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《日光街道》宿場を歩く【野木宿】

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 野木宿は、古河宿より二十五町二十間、約2.8km。約1kmの町並みの中に旅籠は25軒、人口は527人(天保14年)と小さな宿場であった。

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 古河宿を後にして街道を行く。町はずれ近くにはヤオコーの大型ショッピングセンターがある。「塩滑(しおなめ)地蔵」前へ。体の悪い箇所にここの塩をつけると治るというが、塩は置いていなかった。街道の反対側には「THE CANAL HOUSE」というヨーロッパ風のステキな建物がある。結婚式場のようだが、どうしてこんな田舎に・・・。

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 しばらく行くと「野木神社」の鳥居を、街道沿いに発見。長い参道の奥に神社があった。仁徳天皇の時代、いまから1,600年も前からあったそうだ。延暦年間(いまから約1200年前)、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の帰途、褒美として社殿をつくったと伝わる。田村麻呂が植えたとされる大イチョウもある。江戸時代の文化三年(1806)に火災によって社殿を焼失したが、古河城主・土井利厚により再建された。明治時代には、同じ呼び名から乃木大将が度々参拝に訪れ、サーベルなどを奉納している。

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 坂上田村麻呂の蝦夷征伐は、延暦十三年(794)だが、東北地方(岩手・宮城)を中心に田村麻呂が創建したとされる寺社が多数存在する。特定の神仏の加護を受け、蝦夷征討や鬼退治をし、感謝して都へ戻る途中に寺社を建立したと伝わるものだ。何十人も何百人もの田村麻呂がいたのかもしれない。

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 いよいよ野木宿に入るが、宿場町らしい町並みはまったく残っていない。街道筋には農家が続く。住宅の横に「野木宿入口」の看板があるが、このあたりに宿場入口の木戸があったそうだ。

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 野木宿の本陣跡が熊倉家である。家の前には野木町教育委員会の「日光道中野木宿」の説明板が立っているが、昔の面影はまったくない。道路向かいが脇本陣のやはり熊倉家であるそうだが、同様に昔をしのぶ便(よすが)もない。

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 宿場内には満願寺、一里塚跡碑(痕跡は何もない)、浄明寺がある。

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■満願寺(栃木県下都賀郡野木町大字野木2029)、真言宗豊山派。

元治元年(1864)の十九夜塔がある。

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■浄明寺(栃木県下都賀郡野木町大字野木2044)、浄土宗。

嘉永五年(1852)の十九夜塔がある。

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歩いて行くと住宅の横に「野木宿道標」があった。太平追分の道標とも呼ばれるこの石碑には“是(これ)より太平に至る”と刻まれている。この横道を進むと、渡し場があり、川を越えると太平山(おおひらさん)への道という案内である。太平山神社(栃木県栃木市平井町659)への参拝者が、江戸時代には多かったことを物語っている。

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 街道が徐々に下って行く。小さな観音堂がある。正観音を祀る。敷地内には馬頭観音や石仏が安置されていた。嘉永三年(1850)の十九夜塔もあった。江戸時代から変わらぬ風景だろう。

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☆十九夜塔(写真:法音寺の十九夜塔)

先の満願寺や浄明寺でも見かけた「十九夜塔」、これは旧暦19日の夜に、集落の女性(主婦)が集まり、念仏を唱え、安産やこどもの無事成長を祈る信仰の一つ「十九夜講」である。集合場所は当番の家、お寺、お堂、最近では集会所・公民館などで、女性の守護仏である伝承の「如意輪観音(にょいりんかんのん)像」の掛け軸を掲げ、念仏を唱える。または十九夜供養塔におまいりする。勤行には念仏のほか、般若心経、十九夜和讃(南無阿弥陀仏)、真言(念仏)を唱えた。

 念仏唱和の後は、持ち寄った漬物や煮豆などを食べながらお茶を飲み談笑する。女性たちにとっては、信仰と娯楽の結びついた行事といえる。関東から東北地方を中心に江戸時代に盛んになった。西日本でもみられる。当初は如意輪観音像を刻んでいたが、江戸後期になると、「十九夜」の文字だけを刻む供養塔が多くなったそうだ。

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    ☆観音堂の先、らーめん中村屋で昼食である。

地元で人気の《らーめん 中村屋》だ。「佐野ラーメン」とうたっているラーメン屋さんで周辺に4店舗ほどあるようだ。

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 スープは澄んでいる。しょう油ダレは少量でほとんど塩味だ。塩は沖縄のヌチマースとある。特徴は、佐野ラーメンと同様に、中太平打ちのちじれ麺である。加水性が高くコシがある。なかなかあっさり味でうまいラーメンだ。550円。

 具材は大きめのやわらかチャーシューとメンマ、刻み長ネギと、きわめてシンプルだ。佐野のように青竹で麺を打つかどうかは、わからないが、塩味の効いたスープと麺の相性はよく、のど越しもよい。大きな餃子(3300円)も食したが、まずまずの味。

3300

■中村屋 野木店 (古河店、三和店、石下店がある)

■茨城県野木町野木1898-1、■TEL0280550059

■営業時間/10002100

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■法音寺(栃木県下都賀郡野木町友沼932)真言宗豊山派。

安永九年(1780)に立てられた芭蕉の句碑がある。“道ばたの むくげは 馬に 喰れけり”がそれだ。松尾芭蕉が『おくのほそ道』に出かける5年前の貞享元年(1684)の作で、門人によって建立されたそうだ。

 ところでこの法音寺の裏手、思川の段丘地帯に城跡が知られている。土塁や空堀などの遺構が残っている。戦国時代末期の天正年間(157392)、北条氏照にこの地を所領として与えられた小山氏の家臣・菅谷左衛門五郎が築城した城跡といわれている。

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■友沼八幡神社(栃木県下都賀郡野木町友沼)

徳川将軍が日光社参の際、江戸を出発して(岩槻城1泊後)2泊目の古河城を出て、約7.5kmのこの友沼八幡神社で小休止をした。八幡神社の境内にあった西運庵(運西庵)が将軍御休所であった。次は小金井宿の慈眼寺で昼食をとり、石橋宿方面へ向かった。この友沼の地は、『日光道中略記』によれば、はるかに森や林そして筑波山が眺望できる景勝地であったそうだ。残念ながら現在は、見えない。

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■若宮八幡神社と大日如来像(栃木県小山市乙女)

しばらく行くと、野木町から小山市である。ここに小さな八幡宮と有名な大日如来が鎮座している。この像は近くの満福寺の寺宝。宝永六年(1709)、江戸・湯島の渡部九兵衛が父母の供養のため、出身地の下野国都賀郡寒沢のこの地に安置した。以前は屋根もなく露座で置かれていたが、平成10年立派な覆屋ができた。

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 野木宿には「松原」という地名が残っている。中田宿から古河宿までは、杉並木ではなく、松並木が続いていたそうだ。現在、松はない。古い町並みが消えているなかで、この松原に立派な長屋門(秋元邸)が残っていた。庄屋さんのお宅であろうか。街道歩きには驚きがある。

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