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《日光街道》宿場を歩く【石橋宿】その2

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 石橋宿には昔の町並みがいくつか残っている。愛宕神社から石橋駅への四つ角までに、味のある民家が数軒あった。

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 駅前には、「かんぴょう」を扱う店もあった。

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 手打ちそばの清水蕎麦屋は、いかにもうまそうな店の造りをしている。

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開雲寺である。金剛力士像2対を配した山門を入ると、右に鐘楼、左に地蔵堂がある。正面には本堂が構え、左手奥に書院、その手前が庫裏で、右手奥には護摩堂が鎮座する堂々とした寺である。

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■開雲寺(下野市石橋284-1)石橋山阿弥陀院開雲寺。真言宗智山派。

宝亀十二年(781)、下野薬師寺戒壇院第五世・恵雲律師により、薬師如来を御本尊に「瑠璃光院東光寺」として開山された。境内東北南の三面には濠を巡らした七堂伽藍の大山であった。文亀二年(1502)、宇都宮左少将成綱朝臣が多功岩見守満朝に命じて、東光寺を現在地に移し、伽藍を再興、澄海上人を請じて、阿弥陀如来を御本尊として安置し、「円明山開雲寺」と改称した。

江戸時代の慶長九年(1604)には徳川将軍より寺領七石の朱印を賜わり、日光廟造営後、徳川将軍家の日光東照宮参拝道中の休泊所となる。

慶安二年(1649)、宇都宮城主奥平忠昌が将軍の休泊所として御殿所を構築し、寛文四年(1664)に寺に寄与し、以後「御殿所開雲寺」と称する。さらに忠昌は寛文十一年(1671)、

石燈篭一基を寄進し、この燈篭は山門を通り左手に現存する。また、この当時を物語る絵図面も残っており、開雲寺の興隆を偲ぶことができる。

しかし、江戸時代も末期を迎え世相不穏の中、開雲寺も嘉永三年(1850)には類焼によって殿堂を焼失、さらに再建の最中、嘉永六年(1854)に失火、再び殿堂を焼失してしまった。翌年には仮の建物を建築したが、以後開雲寺は、昭和46年(1971)に本堂が、そして昭和62年(1987)に書院・記念堂・庫裡が落慶するまでの一世紀以上にわたり仮住まいを続けることになる。

 明治に入ると、元年より、真岡県・日光県等が統合され栃木県となるまでの約四年間、開雲寺に仮庁舎がおかれ、また明治九年(1876)、明治天皇の奥羽御巡幸に際しては御休憩されるなど、近代化の流れの中でも重要な役割を果たしてきた。

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 街道を行く。大谷石の塀のある屋敷だ。火に強く削りやすく軽い大谷石は、見た目もきれいだ。

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 「石橋あやめ園」の看板がある。時期ではないので行かないが、地元では有名とのこと。このあたりの地名は「通古山(とおりこやま)」とあり、かつて下古山(しもこやま)村であったが、日光街道が出来て人通りが多くなってきたので現在の地名になったそうだ。

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 東京から95km、宇都宮まで13kmの道路ポストがある。このあたりで「上三川町(かみのかわまち)」に入る。古くは“上之川”であって「之」が「三」に変化したようだ。

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 下野警察署(旧石橋警察署)の先に、ラーメン屋やそば屋であった「本陣」の兜武者が廃墟となって残っている。実に異様な風景だ。

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 しばらく行くと、大谷石の土蔵があり、「肖像画」店の店先に蛙と小さな「日光街道」の道標がある。

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 続いて街道の右側に小さな鞘堂地蔵尊(さやどうじぞうそん)がある。

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天授六年(1380)、宇都宮基綱と小山善政の軍勢が、激戦を繰り広げ、宇都宮軍が敗北し300余が討ち死にした。これを「茂原合戦」というらしい。その際、村人たちが亡くなった兵士たちの刀の鞘を集め、地蔵堂を建て供養したのが始まり。その後いつしか、この地蔵は安産にご利益があると信仰され、男の子なら白、女の子なら赤いひもを2本つくり、奉納するようになった。

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 このあたりの地名は「上三川町鞘堂」である。

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 村の鎮守であった星宮神社が町はずれにある。案内板等説明が一切ないため、由緒はわからないが、古いお社である。石橋宿も終わる。

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 歩き続けると、「茂原観音入口」の石碑がある。ここから2kmもあるためあきらめる。

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 自衛隊の駐屯地である。

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コメント

しかしお寺 神社って 火災にあうんですね? 浅草寺もそうでしたね? あ あれは五重塔かな?

狙いやすいとかなんでしょうか?

投稿: ikkun | 2012年2月 8日 (水) 12時43分

ikkunbeer
おっしゃる通りですね。古い神社やお寺は、ほとんど火災にあっています。木造だから仕方がありませんが、江戸時代などは、火が出ても水をかけて消すのではなく、類焼を防ぐために建物を破壊したわけですから、すぐ燃えてしまいます。
まさに建築→再建→焼失→再建の歴史です。bottle
浅草の五重塔も戦後に再建されています。確か2回くらい燃えています。

投稿: もりたたろべえ | 2012年2月 8日 (水) 16時48分

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