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2010年10月の10件の記事

《炒飯》チャーハン雑感

Photo  お昼に何か食べたいと思うと、つい手頃なところで炒飯をいただいてしまう。中華鍋を強い火力であたため、まず、溶き卵をジューっと入れる。細かく刻んだ焼き豚や長ネギを入れ、あったかいごはんを入れて鍋をあおる。タマゴが米粒をコーティングしていい感じのパラパラ感がでる。塩コショウ。ナルトを小さく刻んで放り込んでもよい。

やはり強力な火加減が重要なので、家庭では本格的な味を出せないものだ。

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 よく行く会社の近所の『ありあけ』の炒飯。絶妙な味、うまい。(業平橋)

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  中国料理『祥龍坊』のレタスチャーハン。とにかく量が多い。780円。

(本所吾妻橋)

 

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  中国料理『一品香』のエビチャーハン。700円。油は多い。(業平橋)

 

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《東京スカイツリー》公式キャラクター決定

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  まるで一気に真冬になった東京。台風の影響で冷たい雨の中、497mのスカイツリーは、頭を雲に隠していた。そんな日であったが、公式キャラクターが発表された。

http://www.tokyo-skytree.jp/news/2010/10/post-27.html

 メインキャラは、ソラカラちゃんという星をモチーフにした女の子。サブキャラにペンギンの「テッペンペン」お姉さんと「スコブルブル」というおじいさん犬である。

期待が高まるスカイツリー、着々と成長中。

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《東京スカイツリー》497m、もう少しで500である

 スカイツリーが497mになった。あと3m500mという中途半端。

そういえば、週末からの中日とロッテの日本シリーズも、ファンの方には申し訳ないが、なんとなく盛り上がりに欠ける中途半端さがある。

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《東京スカイツリー》新作ポスター2種

 488mのスカイツリー、この秋の新作ポスターが登場した。なかなか味がある。

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キャンバスは

タテにして

秋の空

見上げて描いた

スカイツリー

黄色い絵の具

なくなった

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芭蕉なら

あの空の塔

なんと詠む

さんぽ道で

遠くに発見

スカイツリー

ふと想う空

ふと想う秋

 なんとなくメルヘンチックな秋の表現。実際には、秋の空をバックにくっきりそびえるタワーだけど、赤や黄色に紅葉した樹木は、近くにはありません。

 見上げてばかりいたら、どんぐりの不作でエサを求めて、里へおりてくるクマ。夏の異常気象で大きく育った毒きのこ。少しばかり、世間は騒がしい。

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《神谷バー》の最近の車内広告

 浅草・《神谷バー》の東武伊勢崎線限定の車内広告だが、最近は以前のノスタルジックバージョンではない。「ん?」って感じの考えさせるメッセージになっている。

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『「中流」って、どの辺?』

  日本では、ほとんどの誰もが中流意識をもっているそうだ。

 しかし世の中、ピラミッド型の階層社会は、厳然と存在する。ほんの少しの頂点から底辺に向かって、どんどん裾野が広がっていく。

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はたして、自分はどのあたりにいるのだろうか。(おそらく一番下ではなく、下にすべりやすい上にいるより、ほどほどの中間あたりに、いるのが楽なのかもしれない)

『朱に交わっても、青いまま』朱に交われば赤くなる。普通は環境によって、人は染まっていくもの。周囲に左右されないで、「青い」ままの自分を強く守っていくことは、実のところ大変な労力を必要とする。強い意志も、もちろん必要だ。

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(まわりが、どんどん朱色に染まっていったら、少なくともピンクくらいには変わっていないと、流れに乗り遅れるのも事実であると、思う)

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《東京スカイツリー》人気の源森橋から

 スカイツリー(現在488m)の見学スポットとして、人気の「源森橋」へ行く。住所は

東京都墨田区業平4-18-3

あたりである。スカイツリーの全景と東武鉄道の線路が入る。たまたま特急スペーシアが通り過ぎることもある。屋形船まで写ってしまった。

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《東京スカイツリー》488mに

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着々と成長を続けるスカイツリー、488mで、もうすぐ500mだ。

秋の空にくっきりと立つ。中国のノーベル平和賞のゴタゴタや日本でも前幹事長の国会召致問題など、難問は山積みだ。北朝鮮も何やら騒がしい。チリの落盤事故の33名の救出は、そんな中でも明るいニュース。

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【江戸時代の寺社めぐり】村尾嘉陵《江戸近郊道しるべ》を歩く『小金井・府中再遊』その④

 村尾嘉陵(むらおかりょう)は、地元の名主・相沢源左衛門(相沢五流)の道案内で、新田義貞軍が鎌倉幕府との激戦を繰り広げた史跡めぐりに出かけた。現代の私は、京王線「聖跡桜ヶ丘駅」から東京都多摩市関戸地区を歩いてみた。もちろん府中市側からは、多摩川を「関戸大橋」で渡ることもできる。

 

こゝは相模より武蔵に至り、夫(それ)より奥に行く本街道にて、咽喉(のんど)の切所(きれと)なれば、往古より関を置(おか)れ、村の名をさへ関戸と呼名づくるをもて思ふに、この所霞ヶ関なる事疑ふべからずと、源左衛門いへり。しかりやいなや、今日はたそがれ比こゝに来りしゆへ、関跡はたづねずして止。

 相模の国から武蔵の国を通り、文字通り奥州へ向かう鎌倉街道の交通の要衝が、関戸あたりで、高台から下を見下ろせる地形のため、「霞ヶ関」(関所)が置かれたというのも、疑いのないことだと、相沢源左衛門(相沢五流)は説明する。それが正しいのかどうか、嘉陵は関所の跡地に実際に行ってみたいと思ったが、夕方近くなってきたので訪ねるのをやめた。

 横溝八郎の墳(つか)

関戸村の入口、西の山手少し小高き所、麦畑のうちにあり。小高く土をかきあげて、上に榎一本あり、前の源左衛門が案内にてこゝに来り。墳の傍(かたわら)に拝伏して云、この墳を八郎がしるし也と云ども、必ず八郎ばかりがしるしには侍らじ、多くの死屍

(しかばね)をとりあつめて埋みたる墳にて、八郎が屍も定めてこのうちに在しなるべし。(略)

 1333年(元弘3年)515日、新田義貞が足利尊氏と鎌倉幕府倒幕の際に分倍河原の戦いで勝利した翌日、516日には多摩川を越え、鎌倉幕府の関所である霞ヶ関(霞ノ関)に進軍。関戸の一帯で北条泰家(鎌倉幕府第14代執権・北条高時の弟、幕府軍大将)が防衛戦を行った。この戦いで新田軍側が勝利を収め、北条泰家は家臣の横溝八郎や安保入道父子の奮戦によって一命を取りとめ、鎌倉に逃走したが、横溝八郎、安保入道父子は関戸で討死をしている。(参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

 聖跡桜ヶ丘駅から徒歩約15分、旧鎌倉街道沿いの地蔵堂に《関戸古戦場跡》の碑がある。(多摩市関戸5-23)地蔵堂の脇の道を行くと、すぐ右手の民家の庭に《横溝八郎》の墓が見える。きれいに手入れされた一般の民家の庭先に、いまも残るのが、相沢源左衛門が嘉陵を案内した場所である。この時の話では、横溝の首(亡骸)だけを埋めのでなく、一緒に戦って命を落とした戦士たちも一緒に葬った墓であろうとのことだ。はたしていまとなっては事実を知る由もない。

 

 さて、横溝の墓のある民家の前の道を進むと、《延命寺》がある。小さな時宗の寺だが、こちらのご住職が《関戸の戦い》で亡くなった名もない兵士たちを、手厚く葬ったと伝わる。山に抱かれた静かな寺である。

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    延命寺(東京都多摩市関戸5-24-3、時宗)

 さらに旧鎌倉街道を歩く。前回尋ねた近くの《観音寺》から、少し先に熊野神社がある。ここには《霞ノ関》の木戸柵跡が残る。神社の参道には、一部、南の木戸、木の柵が復元されている。先の観音寺が北の木戸跡だという。関所は南北におよそ250から300mの幅だったそうである。

 

 さてこの関戸の裏山一体が、丘陵地になっている。多摩丘陵である。かなり上まで登って行くと、かつての砦の関戸城跡《天主台》がある。遠くまで見通しがきく。近くには、金比羅神社があった。ここは、スタジオジブリ作品の『耳をすませば』(1995年度作品)のモデルになった街・多摩丘陵「桜ヶ丘」である。宮崎アニメの聖地だ。

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《東京スカイツリー》478mです

どうもはっきりしない空もようの中、スカイツリーは478mになった。

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 中国問題も少しは軟化してきたようだが、どうなることやら。

船長の釈放も検察が勝手に決められる事件ではないはず。政治判断はあったと確信する。

 セリーグ覇者は中日。落合監督は人気がないけれど、選手の使い方には文句なし。

おなじ名古屋でもパーフォーマンス好きの市長さんとは、違って、確かな実績を残す監督なのだ。

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【江戸時代の寺社めぐり】村尾嘉陵《江戸近郊道しるべ》を歩く 『小金井・府中再遊』その③

国分寺を訪ねた村尾嘉陵は、府中を通り多摩川を渡る。現在の東京都多摩市関戸へ行く。いまなら京王線の聖蹟桜ヶ丘駅が近い。ここは鎌倉から続く鎌倉街道が走っている。

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小山田の関跡

多摩川には9月から3月までの間、仮橋が置かれていた。4月から8月までは、多摩川の水量が多く、橋を取り除いて船で渡っていた。つまり多摩川を現在の府中市側から多摩市側へ渡ると、「小山田(おやまだ)の関所跡」があった。

 この関、小田原の北条八州を領せし比(ころ)まではありしとみへて、関戸村の名主相沢源左衛門といふものゝ、今に其比(そのころ)の書きたるものなど持伝ふと云ふ。  

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 小山田の関は、鎌倉幕府の北条氏一族が関八州を支配していた頃まであったと伝わる。地元・関戸村の名主、相沢源左衛門という者がその頃の歴史的な事柄を記した書物などを持っているとのことだ。  嘉陵(かりょう)は、さっそく源左衛門の屋敷を訪ねた。実は、この「相沢源左衛門」こそ、別名・相沢五流(ごりゅう:1746~1822)という有名な文化人であった。五流は京都で修行した狩野派の画家である。真言宗御室派総本山の仁和寺(にんなじ)で法親王に謁見し、当時の多摩地区では最初の「法眼号」を授かった。調べてみると、東京の八王子にある(東京都八王子市柚木4)曹洞宗の名刹《永林寺》に、五流の描いた杉戸が26枚も残っているそうだ。ぜひ拝見させていただきたいと思う。

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関戸には、相沢家の菩提寺である、真言宗豊山派の慈眼山《観音寺》がある。行ってみて驚いたが、この相沢五流の墓があった。寺の入口には、多摩市教育委員会作成の説明板があり、五流の肖像画があった。また息子の相沢伴主は生花の「充中流(いんちゅうりゅう)」の創始者であったそうだ。

 さて、村尾嘉陵はこの五流の道案内で、鎌倉幕府滅亡への戦場跡の史跡に出かけることになる。いよいよ北条氏を滅ぼした新田義貞の登場である。

    慈眼山 観音寺(真言宗豊山派:東京都多摩市関戸5-31-11)ひっそりとした小さな寺だが、「関戸の観音様」として信仰を集めている。

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