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《日光街道》宿場を歩く『宇都宮城』

 《日光街道》の宇都宮宿は、宿場町であると同時に、城下町でもあり、宇都宮大明神(二荒山神社)の門前町でもあった。城は残念ながら慶応四年(1868)、戊辰戦争で焼失してしまったが、宇都宮城址公園として再現されつつある。

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 宇都宮城は、天守閣はない平城だが清明台櫓(せいめいだいやぐら)と富士見櫓が復元されて美しい。また石垣はなく高さ10mの土塁が続いている。

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宇都宮城の基を築いたのは、平安時代後期に藤原秀郷とも藤原宗円ともいわれている。中世の鎌倉時代以降には、宇都宮氏が代々城主を務めた。近世に入ると、宇都宮氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、江戸時代には譜代大名の居城となった。

 とくに徳川家康の側近であった本多正純は、城と城下町の大改修をおこない、宇都宮の街並みの原型をつくったといわれている。

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 近世、宇都宮城の最大の特徴は、「将軍の日光社参における宿城」となったことである。日光社参は、徳川将軍(あるいは大御所や将軍家嫡子の大納言)による日光東照宮参詣のことで、幕府の権威を全国に知らしめる重要な公式行事であった。

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最初の日光社参は、元和三年(1617)徳川秀忠であり、最後は天保十四年(1843)の徳川家慶であったが、幕府の財政が逼迫するまで、合計19回実施された。その内16回が第四代家綱までに集中しており、とくに家康を崇拝していた第三代家光は10回と歴代最多であった。

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模型では、堀に囲まれた中心が将軍の宿泊する本丸である。なお清明台櫓は、天守閣の役割をしていたようだ。

宇都宮城といえば「釣天井事件」といって、城主・本多正純が日光社参から帰る秀忠を、からくり仕掛けの天井をつくって落下させ暗殺しようとしたという話がある。これは正純が、急に出羽(秋田県)に配置換えになったことから生まれた創作で、講談や芝居の題材になったことからよく知られている。史実ではない。

(参考:宇都宮市教育委員会文化課『宇都宮城』、宇都宮市都市開発部公園管理課『宇都宮城址公園』パンフレット)

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