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《日光街道》宿場を歩く【小山宿】その2

Photo_23小山宿からは離れるが、中世から江戸初期まで小山には城があった。その名も祇園城跡(ぎおんじょうあと)」である。正確な築城年代は不明だが、築城が藤原秀郷とも小山政光ともいわれる。康暦二年(1380)から永徳二年(1382)の小山義政の乱の後、再興され、小山氏の居城となった。祇園社(ぎおんしゃ)(現在の須賀神社)を城守りとしたため、この名があると伝えられている。

戦国時代、小山氏は天正18年(1590)、天下統一を果たした豊臣秀吉によって領地を没収されてしまう。江戸時代のはじめごろ、わずかな期間だが、慶長十三年(1608)本多正純3万3千石の城となる。しかし正純は元和五年(1619)、宇都宮に転封になり、祇園城(小山城)は廃城となった。 

したがって初期を除き、日光街道が賑わった江戸時代に城はなかったことになる。(祇園城跡:小山市)

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現在の小山市役所の後方に「小山御殿」があった。小山評定の吉例に習い、徳川将軍家日光社参時の休憩・宿泊所として、17世紀はじめに設けられた。土塁は二重、番所(見張り)は16箇所もあり厳重な施設だった。大風により建物の一部が壊れたこともあり、小山御殿は天和二年(1682)、古河藩によって解体された。

 宿場町を歩いてみる。古い町並みも少し残っていた。

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 小山製材木材株式会社(小山市天神町2-7-26)。

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 脇本陣跡。「明治天皇行在所跡」で明治8年奥州巡行と10年も御還幸の際、御在所になった。問屋場は道路向かいだったが、いまは銀行になっていて何も痕跡はない。

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小山のまちの駅「思季彩館(しきさいかん)」(小山市中央町3-5-3)。小山の特産品・おみやげの販売をする。観光案内も兼ねる。建物は、旧八百忠の商家造りと石蔵を利用していて趣がある。(営業時間/09:00~19:00 月曜定休)

 さて、小山宿には道すがらお寺が多い。

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■常光寺(小山市中央町3-11-28)浄土宗。

寛延元年(1748)に造られた「かなぶつ様」と呼ばれる青銅の阿弥陀如来像があり、台座の一部に破損したところがあるらしい。(実際に行ってみたら、この阿弥陀如来像が台座を残して消えていた。修復中なのだろうか)これは慶応四年(1868)4月17日戊辰戦争のときに大鳥圭介軍の流れ弾が当たったといわれる痕である。市指定文化財。

そのほか将軍綱吉の信任が厚かった浄土宗大本山増上寺の住職・祐天上人自刻の百万遍の数珠がある。諸国行脚中「怪談累(かさね)が淵」で有名な累の亡霊を救ったときに用いた数珠と六字名号を保管している。市の重要文化財である。

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■光照寺 (小山市城山間3-6-10)山号は衆徳山無量院。時宗。

一遍上人像が合掌の姿で迎えている。永仁五年(1297)の開創。本尊は阿弥陀如来。激しい戦いが展開された戊辰戦争での政府軍死者2名の墓碑がある。この時は旧幕府軍の勝利だった。

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■興法寺(小山市本郷町2-7-37)天台宗。

徳王山妙楽院。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば、嘉祥二年(849)天台宗三世・慈覚大師円仁が、都賀郡室の八島に下向の際、小山荘に妙楽院を結んだのがはじまり。小山氏の祈願所であった。江戸時代には、第57世貫首・日光輪王寺宮・門跡公弁法親王が、しばしば休泊し、阿弥陀三尊像厨子などを寄進している。境内には十九夜塔や馬頭観音の石仏が残っている。

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 宿場の中に村社である愛宕神社がある。その先には老舗の和菓子屋があった。

☆村社・愛宕神社(小山市本郷)

貞応二年(1223)、小山城主小山朝政が、祇園城(小山城)の鬼門守護のため、京都の愛宕神社より勧請して創建。

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☆蛸屋(たこや)總本店(小山市本郷町2-8-26)

創業元禄十一年(1698)、伊達藩の仙台で始まった店だが、戦争疎開でこの地へ。お土産に小山評定最中「天下一の夢」と小山評定羊羹を購入。

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■天翁院(小山市本郷町1-9-41)祇園山万年寺。曹洞宗。

広い敷地をもつ格式ある禅寺である。久寿二年(1155)小山政光の開基。境内の奥には小山一族の墓がある。入口には高さ27m、枝張り8mもある、樹齢400年以上のコウヤマキの大木が出迎えてくれる。江戸時代の謎の俳人・菜花亭種好の句碑がある。まさに見たままを句にした写実性なのか、なんとなく味がある句だ。

 むっくりと 勝(すぐ)れて白し 春の不二

 よろづ代の 筑波の山や 秋のいろ

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☆☆小山の町外れ、喜沢で昼食である。

「県内最強 極太 自家製麺」「元気とお肉がてんこ盛 ジパング麺」、そんな幟(のぼり)やキャッチフレーズに誘われて、街道歩きのスタミナ補給は、ラーメン専門店《ジパング軒》である。

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 濃厚豚骨、背油、ニンニク、たっぷり野菜(もやし・キャベツなど)、ガッツリお肉のコピーが、メニューに踊る。名物「ジパング麺」を食べた。580円税別(税込609円)。

とにかく大きいチャーシューが2枚。野菜も大盛りで、見るからに盛り上がっている。スープは、豚骨しょう油味。ニンニクもつぶのまま、大量だ。背油も多い。麺は自家製の極太らしいが、それほど太いとは思わなかった。テーブルの上に置く黒胡椒や辛味噌で自由に味付けをするらしい。もやしやネギなどの野菜も自由に(さらに)トッピングできる。正直なところ、やっと完食した。普通盛りでこの程度。特別な味ではなかったが、インパクトのあるラーメンで間違いなし。元気になる。

    ジパング軒

    栃木県小山市喜沢1464-1(おやまゆうえんハーヴェストウォークに近い)

    TEL:0285-38-6605

    営業時間/11:00~24:00(年中無休)

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ところで江戸時代の旅行ガイドブック『諸国道中商人鑑』の小山宿から旅籠を紹介してみよう。

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 料理御茶漬御泊宿(りょうり・おちゃづけ・おとまりやど)、小山中町札場

 茶問屋忠兵衛

中町の札場(決まりごとや注意事項の高札を宿場の入口や中心部に掲示した場所)にあった。どうやら1階では製茶業と茶販売をおこない、2階が旅籠の様子。

 江戸深川講中定宿、小山中町東側中程、御泊宿 御本陣向かい

 柏屋清吉

深川の講(団体)指定の宿だった柏屋。本陣の向かいにあった。

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 街道を行く。喜沢1200番地、アイダエンジニアリング(株)の手前に観音堂がある。

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■観音堂(薬師堂)

境内右側に石仏。台座にのる、念仏供養の地蔵菩薩は享保三年(1718)建立で、「右 奥州海道、左 日光海道」とある。道しるべであったわけだが、街道ではなく《海道》と彫られている。

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 途中、樹齢400年以上といわれる3本のケヤキがある日枝神社(小山市喜沢)があった。ケヤキはすべて高さ30m以上もある。この地は祇園城の北の守りで砦があった。

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 小山宿から約3.4km、喜沢東の交差点へ。「喜沢の追分」である。

☆喜沢の追分

県道粟宮喜沢線(265号)から県道小山壬生線(18号)が、分岐する。左が壬生道で喜沢追分から壬生宿を経て楡木宿で日光例幣使街道と合流し、今市宿で再び日光街道と合流して日光へ至る街道だ。『おくのほそ道』で松尾芭蕉と曽良は、粕壁に1泊、間々田で2泊目、そしてここ喜沢追分から壬生方面に向かい、歌枕の室の八島(栃木県惣社町大神神社)を目指した。この壬生道は宇都宮経由の日光街道に比べ、5km程短いこともあり、江戸時代の庶民には、日光参拝に利用されることも多かったという。

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喜沢追分には石仏がある。明治27年(1894)の馬頭観音、日清日露中支出征馬碑に「左 壬生道」、「右 宇都宮道」の供養塔(道標)がある。つぎは新田宿である。

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