« 《いさりび》お年賀 | トップページ | 《日光街道》宿場を歩く【粕壁宿】 »

《日光街道》宿場を歩く【越谷宿】

Photo  草加宿から越谷宿(越ヶ谷宿) までは、一里十八町、約7.0km。日光街道沿いには、古い町屋造りの家並みが数多く残っている。しかし宿場の案内板や説明板などは、まったくない。これは越谷市、行政の無策である。観光といえば大げさだが、江戸ブームの昨今、宿場町として整備すれば人はやって来ると思われるし、何らかの街の活性化につながるはずだ。いま手をつけなければ、江戸末期から明治・大正・昭和と続いてきた街道の文化も再開発等で、まちがいなく消えていく。

2 Photo_2 

 

  さて越谷の宿は、江戸時代最盛期でおよそ2kmの中に旅籠が52軒もあった。いまでも古い家並みは、越谷市越ヶ谷1丁目・2丁目あたりから、中町の本町商店街に点在している。いまでも営業中の白屋旅館、漆を商っていた中町の塗師屋、荒物屋の鍛冶忠商店など、趣のある街道筋を残している。

Photo_3

Photo_4

Photo_6

 江戸時代の旅行ガイドブック『道中商人鑑(どうちゅうしょうにんかがみ)は、各街道宿場の旅籠を紹介するものだが、越谷宿で旅籠「とらや」や食堂・薬屋「中屋」がイラスト付きで掲載されている。

S

 諸国御町人御商人方御定宿、江戸御店々御商人並びに御町人方御定宿、日光道中筋御商人御町人方御定宿、在々御百姓方御定宿等と宣伝文がある。おもな客は、町人や商人そして百姓だったわけだ。もちろん旅籠には、公用以外の私用で街道を行き来した武士も泊まった。

 旅籠に入ると、街道に向かって開け放たれた板の間で、客はまず足をすすぐ。草鞋(わらじ)で1日歩き続けるため、足は汚れていただろう。店先には飯盛り女だろうか、女中さんが立っている。1階の奥で火鉢にあたっている老女は、おかみさんであろうか、さらに奥に帳場(フロント)がある。おそらく客は、階段で2階の座敷に通される。風呂もある。宿泊は1泊2食付き。宿泊代は200文、現在の貨幣価値で2,000円から3,000円といったところだろうか。(地域・時代によって違う)もちろん相部屋。

S_2

 中屋。江戸から六里程、越ヶ谷宿入口にあった。耳の薬も発売しているが、どうやら本業は食堂のようだ。御茶漬、御料理、二八(そば)・浅(朝)めし・めんるいの看板が読める。往来を行く二本差しの武士や籠(かご)屋、馬で荷を引く男も描かれている。

|

« 《いさりび》お年賀 | トップページ | 《日光街道》宿場を歩く【粕壁宿】 »

江戸時代の旅」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/53676541

この記事へのトラックバック一覧です: 《日光街道》宿場を歩く【越谷宿】:

« 《いさりび》お年賀 | トップページ | 《日光街道》宿場を歩く【粕壁宿】 »