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江戸時代の屋台《東都名所高輪廿六夜待遊興之図》解説その1

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 広重の天保12年から13年(1841~1842)の作といわれる《東都名所高輪廿六夜待遊興之図(とうと・めいしょ・たかなわ・にじゅうろくやまち・ゆうきょうのず)がある。この二十六夜待というのは、江戸時代のお月見のひとつ。中秋の名月とは違って、旧暦の一月と七月の二十六日、深夜から明け方に出る逆さ三日月のことで、庶民は夕方から繰り出し、本来は念仏を唱えながら月に浮かぶ「阿弥陀三尊」[阿弥陀仏を中心として、観音(かんのん)菩薩、勢至(せいし)菩薩(ぼさつ)を左右の脇侍(わきじ)とする様式]を飲めやうたえやで、待ったそうだ。もっとも冬の深夜は寒すぎるため、七月におこなわれたようだ。

 

 江戸では、月の出を拝むことのできる海岸や高台に人々が集まり、中でも高輪や品川の海岸は多くの人で賑わい、料理屋は繁盛し、路上にはたくさんの屋台が並び、歌や舞、音曲などの催しもおこなわれた。ただし、この行事は天保の改革以降は規制を受けてめっきり衰えていったそうだ。この廿六夜待の場所については、芝高輪、品川などの海辺が有名であった。このほか、築地の海、深川州崎、湯島天満宮境内、飯田町九段坂、日暮里諏訪社、目白不動尊境内なども知られている。

江戸時代のファーストフード、たべもの屋の屋台が、たくさん出ている。左から「志るこ(汁粉屋:しるこや)」、「ほおづき屋」、「だんご(団子)屋」、「麦湯(麦茶)屋」、「二八そば屋」、「天麩羅(天ぷら)屋」、「イカ焼き屋」、「水売り屋(冷水)」、「寿し(すし)屋」、「水かし(水菓子)屋」である。

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        「志るこ(汁粉屋:しるこや)」

『守貞謾稿』によれば、江戸では小豆の「こしあん」を用いて「汁粉」と呼び、関西では「つぶあん」を使い「善哉(ぜんざい)」と呼ぶ。江戸でも「つぶあん」を使った汁粉もあり、こちらは「田舎しるこ」といわれたそうだ。一椀16文(約160円から240円)といったところ。さらに汁粉には、焼いた角餅が入り、善哉には焼かない丸餅を入れた。餅がない場合、前者には「白玉粉(寒ざらし粉):原料もち米」の白玉を、後者には「上新粉:原料うるち米」の白玉を入れた。

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        「ほおづき屋」

芝の愛宕神社や浅草寺で求める「ほおづき」は、江戸時代には薬として珍重されていた。薬効は、こどもの虫が治おり、婦人の癪に効いたと伝えられている。

こどもの虫とは「疳(かん)の虫」のことで、神経過敏による夜泣きやひきつけ、乳を吐くなどの症状を指し、昔は「“虫”が体に入り込んでそうさせるのだ」と説明されていた。(この“虫”は本物の昆虫ではなく、想像上の“虫”)また「癪(しゃく)」とは女性にみられ、胸や腹が急にけいれんを起こして痛む症状。「さしこみ」という。

ところが、このほおづき、実は根の部分に子宮の緊縮作用のあるヒストニンが含まれており、妊娠中の女性が服用すると流産の可能性があり、堕胎剤として利用されていたそうだ。

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コメント

はじめまして

高輪出身の者です
この絵図、初めて見ました
昔から こんな粋な街だったんですね~
今の品川駅前の にぎわいと同じかな

投稿: 円谷 惠津子 | 2015年9月11日 (金) 16時01分

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