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《日光街道》宿場を歩く【古河宿】その1

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 古河宿(茨城県古河市)は、栗橋・中田宿から一里二十町、約6.1kmである。江戸から数えて八番目の日光街道の宿場だ。

とくに江戸時代に入ると、軍事・交通上の要衝であったため古河には有力な譜代大名が配置された。11家を数える歴代の藩主のなかでも土井家は、前後150年にわたって古河藩を治めた。その11代・土井利位(としつら)は、優れた政治家であったばかりか、雪の結晶を研究する科学者としても活躍した。また利位に仕えた家老に「鷹見泉石」がいた。(鷹見といえば、私の敬愛する渡辺崋山の描いた国宝の肖像画があまりにも有名である)

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 日光街道・奥州街道の宿場町として栄えた古河は、利根川と渡良瀬川の合流地点の立地を生かし、舟運も盛んで江戸との物資の交流都市として発展した。残念ながら古河城は明治初期に取り壊されてしまったが、明治三年に撮影された城の写真は残っている。(古河の都市観光を推進する会編の『城下町 古河を歩く』より)

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 さて古河宿は、町おこしの一環で「古河宿」の旗や幟(のぼり)を所々で目にすることができる。昔から城下町でもあり、宿場町でもあったこの町は、実に落ち着いていて歩きやすい。日光街道では、高札場跡や本陣跡の石碑は残っているが、まず「御茶屋口」へ向かう。

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 日光社参の徳川将軍は、日光街道のお茶屋口で古河城主の出迎えを受け、(たぶん茶を一服してから)茶屋口を左折して城へ入り、二の丸に宿泊したそうだ。この場所は、いま陽明堂という文房具屋さんになっている。

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 前述のとおり、古河城はすでに跡形もないが、その城跡地域には「古河歴史博物館」がある。なかなかしゃれた建物で館内を見学すると、古河の歴史がよくわかる。とくに江戸時代の宿場の様子や鷹見泉石の研究成果などが勉強になる。

    古河歴史博物館(古河市中央3-10-56)TEL:0280-22-5211

開館時間/09:00~17:00(入館は16:30まで)、個人400円。

休館:月曜日(祝日の場合は翌日)・第4金曜日・祝日の翌日・年末年始

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 博物館のすぐ前にあるのが「鷹見泉石記念館」である。江戸詰めの家老・泉石が晩年を送った武家屋敷が保存されている。規模はかなり縮小されているというが、静かで広々としたお屋敷だ。

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    鷹見泉石記念館)

開館時間/09:00~17:00(入館は16:30まで)、入館無料。

休館:月曜日(祝日の場合は翌日)・第4金曜日・祝日の翌日・年末年始

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 さて古河宿は人口3,865人、旅籠屋は31軒あった。(天保14年)江戸時代の旅行ガガイドブック『諸国道中商人鑑』の古河宿のページでも、いくつか旅籠が紹介されている。古河通り1丁目の中屋源七は、佐野の飛脚指定の宿で茶漬けや御酒肴(居酒屋)を看板にしている。古河2丁目の3軒であるが、諸国蚕種(さんしゅ)商人・江州(ごうしゅう)商人衆・上州煙草商人ならびに京屋嶋屋の飛脚の指定宿である紙屋五郎右衛門、越中富山商人・諸国商人宿の山形屋次郎兵衛は江戸から来ると街道の右側にあった。さらに御酒肴の大黒屋清兵衛である。

 

絹をつくる養蚕のために蚕の卵を売る蚕種商人や全国を歩く江州(近江の国)の近江商人を客としたり、飛脚が休憩・宿泊する指定宿、なかには富山の薬売りの宿など、いかに多くの商人たちが街道を行き来したかがわかる。

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