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《日光街道》宿場を歩く【間々田宿】その1

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 間々田(ままだ)宿は、現在の栃木県小山市間々田である。野木宿からは一里二十七町(約6.9km)、江戸から十八里十五町二十間(約72.7km)だ。日光街道の旅人は、江戸から24.9kmの越谷宿か36kmの粕壁宿で1泊後、2泊目をこの間々田に泊まることが多かったためか、およそ1.9kmの宿場の人口947人に対して旅籠が50軒もあった。

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 JR宇都宮線の間々田駅で下車。まず「小山市立博物館」へ行く。間々田や小山の歴史を学べるが、江戸時代には、とくに乙女河岸を中心に、近くの思川(おもいがわ)の水運が栄えていたことがわかる。船問屋と船のある乙女河岸の模型は印象的で、つい撮影してしまった。なかなか間々田は見所が多い。

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 慶長五年(1600)、徳川家康は会津の上杉景勝攻めに際し、兵糧米や武器類を乙女河岸から陸揚げしたといわれています。

 乙女河岸はその後、日光東照宮の造営・修理の建築用材や、日光社参の荷物輸送にも大きな役割を果たし、他の河岸には見られない重要性をもっていました。

(小山歴史博物館 「御用河岸としての乙女河岸」展示より)

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    乙女河岸

『栃木の水路』(栃木県文化協会編)によれば、慶長年間(15961614)にはすでに河岸が設けられ、思川の水運が活用されていた。さらに日光東照宮の造営やその後の修繕に必要な木材、漆、金属類(銅・鉄・鉛)は、江戸から船で運ばれていた。このことから思川は御用川とも呼ばれた。思川は、古河で渡良瀬川に合流し、さらに利根川を経て江戸川など、江戸につながる。一般的に輸送された荷物は、江戸からの下りは(農業用の)肥料、〆粕と呼ばれる魚肥、灰、塩等であり、乙女河岸からは薪・炭をはじめ、米などが運ばれた。江戸深川付近までは、季節にもよるが2日から4日の日数を必要とし、船は船頭一人の房丁高瀬舟(長さ六間半:11.8m、幅二尺八寸:0.8m)が用いられた。

 この乙女河岸には、船問屋が3軒あり、最盛期には30艘の船が常駐していた。高瀬舟より一回り小さい舟に荷を積み替え、上流の黒川や小倉川流域に輸送もしていた。

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とくに有名なのが、元和四年(16184月に九州の黒田長政が日光に寄贈した石の大鳥居であるといわれている。九州福岡において巨石を削り、海路を輸送して乙女河岸から陸揚げされ、陸路日光に運ばれている。この大鳥居は今も日光東照宮の表参道にある。高さ9m、笠石の長さ14m、柱の直径が1mもある巨大なものである。乙女河岸の問屋山中八郎兵衛の努力で陸揚げされ、壬生・鹿沼・今市を経て日光に運ばれた。陸路は丸太を並べた上に石をのせて運んだそうである。(参考:小山市)

乙女大橋に行ってみたが、いまは面影もなく静かな川である。近くの乙女小学校の校庭からは、元気に走りまわるこどもたちの声がきこえた。のどかである。

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 思川から歴史博物館の隣の「乙女不動原瓦窯跡」を訪ねる。奈良時代から平安時代前期に瓦を焼いた窯の跡である。下野薬師寺や下野国分寺に供給していた窯の一つ。

 この窯跡の前には泉龍寺と乙女不動がある。南無不動明王の赤いのぼりがにぎやかだ。

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       乙女不動尊・泉龍寺(栃木県小山市乙女1-25-8)山号:御瀧山、真言宗豊山派。

乙女不動尊堂は、正徳四年(1714)泉龍寺中興の祖、淳元大和尚により建立されて以来、近在に多くの信者を集めていた。日光中禅寺湖中から発見されたというお不動様をまつる不動堂は、平成七年(1995)落雷で焼失したが、ご本尊不動明王は無事であった。平成八年、4768万円をかけ不動尊堂は再建された。

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☆☆間々田宿での昼食である。とにかく街道歩きは体力勝負だから、食事は大事だ。日光街道、角の老舗・手打ちそば「小川屋」へ。

 ランチの天ぷらセット900円。手打ちそばに、海老・イカ・なす・サツマイモの天ぷら、湯波のお煮しめ、漬物、みかんにごはんが付く。おいしいそばを濃い目のつゆでいただく。揚げたての天ぷらもうまい。地元では評判のお店というのも納得である。

■栃木県小山市乙女2-25-16 ■TEL0285-45-0077

■営業時間/平日1100150017002030 日祝日11002030

お休みは毎月:6日・16日・26日(日曜の場合は翌日)

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間々田駅に向かう交差点を左折、日光街道を行く。住宅街に「逢の榎(あいのえのき)」がある。ちょうど江戸から十八里、日光まで十八里と日光街道の中間地点である。朝廷の命を受け、毎年の家康の命日(東照宮例祭)に使わされる「日光例幣使」が、目印に植えさせたという伝承がある。例幣使の一団は5080人の大行列で京都を出発、中仙道を経て利根川、壬生を通って日光へ入ったが、実際には帰り道しか日光街道を利用しなかった。大名行列も道を譲るほどの権威をもっていたという。

 ところで「逢の榎」は、逢うが男女間の縁結びを連想させることから、庶民に信仰されたそうだ。「愛のエノキ」だったらよかったのにと思う。

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間々田の老舗和菓子屋「乙女屋」で十八里最中をおみやげに購入した。

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☆小川家住宅(小山市立車屋美術館)(小山市乙女3-10-34

 車屋美術館は現代アートを中心に展示をしているが、建物自体は旧小川家の米蔵を改装したものだ。

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小川家住宅は、近世の乙女河岸において肥料問屋「車屋」を営んでいた小川善平が、明治末期に日光街道(国道4号線)沿いに店舗や住居を移転した。その際に一部は乙女河岸から移築したそうだ。とくに主屋は内外部とも造りや保存状態がよく、近代和風建築としての価値も高い建物。現存建物のうち主屋・米蔵・肥料蔵・土蔵・表門の5棟が、平成19年国の登録有形文化財に登録された。

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 旧小川家住宅の対面に「さやま酒店」が見える。昔からの土蔵造りの建物で、表向きにはわからないが、内部は貴重な商家の構造だそうだ。清酒「逢いの榎」の看板もある。

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 立派な山門をもつ龍昌寺がある。いまから200年ほど前、疫病や日照りに苦しむ民衆を救うため龍昌寺の住職・法隆東林が、古事に習い龍の模型(龍頭蛇体)に祈願したところ、病も治り雨も降ってきた。そこで現在、間々田八幡で55日におこなわれている「間々田の蛇まつり」を発案したという話がある。

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■龍昌寺(小山市間々田1320)山号:天恵山、曹洞宗。

慶安四年(1651)、徳川三代将軍・家光の遺骸を日光へ運ぶ際、寺の境内に1泊安置された。当時の格式を物語る。また境内には「寝起(ねおこし)不動尊」が有名だ。

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 日光街道を行く。間々田の郵便局の前あたりに「問屋場跡」と「本陣跡」の案内板が立っている。間々田商工会がつくったものだが、両方共、駐車場があるだけで歴史的な建造物は何もなく、案内がなければ間々田宿の中心地だとわからない。

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 宿場町のはずれに面影を残す「旅館花屋」がある。現在営業中かどうか、わからないが、なつかしい建物である。

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 ひときわ目立つ高い鐘楼の山門は、浄光院である。

■浄光院(小山市大字間々田1252)真言宗豊山派。

境内には江戸時代の民間信仰である庚申塔が2つある。宝永元年(1704)のものと宝永三年(1706)のもので、いずれも「青面金剛(しょうめんこんごう)」像を刻む。

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コメント

いつも拝見しています。私、絵描きとしては失礼ですが記録としての写真のアングルな申し分ないですが、中に面白いアングルの写真があるのでそれの方がたろべえさんと表していると思います。中には思い出の地もあったりしますので懐かしく見させていただいています。
内容ではその中からご自身を発見する方が楽しいです。
たろべえファンとしてこうした見方もあるということをお知らせしておきます。
すっかり、浅草はご無沙汰していますが今年の5月には大きな荷降ろしが出来、浅草への回数が増えると思います。
立春を過ぎたとはいえ寒さ厳しいこの頃です。どうぞご自愛下さい。

投稿: bunsan | 2012年2月 5日 (日) 18時06分

bunsanbeer
コメントありがとうございます。
私も仕事が忙しくなり、夜は9時近くまで働いていますので、浅草の店には顔を出せません。
 私の写真に「おもしろいアングル」があるとのことですが、自分では気づきませんが、撮影するとき、最初の印象でアングルを決めます。お寺や神社は、奥行と幅を意識します。家並みは正面からは撮らず、斜めに撮り、屋根のラインを見せるようにはしています。

投稿: もりたたろべえ | 2012年2月 6日 (月) 17時05分

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