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《日光街道》宿場を歩く【千住宿】

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 日本橋を出て千住宿までは、二里八町(約8.7km)である。江戸時代最盛期には、旅籠屋が55軒もあった。(天保14年1843)地方からの江戸への玄関口ともいえる「江戸四宿」でも最大の宿場である。

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 いまでも日光道中沿いの「宿場町通り」の商店街は、活気に満ち、多くの買い物客でにぎわいをみせている。どうやら物価も安く暮らしやすいようだ。

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 江戸時代に宿場として賑わっていた背景には、55軒の旅籠の内36軒がいわゆる「飯盛旅籠」という飯盛り女(遊女)を置いた宿であったことがある。旅人ばかりではなく、江戸の庶民も夜な夜な通ったものと思われ、千住宿の「金蔵寺」には遊女の供養塔がいまでも残っている。

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■金蔵寺

当寺は真言宗豊山派で、氷川山地蔵院(または閻魔院ともいう)と号す。本尊

は閻魔大王で、建武2年(1335)3月の創建という。
金蔵寺の門を入ると左側に2mほどの無縁塔がある。これは天保8年(1837)に起

こった大飢饉の餓死者の供養塔で、千住2丁目の名主永野長右衛門が世話人とな

り、天保9年(1838)に建てたものである。
碑文によれば「…飢えで下民に食なし…この地に死せる者828人…370人を金蔵

寺に葬り…」とある。
その塔と並んで建つ別の供養塔は、千住宿の遊女の供養塔で、この地で死んだ

遊女の戒名が石に刻まれている。
千住宿には、本陣・脇本陣のほかに55軒の旅籠屋があり、そのうち、食亮旅籠

(遊女屋)が36軒あった。江戸後期には宿場以外に江戸近郊の遊里として発達

した。そのかげで病死した遊女は無縁仏同様に葬られたその霊を慰めるための

供養塔である。(足立区教育委員会)

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■勝専寺

勝専寺は、文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基として草

創されたといいます。
「赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院を本山とする

。寺伝では文応元年(1260)勝専社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創

されたという。
江戸時代に日光道中が整備されると、ここに徳川家の御殿が造営され、徳川家

忠・家光・家綱の利用があった。また日光門主等の本陣御用を勤めた記録も見

られ、千住宿の拠点の一つであったことが知られる。
加えて当寺は、千住の歴史や文化に深くかかわる多くの登録文化財を今に伝え

ている。木造千手観音立像は千住の地名起源の一つとされ開基新井政勝の父正

次が荒川から引き上げたという伝承を持つ。
ほかに1月と7月の15・16日の閻魔詣で知られる寛政元年(1789)の木像閻魔大

王坐像、巻菱潭の筆による明治12年(1879)の扁額「三宮神山」を山門に掲げ

るほか、千住の商人高橋繁右衛門の冑付具足を伝来している。いずれも足立区

登録文化財となっている。(足立区教育委員会)

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■源長寺

浄土宗稲荷山勝林院源長寺と号す。慶長三年(1598)この地に住み開拓した石

出掃部亮吉胤により、同十五年(1610)一族の菩提寺として開かれたが、千住

大橋架橋等に尽くした郡代伊奈備前守忠次を敬慕してそのその法名にちなむ寺

号を付して開基としている。本尊は、阿弥陀如来。
墓地に、石出掃部亮吉胤墓(区指定記念物)大阪冬の陣西軍の武将矢野和泉守

墓、女行者心静法尼墓、三遊亭円朝が心静に報恩寄進した石燈籠、その他千住

宿商家の墓碑が多い。また草創期の寺子屋師匠だった多坂梅里翁の筆子塚、一

啓斎路川句碑等がある。(足立区教育委員会)

千住宿では、「横山家住宅」と「絵馬屋・吉田家」の建物が、日光街道の面影を伝えている。

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☆横山家住宅

宿場町の名残として、伝馬屋敷の面影を今に伝える商家である。伝馬屋敷は、街道に面して間口が広く、奥行が深い。戸口は一段下げて造るのが特徴である。それは、お客様をお迎えする心がけの現われという。

敷地は間口十三間、奥行が五十六間で鰻の寝床のように長い。

横山家は、屋号を「松屋」といい、江戸時代から続く商家で、戦前までは手広く地漉紙(じすきがみ)問屋を営んでいた。

広い広間、商家の書院造りと言われる帳場二階の大きな格子窓など、一種独特の風格を感じる。上野の戦いで敗走する彰義隊が切りつけた玄関の柱の傷跡や、戦時中に焼夷弾が貫いた屋根など、風雨に耐えてきた百数十年の歴史を語る住宅である。

(足立区)

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☆絵馬屋・吉田家

吉田家は、江戸中期より代々絵馬をはじめ地口行灯や凧などを描いてきた際物問屋である。手書きで描く絵馬屋は都内にほとんど見掛けなくなって、希少な存在となった。

当代の絵馬師は八代目で、先代からの独特の絵柄とその手法をと踏襲して、江戸時代からの伝統を守り続けている。縁取りした経木に、胡粉と美しい色どりの泥絵具で描く小絵馬が千住絵馬である。

絵柄は、安産子育、病気平癒、願掛成就、商売繁盛など祈願する神仏によって構図が決まっており、三十数種類ある。

これらの代表的絵馬が、現在吉田家に一括保存されている。時代ごとの庶民の祈願を知るうえで貴重な民俗資料である。(足立区)

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☆名倉医院

江戸時代から続く骨つぎの名倉医院。現在は整形外科だ。

なお、千住には「お休み処 千住街の駅」という施設がある。足立区観光交流協会が昔ながらの商家を改築して観光案内所にしている。街道歩きの方々にパンフレットなどの資料を提供したり、区内の観光ポイントを掲示等で紹介している。

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コメント

アドマチで見たと思います あの新しい電車!名前忘れました(^-^)日暮里?から? 内容とは違いますが行ってみたい街です

投稿: ikkun | 2012年1月 4日 (水) 01時25分

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