« 【江戸時代の寺社めぐり】村尾嘉陵《江戸近郊道しるべ》を歩く 『遅野井村正八幡宮参詣、同所善福寺・井草妙正寺池』天保3年(1832)5月10日 ③寒泉寺(観泉寺)・妙正寺 | トップページ | 《東京スカイツリー》しばらく398m »

東京東村山市《歴史の散歩道 徳蔵寺・正福寺コース》

 著者はこども時代、東京都下の東村山で育たった。久々に、実に40年ぶりで東村山の史跡を訪ねた。都内で唯一の国宝建造物をもつ「正福寺」や鎌倉幕府を滅亡に導いた新田義貞の古戦場跡が近い「徳蔵寺」がある。小学生のときに、いまでいう社会科見学で行った記憶があるが、今回の再訪は、まったく新鮮な驚きであった。

Photo_3

 コースは西武新宿線「東村山駅」から徒歩で、久米川古戦場→八国山(将軍塚)→徳蔵寺→正福寺→「東村山駅」。(東村山市で決めたこのコースは、この時期、大変混雑している花菖蒲の北山公園なども入っているが、カットした)

Photo_5

(22年5月改築の徳蔵寺山門と板碑保存館)

 徳蔵寺には立派な板碑保存館がある。確か、小学生の頃、ここを見学したときには境内に石の板碑がゴロゴロしていた記憶がある。ほとんどが鎌倉・室町時代の板碑(いってみれば供養のための卒塔婆である)だった。

 国の重要文化財に指定されているのが「元弘の板碑」である。これは保存館の2階にガラズケ-ス入りで展示されている。元弘3年(1333)5月の(東京府中)分倍河原合戦で死亡した、新田軍の将兵・斉藤氏などの名前を刻んだ碑である。この前後の新田義貞の鎌倉攻めを整理してみると、通説ではこのようになっている。

Photo_6

(徳蔵寺パンフレットより転載)

 新田義貞、同年、5月8日、上州(群馬県新田郡新田町)生品(いくしな)神社で鎌倉幕府討幕の兵を挙げる。5月9日、利根川を渡り、武蔵国(埼玉県)へ。

 5月11日、鎌倉街道を進み「小手指(こてさし)原」(埼玉県所沢市)で最初の合戦。

 5月12日、「久米川」の合戦。(東京都東村山市)新田軍勝利。13日・14日休息。

 5月15日・16日、「分倍河原(ぶばいがわら)」の合戦。(東京都府中市)および

「関戸」の戦い。(東京都多摩市)

 その後、新田軍は一気に鎌倉街道を攻め、5月22日には鎌倉幕府滅亡へと進んでいく。歴史の大きな流れの中の重要なポイントを明らかにする久米川古戦場跡や元弘の碑は、歴史的にも大きな意味をもっているようだ。

Photo_7

(正福寺国宝地蔵堂)

 さて正福寺(しょうふくじ)である。小学生のときには、国宝の地蔵堂に入ることができたと記憶している。それこそ小さな地蔵が千体も棚に並んでいた。(もちろんいまは、秘仏扱いで内部が開放されるのは、8月8日・9月24日・11月3日のみ)

 この地蔵堂が、鎌倉にある円覚寺舎利殿(しゃりでん)によく似ている。禅宗特有の建築様式で屋根が、跳ね上がって見える。誰でも無料で見学可能な国宝である。

      臨済宗 大徳寺派 福寿山 徳蔵寺(東京都東村山市諏訪町1-26-3)

      臨済宗 建長寺派 金剛山 正福寺(東京都東村山市野口町4-6-1)

Photo_8

(久米川古戦場跡、東京都東村山市諏訪町2丁目)

|

« 【江戸時代の寺社めぐり】村尾嘉陵《江戸近郊道しるべ》を歩く 『遅野井村正八幡宮参詣、同所善福寺・井草妙正寺池』天保3年(1832)5月10日 ③寒泉寺(観泉寺)・妙正寺 | トップページ | 《東京スカイツリー》しばらく398m »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/48553374

この記事へのトラックバック一覧です: 東京東村山市《歴史の散歩道 徳蔵寺・正福寺コース》:

« 【江戸時代の寺社めぐり】村尾嘉陵《江戸近郊道しるべ》を歩く 『遅野井村正八幡宮参詣、同所善福寺・井草妙正寺池』天保3年(1832)5月10日 ③寒泉寺(観泉寺)・妙正寺 | トップページ | 《東京スカイツリー》しばらく398m »