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【江戸時代の寺社めぐり】村尾嘉陵《江戸近郊道しるべ》を歩く 『府中道の記』その④

 府中宿の旅籠「四人部屋」での昼食休憩を終え、主人・万右衛門が多摩川の河原へ案内してくれるという。一行は六所明神(大国魂神社)の坤(ひつじさる:南東)方向へ行く。

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 六所明神坤の方、瑞籬(みずがき)の外、民家のうしろに、小高き所あり。そこにけや木(欅)の古木あり。其あらまし左の如し。(図)

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 このけやき五六年前までは、大なる枝二三本ありて、猶葉を生ぜしが、過ぎし年大風に吹き折れてより後、幹より芽葉を生ぜず。されど全く枯れたるにもあらずと云。其吹き折れたる大枝二囲みばかりなるが、木の下に横たはり臥し、猶一箇の大木の如し。

[高さ四丈斗(ばかり)、囲み疣(いぼ)ともに八囲み半、疣大きさ二囲み、いまだ全く枯れしにもあらず、されど枝葉を生ずる程の生気なきに似たり]

■六所明神の裏手、境内の外側に「けやき」の古木があった。1062年に源頼義・義家父子が寄進したものなら750年、少なくとも500年近いという樹齢の木だが、少し前の台風のとき、大風で折れてしまった。幹から芽や葉は出なくなったが、枯れてしまったわけではない。高さは4丈(約12m)、疣(いぼ)つまりこぶを含めて人間が両手を広げて8人分くらいの太さ。こぶだけでも両手を広げて2人分。

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 実は、現地に行き思いがけず、この「けやきの老木」を発見した。まさに村尾嘉陵が描いたスケッチのとおりだった。彼が府中を訪れたのは、文化9年(1812)だから198年前である。大国魂神社の本堂の裏、境内との境にある柵の外側で、いったい何百年前から、ここに生きているのだろうか。

 少しゆけば、径(こみち)のひだりに妙高寺(現・妙光院)、この寺の林に傍(そひ)て東にゆけば、是政(これまさ)にいたると云、猶行事(ゆくこと)七八丁にして、玉川(多摩川)端にいたる、この道筋を御茶屋街道と云、其のいはれをしらずと云えり。

(略)

■少し行くと小道の左側に妙光院がある。この寺の林に沿って東に行けば、「是政」に至る。さらに800~900m(1km弱)行くと、多摩川に着く。この道は「御茶屋街道」と呼ばれているが、道案内の主人は、道の名の由来を知らない。

 大国魂神社裏の「けやきの古木」を見た後、府中本町駅を右手にみながら、府中街道を下る。途中、左手に妙光院がある。貞観元年(859)の開山と伝えられているそうだ。かなり広い敷地で山門から入ると、境内の木々、植木も手入れが行き届いて気持がよい。真言宗の名刹で、総本山長谷寺の直末で、徳川家康からも御朱印15石が支給され、末寺が28カ寺あった。往時はこの地の真言宗道場だった。寺の北側には境外仏堂としてかなり荒廃しているが、金比羅堂がまつられている。

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☆妙光院(本覚山真如寺 妙光院:東京都府中市本町1-16-13、ご本尊は延命地蔵菩薩)

 この妙光寺の隣に安養寺があるが、村尾嘉陵の《江戸近郊道しるべ》には記載がない。立寄ってみると、天台宗の古刹で、明治維新前は大国魂神社の別当寺である。やはり家康から15石の朱印を賜っていた。現在は比叡山延暦寺の直轄寺で格式も高い。

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☆安養寺(叡光山佛乗院 安養寺:東京都府中市本町1-17-10、ご本尊は阿弥陀如来像)

 現在は、左手に大きな東京競馬場がある。このあたりを「御殿坂」、「御殿下」という。これは天正18年(1590)、徳川家康が造営させた「府中御殿」(府中市本町1-14)に由来する。将軍家が鮎漁や鷹狩りのため、この地域に来たときの宿泊所として使ったそうだ。(現在のこの場所は、府中本町駅前、イトーヨーカードの大きな駐車場付近)御殿は、その後、正保3年(1646)に焼失してしまい、再建されることはなかったそうだ。

さらに中央自動車道の下をくぐり直進する道を「御茶屋街道」といった。これは、府中御殿でおこなわれる茶の湯に使う「水」を多摩川まで汲みに行き、大切に運んだ道であったことから名付けられたという。現在では「ふるさと通り」と呼ばれているが、ちょうど「サントリー武蔵野ビール工場」正門近く(府中市是政6-20)に、「御茶屋街道」の石碑が建っている。

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製造工程を見学した後、ビール工場で出来立ての生ビールを飲んだことがある。どうしてこんなにうまいのかと思う。明らかに居酒屋やビヤガーデンで飲むものとは、味が違うのだ。水のせいだろうか?

そういえば、江戸時代には多摩川の府中あたりでも「鮎(あゆ)」が採れたという話。茶の湯に使う水も川から汲んだという話。昔はそれほど水がきれいだった、と片付けてよいのだろうか。

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