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《日光街道》宿場を歩く【徳次郎宿】その2

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 現在の徳次郎の交差点から「中徳次郎宿」である。宿場の長さは二町五十一間(約311m)あった。ここには、旅籠であった池田家の建物が現存している。大谷石の立派な塀に囲まれ、屋根はスレート葺きに改築されているが、土台の母屋は江戸時代そのままである。

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◆智賀都神社(宇都宮市徳次郎町2478

 日光街道、中徳次郎を歩いていると、大きなケヤキがすぐ目に入る。歴史ある智賀都(ちかつ)神社である。創建は宝亀九年(778)、日光三社(二荒山神社祭神)の分霊を千勝森に勧請したのが始まりと伝えられている。徳次郎六郷(西根、門前、田中、上町、下町、中町)の鎮守として信仰され、江戸時代に入ると徳川家の崇敬社となり、社領の寄進などがおこなわれ保護されていた。鳥居の両脇のケヤキは推定樹齢700年の大木で栃木県指定天然記念物に指定。例祭の屋台奉納は3年に1度行われ、屋台は江戸時代から明治時代に造られた、全体に彫刻が施された華麗なもので宇都宮市指定有形文化財に指定。

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◆智賀都神社の「けやき(2)

西側のけやきは天に向かうように、東側のけやきは天を受ける枝を広げている。

推定樹齢は約700年で、高さは甲40m、乙40m、幹の太さは甲8m、乙7.3m

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 なお、境内には江戸時代「安永二年(1773)」の銘のある倒れた石鳥居からつくった常夜灯がある。(昭和5495日鳥居倒れる・・・と彫られていた)

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◆宝木用水(二宮堰公園)

新堀(宝木)用水は、この二宮堰を始まりとして徳次郎、宝木地区を経て、宇都宮の中心部を流れている川で、宇都宮市民にとって大変関わりの深い川です。

 この新堀は江戸時代末期に、二宮金次郎(後の尊徳)、その弟子の吉良八郎と村の人々の協力によって造られた人工の川です。

 第一期工事(徳次郎新堀)は徳次郎地区を潤しただけで宝木地区は土地が高いため、台地に水を引き上げることが出来ませんでした。そこで宝木用水は、地区の人々が台地に水を引くため、自分達で資金を集め、二宮金次郎の設計、弟子の吉良八郎の指導によって、第二期工事として完成されたものです。

 この二宮堰は田川から新堀、宝木用水へ水を引き込むという、とても大切な役割をはたしているところで、当時の面影がうかがえる場所でもあります。

 先人たちの思いがこめられたこの歴史ある川を、私たちも大切にしていきましょう。

以上、二宮堰公園の案内板(宇都宮市)より

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(二宮堰ができるまで)

文政六年(1823)、佐藤伝平が田川からの分水の設計をし、工事を始めたが中止。

文政八年(1825)、徳次郎の領民が、宇都宮藩に新堀開削を願い出て、田川から分水し、姿川まで通水することに成功したが、堀が崩れて流れがとまる。

文政十年(1827)、再び願い出て、改修したが又土手が崩れて流れがとまる。

嘉永五年(1853)、宇都宮領(徳次郎)が幕府領になったのを機に所管である真岡代官所に新堀開削を願い出る。二宮金次郎により徳次郎新堀が完成する。しかし、宝木地区は土地が高いため水を引けない。

安政二年(1856)、二宮金次郎、宝木地区の開削の設計をする。翌年死亡したため工事を中止する。

安政五年(1859)、宝木地区の村民は費用を調達し、吉良八郎の監督により六月に完成する。

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 この二宮堰公園は、文化遺産として当時の現場を木材や石で再現しており、とてもきれいな公園である。偉大な二宮尊徳が実践した土木仕法がわかりやすく表現されていることは、うれしい限りだ。

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◆徳次郎の六本杉

 しばらく行くと道路の中央分離帯に6本の杉が植えてある。どうやら平成14年に植えられたらしい。昔の杉並木を再現する試みだ。

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 いよいよ日光街道は、上徳次郎宿へ入る。宿場の長さは三町十四間(約353m)であった。

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 本陣跡の舘野邸である。舘野邸は、横に3軒ならんでいて、当時から力をもっていた家柄だとわかる。

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 日光街道の右側(東側)に「六本木(西石那田)の一里塚」が残る。江戸から30番目の塚で三十里だから約117.8kmである。左側(西側)の塚は失われてしまったようだ。

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左側には十九夜塔がある。如意輪観音像で天保十一年(1840)の年代が彫られている。近くに石仏が3体ある。左は馬頭観音で、おそらく街道のこのあたりで倒れた愛馬を供養するものであろう。

道はまもなく「石那田」である。昔は石が多く、「石難」と書き開墾に苦労した土地のようだ。

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 街道からパスタ専門店《すぱ屋》の手前の道を入る。二宮尊徳ゆかりの「石那田堰」の遺跡である。

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◆石那田堰(いしなだせき)

 嘉永五年(1852)、二宮尊徳の監督下でここ石那田に堰を設置した。徳次郎六郷の田畑に水を供給し、飲料水など人々の生活にも役に立つ六郷用水を引いた。現在は跡しか残っていないが、偉大な尊徳の功績を物語るものだ。二宮金次郎の石像が、田川を見つめている。

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◆馬力神の祠(ほこら)

 馬の守護神「馬力神」の碑が建つ。年代は確定できないが、おそらく幕末から明治期のものだと思われる。

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◆石那覇田八坂神社

 京都の八坂神社(祇園社)から勧請された牛頭天王(ごずてんのう)を祀る。717日から24日までおこなわれる天王祭は、疫病除けとして地元の6地区の屋台が繰り出す。屋台は江戸時代末期から明治にかけてつくられた彫刻屋台(天王祭付祭屋台)で有名である。京都の「祇園祭り」が疫病神を鎮め退散させるために花笠や山鉾を出して市中を練り歩くが、同様の起源であると考えられる。

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◆金勢様の祠

道祖神と金勢(金精)明神の習合した祠である。宝暦三年(1753)、文化七年(1810)、天保五年(1834)の石燈篭がある。金勢(金精)明神は、いわゆる男根崇拝の信仰で五穀豊穣や安産・子育て、下の病気平癒などに御利益があるとされている。

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◆海老王子(えびうち)

 しばらく行くと「海老王子」というバス停がある。このあたりの地名だ。以前、母の出身である東京都八王子市に行ったと時に調べてみたら、「八王子」という地名は、牛頭天王(ごずてんのう:スサノウノミコト)とその七男一女の子供たちである8人の王子を祀る「八王子神社」からきていた。ここ石那田にも牛頭天王を祀る八坂神社がある。したがって王子は石那田八坂神社に由来するが、「海老」については不明だ。このあたりの地名に「恵美内(えびうち)」があるのだが、読みは同じでも意味がまったくわからない。

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◆うらない仏(ほとけ)

日光街道、石那田町の道路沿いにある仏様である。全身にかけられた赤い布は、自分の体の悪い所と同じ場所に布を巻くと完治するといわれているためだ。また、この石仏の台座には3個のまんじゅう型の石が置かれ、人々が願いをかけ、どれかの石を持ち上げてみて、軽く感じられれば願いはかなうという「うらない仏」の言い伝えがある。

 日光街道関連のガイドブックには、この石仏が大谷石でできているため、風化が激しく仏像名がはっきりしないいが、「阿弥陀」であろう、という推察が多い。しかしどう見ても阿弥陀仏の特徴はなく、「地蔵菩薩」である。

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 このうらない仏の横には、庚申供養塔などの石柱が4体ある。庚申信仰は、60日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日に、その夜は眠らずに言行をつつしみ、長寿を祈る信仰で、この集まりを庚申待(こうしんまち)という。この信仰のもとは、中国の老子にもとづく道教の説による。人の体内にいる三尸(さんし)の虫(霊物)が、庚申の夜に天にのぼって、その人の罪を天帝に告げるために、寿命をちぢめられると言い伝えられてきた。そのために夜通し精進する。

 庚申供養塔には、すべての悪いものを追い払う力がある青面金剛(しょうめんこんごう)や、その使いである三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)と二羽の鶏(にわとり)、上方には日待(ひま)ち、月待(つきま)ちを表す日月(じつげつ)が浮きぼりされているのが特徴。当初は青面金剛や三猿像を彫っていたものが多かったが、次第に簡略化され「庚申塔(庚申供養塔)」あるいは「庚申」と文字のみを彫り付ける形式が増えてきたようだ。

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◆上小池の一里塚

 街道の東側(右側)の塚はない。西側(左側)の塚も案内板はなく、松の大木が植えられている小高い塚が残る。江戸(日本橋)から31番目の一里塚で、距離は約121.7kmである。日光まで20kmを切った。

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◆新渡神社(宇都宮市上小池499

 広い敷地に大きな杉がある。低い鳥居が印象的。ご神体は石の不動尊という。新渡(にわたり)神社と読むが、この「ニワタリ」と名の付く神社は、おもに福島・山形・宮城・栃木・茨城に100社以上あるようだ。「鶏(にわとり)」に関係するもので、おおむね、こどもの百日咳の折、鶏の絵を描いて納めると完治するといわれている。

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