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《日光街道》宿場を歩く【はじめに】

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 関ヶ原の戦いに勝ち、日本統一に向け徳川家康は、物資の輸送や兵士の移動のため大動脈として諸街道を整備する。東海道をはじめ、日光街道・中山道・奥州街道・甲州街道の五街道である。日本橋を起点に日光街道(日光道中)は、宇都宮までは奥州街道と同じ道筋だ。

 

江戸時代につくられた「日光街道」(日光道中)は、日本橋から千住、草加、越谷、春日部、杉戸、幸手を経て栗橋で利根川を渡る。その後、古河や間々田、小山を過ぎ、宇都宮へ。今市を通過して徳川家康を祀る日光東照宮へと続く。宿場は21宿、全行程の距離36里11町で約144kmである。宿場はつぎの通りだ。

 

Chizu_2  千住宿(東京都足立区)、草加宿(埼玉県草加市)、越ヶ谷宿(埼玉県越谷市)、粕壁宿(埼玉県春日部市)、杉戸宿(埼玉県北葛飾郡杉戸町)、幸手宿(埼玉県幸手市)、栗橋宿(埼玉県北葛飾郡栗橋町)、中田宿(茨城県古河市)、古河宿(古河城下、茨城県古河市)、野木宿(栃木県下都賀郡野木町)、間々田宿(栃木県小山市)、小山宿(栃木県小山市)、新田宿(栃木県小山市)、小金井宿(栃木県下野市)、石橋宿(栃木県下野市)、雀宮宿(栃木県宇都宮市)、宇都宮宿(栃木県宇都宮市)、徳次郎宿(栃木県宇都宮市)、大沢宿(栃木県日光市)、今市宿(栃木県日光市)そして鉢石宿(栃木県日光市)である。  

 実際に歩いてみると、「江戸時代ブーム」の昨今であるが、宿場を町おこしにしようといった行政の考えが実現され、整備されている宿場もいくつかあるが、歴史の彼方に忘れさられた町も多い。

 草加市は日光道中でも「おくのほそ道」の松尾芭蕉にポイントを置いて、芭蕉像や曽良像を建てたり、橋をつくって街道を再現している。詳しい案内板を設置しているのは、古河市や小山市である。宿場として現代でも大きな町を形成しているのは、宇都宮市だ。そしてもっともにぎやかで、さびれてシャッター商店街が多いなかでもっとも健闘しているのは、千住であろう。北千住の宿場町商店街は実に活気にあふれている。

Photo_3  今回の企画では、宿場町を中心に紹介していきたい。江戸末期から明治・大正・昭和初期の古い町並みも興味深い。江戸時代からかわらないのは、各宿場町に残る寺社である。それらは街道を行き来した旅人たちも参拝したであろうし、休憩した場所のはずだ。中には将軍の東照宮への正式参拝である日光社参の折、休憩施設になった寺や神社も残っている。

 全行程約144kmであるが、ほとんど日帰りである宿場からつぎの宿場へ歩くといった手法をとった。東京から東武線やJR線で宿場近くの駅へでかけた。したがって歩き始めてからすでに半年が経過しているが、おそらく夏頃まで約1年がかりの旅である。(道標:中央区、春日部市)

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コメント

えーっ!歩いているんですか?Σ( ̄□ ̄)!

にしても沢山の宿場町が有ったんですね? つか我が地区にも北国街道の関所跡がありますが 鄙びすぎてます^_^;

投稿: ikkun | 2012年1月 4日 (水) 01時16分

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