなわれるようになった。

 戊辰戦争後、明治維新により日光山の形態は大きくかわる。神仏分離令(明治4年・1871)によって、それまでの輪王宮(輪王寺門跡)支配体制は、崩壊する。「日光山」という関東の一大霊山や「日光三所権現」による、神仏習合の信仰形態も終わり、東照宮・二荒山神社・輪王寺の「二社一寺」に分離され、それぞれが関係する諸行事を執務することのみになった。(山岳伝統行事の日光修験入峰は輪王寺、男体禅頂は二荒山神社)

 ところで明治元年(1868)、戊辰戦争の際、日光山にたてこもった幕府軍(旧幕臣)・大鳥圭介らと対峙した新政府軍(官軍)の総大将・板垣退助は、二社一寺のある日光を戦火にさらすことを避けるために、幕府軍に無血開城を迫り、見事に説得に成功した。その結果、日光の寺社は戦火を免れ、世界遺産に登録されることができたともいえる。日光にとって大いなる恩人である。

 明治維新後は、徳川幕府の家康を祀る朝敵の霊廟とされ、日光は荒廃の一途を辿っていた。そんな状況に心を痛めていた人物がいた。たまたま世界一周の旅の途中で、日本に立寄ったグラント元アメリカ大統領である。明治十二年(1879)、日光を訪れ、グラントは日光山の美観を称賛し、殿堂の保護を提唱。これをきっかけに、社寺長職にある有志や旧幕臣、町人たちにより、日光山の社寺を修理保存しようという運動が起こった。そして全国的な規模まで広がり、日光の社寺を保護する団体「保晃会(ほこうかい)」という組織ができた。修復が進展、日光山の美景が守られたそうだ。

 以上のように、日光はただ単に東照宮などの世界遺産の建物だけではなく、そこには勝道上人から始まる歴史が、背景にあることも忘れてはならない。今後は、日光山の歴史的背景を見直していく必要がある。現代に続く日光の精神史にも注目してほしい。

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《弥生三月東京雪景色》

 今年、東京では珍しく雪が降る。しかし春を待つ弥生の時期だが、都心でも低気圧の影響で積雪10cmだ。気温が上がってきて、シャーベット雪になっている。

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 郊外のわが家近くは、雪景色である。

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なつかしくて大好きな《メンチカツ》

 どうもこどもの頃のごちそうが、コロッケであり、メンチカツであり、ハムカツだったせいか、いまでも時々、無性に食べたくなる。そこで東京スカイツリー建設中の東京墨田区業平(なりひら)界隈の食堂へ行く。

 三好弥(みよしや)という、とんかつやアジフライなどが有名な食堂。下町のおじちゃんとおばちゃんに息子さんでやっている。安くてうまい。

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 メンチカツ定食(650円)を注文しようとしたら、同じ値段で本日のランチがあって、なんと「メンチカツにしゅうまい」である。迷わず決めた。手作りのマカロニサラダ、刻みキャベツだが、今日はシュウマイも付く。味噌汁とお新香も。たっぷりソースをかけていただく。なぜが、「洋がらし」がうれしい。こんなごく普通のお昼、いつまでも残っていてほしい。

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        三好弥(みよしや)

        東京都墨田区業平1-12-3

        TEL:03(3626)3445

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ご近所グルメ 墨田区《いこい食堂》下町の定食屋

 東京下町の普通の定食屋さんである。ガラガラと引き戸を開けて入ると、作業服を着た工事関係者の方々やラフな格好のおじさんが、大盛りのどんぶりでごはんを食べている。コロッケやとんかつ、焼き魚の類の定食メニューが、何種類も壁に貼ってある。迷わず「日替わり」を注文。「手づくり煮込みハンバーグ定食」650円である。

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 大きなハンバーグ、マカロニサラダ、目玉焼きに刻みキャベツ。小さめの冷奴。もちろん普通でも大盛りのどんぶりごはんとワカメの味噌汁がつく。ハンバーグは、さすがに手づくりらしく、中身はぎっしりの挽肉とタマネギのみじん切りがうれしい。

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 店では年配のご夫婦が、黙々と働く。結構、忙しいらしく、お昼の12時半を回ったばかりなのに、食べ終わった食器が、山になってカウンターに置いてある。それでも料理を出すときには、たいして待ってもいないのに「お待たせしてすみません」といってくれる。お客さんが勘定を払って店を出るときにも「ありがとうございました」と、夫婦で送ってくれる。決して愛想がないわけではない。店内は、揚げ物が多いので、きれいではないが、この味なら、この値段なら、と納得の定食屋さんだ。気取っていないからほっとするランチタイムになる。そういえば、お店の名前は「いこい食堂」である。

   いこい食堂

    東京都墨田区業平4-15-11

(押上駅に近い)

    TEL0336230259

    営業時間/12002130(たぶん土曜日は休み?)

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【にっぽん 旅の文化史】《東照宮以前の日光》日光修験道その2

中世に盛んになった「日光三所権現」は、いってみれば日光の三山信仰であった。「権現」とは、形がなく目には見えない神様や仏様が、仮の姿であらわれることだ。神様も元々仏様で同体(神仏習合思想)であり、日本ではインド・中国など大陸伝来の仏の姿が神であるとする「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」説の影響もある。2

具体的には、三山にそれぞれの神と仏が宿るとされた。つまり男体山の神は男体権現、仏は千手観音。女峰山は神が女体権現で、仏は阿弥陀如来。太郎山の神は同太郎権現、仏は馬頭観音。

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鎌倉時代には修験者は集団となり、組織化され、日光修験が成立していく。鎌倉後期南北朝から室町時代に、行者が関東各地から集まってくるようになり、日光独特の山中に修行に入る「峰修行」が確立されていく。日光山の座主・弁覚は、熊野での修行を伝え、教義や山中の道場を兼ねた宿泊施設、休憩所(仮泊所)を整備した。そして「三峰五禅頂(さんぶごぜんじょう)」の形が出来あがった。

山中の宿(しゅく)には本尊として日光三所権現や勝道上人の板絵が掲げられ信仰の対象となった。峰々と宿を結ぶ修行のコースも四季に応じて決められた。

「三峰」は、春のコースの春峯(華供峯:はなくのみねともいう)、夏の過酷なコースの夏峯、冬場のコースの冬峯をいう。「五禅頂」は秋峯という秋のコースである。

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山岳修験の道場、一大霊場としての日光山を巡るコースは、2,000m級の山々の尾根伝いに行くもので、つぎのようになっていた。

●冬峯(冬):四本龍寺~出流山(いづるさん)~古峰ガ原(こぶがはら)~地蔵岳~掛合宿~薬師岳~滝ガ原峠~合峰(がっぽう)~星宿(ほしのしゅく)~(神橋)

    華供峯(けぐぶ・はなくのみね 春):四本龍寺~出流山~古峰ガ原~地蔵岳~掛合宿~薬師岳~細尾峠~歌ガ浜宿(中禅寺湖畔)

    夏峯(夏):四本龍寺~星宿~合峰~滝ガ原峠~薬師岳~細尾峠~歌ガ浜宿~夕暮宿(中禅寺湖南岸)~黒桧岳(往復)~千手ガ浜~男嶽(宿堂坊山)~錫ガ岳~白根山~金精峠~温泉岳~山王帽子山~太郎山~寒沢宿~大真名子山~男体山~寒沢宿~小真名子山~女峰山~行者堂

    五禅頂(秋):四本龍寺~行者堂~女峰山~小真名子山~寒沢宿~大真名子山~男体山~中禅寺

かかった日数は、春と冬が40日間、もっと過酷な夏のコースが、100日間近くで、このコースだけは遭難者や行方不明者が続出したため、のちに廃止されたという。

 日光山興雲律院(こううんりついん)の中川光熹(こうき)住職は、明治期以後、廃止されたこの日光修験の「華供峯(春峯)」を復活させ、毎年6月に実施しているという。(写真:日光博物館、福田さん提供)

日光修験道の山伏を体験するのも興味深いものがあると思う。ちなみに難行苦行に耐え山をおりた修験者は、霊験を備え、祈祷やまじないの呪術をつかい、庶民の信仰を集めたそうだ。

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ご近所散歩 すみだ《コーン》

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 東京スカイツリーの近くは、墨田区、下町である。「浅岡鉄」という店名の金物屋さんがある。なんと店先に工事現場や道路に設置される《コーン》を売っている。

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 赤495円、みどり598円、おもし(黒)498円、スコッチコーン790円。

安いのか高いのか、よくわからない。

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 実は自分の所属する少年サッカーチームにもグランドでの練習用に、赤のコーンがたくさんある。ドリブルやシュート練習に役に立っている。

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ご近所グルメ 浅草《いさりび》海鮮丼

 たまに食べたくなるのが、浅草・弁天山《いさりび》の「海鮮丼」(980円)。ランチタイム限定である。野菜サラダ、アオサの汁物にちょっぴりデザート(甘味)がつく。

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 海鮮丼には、タマゴ焼き、イカゲソ、マグロヅケ、太刀魚、サーモン、エビ、小肌、ホタテの具がのる。もちろん季節に応じて具はかわる。それから大将の気分によって、今日は「太刀魚(たちうお)」がのった。9月から10月の秋、2月から4月の冬から春が旬だという。身は脂がのって、銀色の皮もうまい。

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【にっぽん 旅の文化史】《東照宮以前の日光》日光修験道その1

研修会で世界遺産の《日光》へ行く。歴史講座『日光修験の歴史』に出席した。講師は日光の修験道を研究し、復活すべく自らも修行を続ける天台宗・日光山興雲律院(こううんりついん)の、中川光熹(こうき)住職。大正大学で修士号をとり、比叡山では百日回峰の修行を積み、羽黒山にも赴き「大先達」の資格を得たそうだ。山岳信仰、日光修験道に造詣が深く、著作も多い。

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 日光東照宮は、江戸時代1617年、天海大僧正の暗躍により、徳川家康の遺言通り、家康を祭神として祀(まつ)るために造営された。その後、家康を信奉した三代将軍・家光によって、寛永13年(1636)大改築される。確かに、いまの貨幣価値で約400億から500億円という巨額の資金をつぎ込み、1日1万人以上の全国から集められた職人が、1年半足らずで完成させた建築物や数々の彫刻は、豪華絢爛である。そして現代、東照宮はじめ二荒山(ふたらさん)神社、輪王寺の二社一寺が、世界遺産に登録され、まさに日本全国のみならず世界中から観光客がやってくる。しかし単に「東照宮」だけが、日光の歴史ではない。陽明門に代表される東照宮の建築だけが、日光ではない。背景には、古(いにしえ)から平安時代、鎌倉時代の中世を経て、面々と続く歴史的背景を忘れてはならない。

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 中川住職の講演を要約する。

 

「日光」の歴史は、勝道上人の補陀洛山開山に始まる。いまから千二百年以上前に遡(さかのぼ)る。標高2000m級の山岳と湖沼や瀑布などに、古代の人は、大自然に神仏を崇(あが)め祀り、自己練磨の場とした。勝動上人もこの地に修行の場を求めて、延暦元年(782)、補陀洛山(男体山)登頂に成功した。そこで勝道が、見たものは、紺碧の一大湖(中禅寺湖)を眼下にした雄大な大自然の景観であった。これこそまさに観音浄土(補陀洛浄土)と、歓喜したはずだ。この偉業に先立つ、ベースキャンプの四本龍寺の創建に続いて、(中禅寺)湖畔に地主神明を祀り、千手観音を造立。以来、火山地形という恵まれた修行の立地条件に相応した、日光山の歴史と伝統文化は、今日まで連綿として受け継がれてきている。一口に歴史といっても、古代から現代にいたるまで、時代ごとの栄枯盛衰の繰り返しである。

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奈良時代に補陀洛山と呼ばれた山が、黒髪山になり、現代では男体山という。平安時代には、空海(弘法大師)の滝尾(神社)創建や円仁の来山も伝えられ、二荒山の総称も日光山となった。鎌倉時代になると、源実朝が弁覚を座主とし、光明院時代という隆盛期を迎える。この弁覚法印によって、熊野修験の法が導入され、日光修験が確立し、二荒神から三神(日光三所権現)信仰・三山信仰へと移行された。(三山信仰:男体権現、女体権現、太郎権現)

そもそも「修験道」は、古来の山岳信仰と仏教が融合した日本独特の宗教だそうだ。天台州と真言宗の宗派が確立するのに従い、修験の教団は両派に組み込まれていき、いわゆる密教的な要素が強くなった。+++続く+++

次回は、現代にも再現されている、四季折々の日光修験道の峰々を踏破する修行行程に言及する。

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(資料提供:日光自然博物館、写真:たろべえ、大島よしお氏、参考文献『郷愁の日光』、『知られざる日光』、『日光近代学事始』いずれも随想舎刊)

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