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《日光街道》宿場を歩く【草加宿】

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 千住宿から草加宿までは、二里八町、8.7kmである。草加市は宿場の名残を大事に守り、芭蕉が「おくのほそ道」で行脚した川沿いの道を再現している。町中にはわかりやすい看板、案内板が各所に建つ。見事な町おこしだ。

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 現在、草加市役所がある場所が宿場の入口にあたるそうだ。そこには江戸時代の豪商浅古家の屋敷神であった子育て地蔵堂があり、市役所の横には浅古家本家の明治に再建された古い土蔵造りの家が残っている。(実は市役所の敷地は浅古家のものだったそうだ)

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 宿場らしい町並みの藤代家もある。草加から松原団地へ向かう綾瀬川沿いには、「札場河岸(ふだばがし)公園」があり、望楼や芭蕉ゆかりの矢立橋、百代橋もある。松尾芭蕉像と近くには川合曽良像も立つ。

    元禄2年(1689327日、松尾芭蕉は、門人の川合曽良を伴い、奥州に向けて江戸深川を旅立った。後に日本を代表する紀行文学「おくのほそ道」として結実するこの旅は、東北・北陸の名所旧跡をたどり美濃国大垣へ至る六百里・約2,400km150日間の壮大なものであった。

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    深川を出た芭蕉は千住宿まで舟で行き、そこで見送りの人々に別れを告げて歩み始める。

Photo_9 「もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日ようよう早加(草加)といふ宿にたどり着きにけり」(行く先の旅の困難を思うと、生きて帰ることができるかどうか不安にさいなまれる。旅に出たその日、重い荷物を担ぎながら、ようやく草加の宿にたどり着くことができた)しかし曽良の日記によれば、実際には「草加宿」には泊まらず、18kmも先の春日部に宿を取ったのである。

   

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東福寺

山号は松寿山不動院で真言宗智山派の寺である。

【本尊】不動明王

【住所】草加市神明町1343 電話番号、TEL0489-22-3051.

慶長11(1606)、草加宿を開いた大川図書が創建。長い参道を行くと存在感のある山門がある。本堂や鐘楼もどっしりと構える。梵鐘や表門外に安置されていた鋳造の地蔵は、第2次世界大戦時、供出にあった。梵鐘は昭和24年再鋳された。平成10年には、不動堂が新築。この不動堂は、明治五年四月、この東福寺にて行われた、「成田山新勝寺」の不動明王のご開帳を記念し、近隣の人々の浄財によって建立されたが、約百二十年の間に老朽化が進んだため新築という一大事業が勧められ無事完遂した。現在では、平成の「草加不動」として近隣の篤い信仰を集めているという。

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    草加 神明庵(お休み処)

宿場の端には、いかにも街道筋の趣きのある建物がある。「神明庵」と呼ばれる旧大津屋・久野邸だ。

町屋建築の2階建て延べ床面積約99平方㍍。外観は、切妻造り瓦ぶきで江戸末期の安政元年(1854)に建てられた、店舗と居住部分が丁の字に組み合わされた当時の商家様式を伝える地区内では最も古い建物だそうだ。かつては大津屋の屋号で料理屋を営んでいた。旧日光街道沿いには、近年まで江戸期や明治期の建物が現存していたが、老朽化やマンション開発、道路拡幅などで年々姿を消している。市が2004年に実施した「草加宿に残る住まいと蔵の建物」調査では、店舗付き住宅6、店舗2、蔵10、離れ家2棟などを残すのみとなった。さびしい限りだ。

 ここには草加宿のパンフレット資料をそろえ、名物の草加煎餅も販売している。ボランティアの店員さんは親切で宿場の説明をしていただける。街道歩きにはうれしいお休み処である。

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