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江戸時代の屋台《東都名所高輪廿六夜待遊興之図》解説その4

 広重の《東都名所高輪廿六夜待遊興之図》(とうと・めいしょ・たかなわ・にじゅうろくやまち・ゆうきょうのず)で、多くの屋台を紹介している。

Tempuraya

        天麩羅屋(天ぷら屋)

『守貞謾稿』によれば、この時代、江戸前天ぷらの材料といえば、あなご・芝えび・こはだ・貝柱・するめ(イカ)とある。この他にはキス・ハゼ・あじといったところだろう。魚類を揚げたものを、江戸では「天ぷら」と呼んだそうだ。

 屋台には、「胡麻(ゴマ)揚げ」と書かれている。江戸時代の揚げ物の油は、ゴマ油やカヤ油に菜種油が主流であった。関東と関西では、使う油が違った。江戸風はゴマ油、カヤ油などで色濃く揚げ、関西風は菜種油(いまのサラダ油)で、白っぽく揚げた。関西では塩で食べることが多かった。

現在は精進揚げと呼ぶ野菜のてんぷらは、単に揚げ物と呼んでいた。揚げ油に胡麻油が使われていた関係で「胡麻揚げ」=「野菜の天ぷら」の意味もあった。

 屋台の天ぷら屋では、立ち食いに便利なように天ぷらは串刺しで、客は共通の、深鉢のつけ汁(天つゆ)に、串刺しのてんぷらを突っ込んで後、食べていたようだ。1串は4文から8文(40円・60円~80円・120円)といったところ。やはり揚げたてが一番おいしいに違いない。

Ikayakiya 

■ イカ焼き屋

看板にはイカの絵を描き、イカ焼き屋である。横面には「当り屋」と読める。

さてイカを干したスルメは、結納に使われる、昆布と同様に縁起物である。「寿留女」と書いた。しかし「スル」では博打(ばくち)で所持金をなくす、スリにすられるといった意味合いで都合が悪い。そこで忌み言葉として、スルメは「アタリメ」と呼ばれた。そんな意味で屋号は「当り屋」である。

 イカ焼きといえば、香ばしい醤油の香りだ。「しょう油」は江戸時代頃までは関西(西日本)から運ばれた「下り醤油」が主流であった。江戸後期になって、野田や銚子(下総・上総)を中心に関東の醤油が発達した。黒潮と親潮の交わるお温暖で多湿な気候、夏と冬の温度差が少ないこの地方の気候が、醤油の醸造に適していたそうだ。あわせて利根川や江戸川という、大消費地の江戸に向けた水運が発達したこと、大豆や小麦が関東平野でも収穫されたこと、そして江戸川河口の行徳などで「塩」が採れたことなどが理由とされる。この地域のメーカーでは、野田:キッコーマン、銚子:ヤマサ、ヒゲタなど、いまでも残る有名しょう油メーカーがあった。

 しょう油は、江戸の食文化の中心であった寿司、天ぷら、そば等にも欠かせない調味料であった。

 

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