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《日光街道》宿場を歩く【徳次郎宿】その1

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 徳次郎宿は「とくじら」と読む。奈良時代、日光で大きな勢力をもっていた久次郎(くじら)一族が、日光二荒山神社から御神体を勧請して智賀都(ちかつ)神社を建て住みついた。彼らは、本家の久次郎に対して「外久次郎(そとくじら)」と称した。それが変化して「とくじら」となったそうだ。(宇都宮市徳次郎町)

 なお、徳次郎宿は宇都宮宿から二里十三町(約9.3km)の距離である。人口653人に対して旅籠は72軒もあった。(天保14年)また宿場は、上・中・下の3宿から成り、日光に近い上徳次郎、続いて中徳次郎、江戸側の下徳次郎であった。

 そして、このあたりは下徳次郎・中徳次郎・上徳次郎に加え、門前村・田中村・西根村を合わせて「徳次郎六郷」と呼ばれていた。

 宇都宮から徳次郎宿に入ると、杉や松などの並木が残っている。また旅人の目印となった一里塚も各所で修復復元されており、古い町並みこそ姿を消しているが、300から500m級の山々にも囲まれ、江戸時代の街道の雰囲気を体験できる。

 残念ながら徳次郎宿を歩いた日は、かなり強い雨であった。その日は今市までの踏破を予定していたものの、冬に戻った寒さと雨の冷たさに体力を消耗して、つぎの大沢宿まで歩くのが精いっぱいであった。

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 バス停「下徳次郎」あたりが下徳次郎宿だ。宿内の長さは三町十二間(約349m)であった。残念だが、昔の家並みはまったく残っていない。

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 山王団地入口の交差点に大谷道の道標がある。ここを左折すると、江戸時代に人気のあった大谷観音への道であった。いまは、この道も廃止されている。

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 しばらく行くと街道沿いに鳥居のような屋根付きの石門があり、入って行く。この鳥居には宝暦元年(1751)の銘がある。奥には薬師堂と三体の石仏がある。

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 石仏は、左から六面幢[どう]六地蔵(享保十六年1731)、十九夜塔(文久三年1863)、馬頭観音(文化元年1804)である。

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珍しいのは「六面幢六地蔵」で、六地蔵石幢、六面幢、燈籠式六地蔵などとも呼ばれる。石を六面に加工して、それぞれの面に6種類の地蔵を浮き彫りにしている。なぜ六面なのかといえば、仏教の六道(りくどう)に由来する。人間は常に悪行を犯し六道に輪廻転生(りんねてんしょう)する存在で、こうした人間を救おうとする地蔵の本願から六地蔵が分身した。六道とは地獄()、餓鬼()、畜生()、修羅(闘争)、人間、天上(喜悦)をいう。この石仏は、六面部分の石が台座の石に比べてかなり新しい。おそらく六面の地蔵面が摩耗したか破壊されたため、修復したものと思われる。

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◆徳次郎城跡

 薬師堂の反対側の道を入る。徳次郎城跡の案内看板がうれしい。道が右に曲がるところに城跡の案内があり、小さな鳥居と祠(ほこら)がある。城跡は雑木林にあり、堀跡や二の丸跡は確認できる。平城である。宇都宮城主22代・宇都宮国綱の家臣・新田徳次郎昌言が、宇都宮城の北方の守りとして、天正四年(1576)から十三年(1585)頃に築城したと考えられ、慶長二年(1597)、宇都宮氏滅亡に伴い廃城となった。

 徳次郎宿の地名であるが、この城の城主「新田徳次郎昌言」に由来するという説もあるが、やはり日光の久次郎(くじら)一族関連の説の方が、奈良時代と古いため有力ではないだろうか。

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◆田中道の道標

 徳次郎の交差点手前、左側の細い道に建つ小さな道標である。上部は朽ち欠けているが、かろうじて「神社入口約五丁」と読める。神明神社(神明宮)まで約545mとの意味だ。(神明神社は後述)

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 徳次郎の交差点である。このあたりから「中徳次郎」である。日光街道はまっすぐ進むが、神明神社を訪ねるために左折する。

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◆痣(あざ)地蔵堂

 交差点を左折後、細い道を右に入ると小さなお堂が見える。痣(あざ)地蔵堂である。

由来の説明板によれば、中徳次郎宿の本陣某氏が智賀都神社の東側、田川沿いの地を開墾している際、土中から地蔵が見つかった。直ちに智賀都神社の南広場に安置したが、その後文化四年(1794)、本陣入江氏によって元神宮寺という石屋根のお堂に移されたといわれている。この地蔵は痣地蔵と呼ばれ、「あざ」「いぼ」で困っている人がお願いをすると、不思議にも治るといわれ、近隣の村々はもちろん、遠く東京・福島・群馬方面からもお参りする人々が多数いた。その後、荒廃したお堂から公民館等に移転安置されたが、最近の平成612月、地蔵堂を建立するに至った。(案内板より)

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◆神明神社(神明宮)宇都宮市徳次郎町1594

 国道293号を北に入り、日光宇都宮有料道路沿いの畑の中に建つ神社。奈良時代の宝亀二年(771)建立といわれる。このあたりが昔、徳次郎の中心であった。五穀豊穣、災難防止の神である。

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この神社には「おしんめさまのこま犬」という古くからの言い伝えがある。お神明様の狛犬といった意味で、狛犬を持ち上げてみて、軽く上がれば願いがかない、重くて動かないと願いはかなわないというもの。この占いがよく当たるとのことで、多くの人でにぎわったそうだ。(現在、残念なことに、この狛犬は鍵のかかったお堂の中にあり、願いごと成就の占いをすることはできない)

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