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《日光街道》宿場を歩く【小金井宿】

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86km

 小金井宿は新田宿からわずかに二十九町、約3.2km。人口は767人。旅籠43軒であった。(天保14年)現在の行政区は、栃木県下野市である。2006年1月に、河内郡南河内町、下都賀郡国分寺町、同石橋町が合併してできた市だ。

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 ここ小金井宿の最大の見所は「小金井の一里塚である。保存状態がきわめてよく、日光街道(日光道中)では唯一、国指定史跡になっている。江戸幕府が五街道の整備に着手したのは、慶長九年(1604)。江戸日本橋を基点に一里(約3.92m)ごとに築かれたのが、一里塚だ。「小金井一里塚」は、日本橋から22番目のもので、江戸から二十二里(約86.4km)の地点である。現在の計測では、実際の距離は90km以上あるという。

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 一里塚は五間(約9.1m)四方の四角形に築かれ、榎(えのき)が植えられたが、いまでは変形して丸塚となってしまい、日光に向かって左の西塚には何代目かの榎が、右の東塚には榎とくぬぎが植えられている。右と左の塚の間が、日光街道の五間(約9.1m)の道幅で、現在の地表の約80cm下にあったことがわかっている。

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 旅人にとって一里塚は、道のりの目安となり、荷物や人を運ぶ(人足、馬引き、籠屋)料金の基準となっていた。

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どっしりとした、たたずまいを見せる慈眼寺がある。

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■慈眼寺(下野市小金井1-26-2)金剛乗院多宝山。真言宗智山派。

山門を入ると、右側に大きな布袋尊、石仏が数体ある。十九夜塔、二十三夜塔、二十六夜塔などである。

 境内の赤い千手観音堂は、江戸時代の建物。堂内には弘法大師作の千手観世音菩薩、延命地蔵菩薩、毘沙門天が安置されている。下野西国二十三番札所として、縁結び・安産・子育ての観音様として信仰されているそうだ。

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建久七年(1196)、下野の豪族・新田義兼公の開基により新田一族の祈願所として建立され、七堂伽藍のある東国の名刹寺院として、代々新田氏に保護されてきた。

 応永年間には醍醐の俊海僧正を迎え、中興第一世とした。それにより、京都醍醐寺の直末寺院となり末寺十数ヶ寺を有し、室町幕府の保護を受けて、寺門は大いに隆盛を極めた。

 江戸時代にはいって、慶安二年(1649)、徳川家光より、先規の例に習い、御朱印二十石を賜ると共に、これまで学問と修行の道場として活動してきた慈眼寺が、公式に常法談林として認められた。

 また、日光街道が整備され、とくに日光東照宮完成後、日光社参の将軍家は、慈眼寺を昼食所として定めた。それによって、将軍家とは、深い関係を持つに至った。

 その一例として、『宇都宮藩史録』の中に、享保十三年(1728)吉宗公の御時の記述がある。

四月十三日将軍家江戸発駕、岩槻城(城主永井伊豆守)泊

同 十四日御昼休幸手、古河城(城主本多中努太夫)泊

同 十五日御昼休、小金井慈眼寺、山城守名代日向守(宇都宮城主・戸田日向守忠眞)御迎トシテ参上、慈眼寺(入御ノ節、門前ニ於テ御目見、上意有之、相済テ宇都宮帰ル、

同 十六日宇都宮城出御

同 十七日御祭礼

同 十八日日光山出御、宇都宮城泊

同 十九日宇都宮城、出御 小金井慈眼寺ニ於テ御昼休

(訳文)

4月13日将軍一行、江戸を(籠で)出発し、岩槻城に宿泊/14日幸手宿で昼食休憩、古河城に宿泊/15日小金井宿慈眼寺にて昼食休憩、(将軍到着時、慈眼寺門前で宇都宮城主があいさつ後、城へ戻る)宇都宮城宿泊/16日宇都宮城出発/17日東照宮にて祭礼/18日日光山出発、宇都宮城宿泊/19日宇都宮城出発、小金井宿慈眼寺にて昼食休憩。

 また古文書によると、慈眼寺の住職は、毎年正月、江戸城に年始に参内することを許されていた。寺社奉行から拾万石大名の待遇をうけ、宿は江戸湯島天神門前町伊勢屋彦七旅館と定められており、二十日間を要する大行事であったようである。

安永五年(1777)には、将軍家治公の御来山を戴き、将軍家との関係も益々深くなり、

諸堂の改築もおこなわれた。

「寺宝」として祖弘法大師御遺告二十五条巻物(長さ九米余)や雨乞いの龍(左甚五郎作)、徳川家光寄進の葵紋打出し青銅三重杯、十一面観世音軸、御朱印箱(慶安二年八月二十四日良善頂之、徳川家光公より歴代将軍の御朱印証と御朱印書上帳)等がある。

 また、野口英世博士の恩師の墓が慈眼寺にある関係で納められた英世観音もある。

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 慈眼寺の隣には金井神社(下野市小金井1-26-16)がある。

村社とある。古くから村の鎮守様であったのだろう。鳥居をくぐると本殿までの参道にたくさんの赤い灯籠が立ち並び、壮観である。

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『金井神社 本殿案内板』より

 本殿の建築様式は一間社三方入母屋造といい、壁面には透彫りや丸彫りなどの立派な彫刻が施されています。この彫刻は江戸末期(1800年代)の製作と考えられ、作者は磯部氏系統の彫刻師であろうと推定されています。本殿の素材にはけやきが用いられており、素木造で彩色はありません。屋根はこば葺きで壁面には当時の人々の名前が刻

まれており、両側には彫刻の施された脇障子が付いています。

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 しばらく日光街道を進む。小金井宿の中心に本陣跡の大越家の門が残っている。塀は特産の大谷石である。栃木県宇都宮市の北西部・大谷町一帯で採掘される大谷石は、やわらかく加工しやすく、耐火性にすぐれ軽量のため、このあたりでは外壁や土蔵に多く使用されている。

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 宿場町らしい古い家並みもある。旧呉服屋だが、先の東日本大震災で工事中。

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 やがて右手に、いまは小さな蓮行寺の山門が見える。

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■蓮行寺〔れんぎょうじ〕(栃木県下野市小金井2936)珠栄山。日蓮正宗。

650年も前に建てられた古刹だが、どうやらたびたびの火災で再建されている。現在の建物は、まだ新しい。境内のすぐ後ろを東北新幹線が走っている。

 正平15年(1360)、開基は日蓮正宗大石寺第5世法主日行上人。江戸時代には将軍の日光社参の際、宇都宮藩主は蓮行寺にて出迎えていたそうだ。文政6年(1823)、火災で焼失し、再建される。

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 江戸時代の旅行ガイドブック『諸国道中商人鑑』の「小金井宿」のページである。

小金井宿中程 御泊宿(おとまりしゅく)加賀屋小間物屋定宿

控本陣 藤屋宇右衛門

小金井宿問屋場向 御茶漬 御休泊所 御酒肴

(菱屋亀右衛門)

まもなく自治医大駅になる。小金井宿を終える。

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