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《嘉永五年道中日記》を読む【その10】

114日 名古屋(愛知県名古屋市)→桑名宿(三重県桑名市)約31km

 名古屋は石高619500石、尾張大納言様の御城下である。それより川岸へ出る。右の方角に天守閣と櫓(矢倉)が見える。宮宿より名古屋の出口まで三里。この間には家々が続く。次に毘沙門(福生院、名古屋市中区錦2-5-22の 毘沙門天と思われる)がある。72間の板橋があり、また24間の橋があり、続いて宮嶋川に32間の板橋が架かる。

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(名古屋城:名古屋観光名所スポット)

名古屋の「毘沙門天」は、先の福生院のほか、法応寺毘沙門天(名古屋市千種区青柳町6-25)、宝勝寺毘沙門天(名古屋市守山区市場4-45)が名高い。

 甚目寺へ二里。ここに観世音(甚目寺観音、愛知県あま市、真言宗智山派)がある。広大な敷地である。御朱印300石。

 津嶋村(愛知県津島市)へ三里。津嶋牛頭天王宮(津島神社)があり、ここは日本にある津嶋神社の総社である。御朱印300石、神主は35軒、ほかにもお参りする所は多い。続いて付切村、32間の板橋がある。それより20町ほどで佐谷へ行く。

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(津島神社:津島市提供)

 「津島参らにゃ片参り」と言われ、お伊勢参りの折りには、津島神社に参拝することがならわしとされていた。その信仰の厚さは今も変わることがなく、尾張近郊の人々ばかりではなく、東北や関東の人々からも「津島さん」「天王さん」などと呼ばれ、崇敬されている。除疫、授福の神である「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」とも呼ばれ、京都の八坂神社と並ぶ天王社として崇められる、全国に3000以上も点在する津島神社の総本社。

佐谷宿(佐屋宿、愛知県愛西市佐屋町)へ二十町。右側の小松屋源右衛門にて昼食、80文。

それより桑名宿まで三里、船で渡る。(三里の渡し)船賃36文。

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(広重 桑名)

 三里の渡しは佐屋湊の面する佐屋川から木曽川へ入り、鰻江(うなぎえ)川を通って桑名で東海道に合流する3里(約12km)の航路であった。宮宿と桑名宿の間の距離は陸路とあわせて計9里となり七里の渡しを使用する場合に比べ遠回りではあったが、川を通るため海上に出る七里の渡しに比べれば難破の危険や船酔いを避けることが出来、また、水上の距離も短かったことから盛んに利用された。三里の渡しの名称はこの航路の長さに由来する。

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(広重 桑名海上七里の渡口)

 本来は(名古屋)熱田の宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着く「七里の渡」を利用する。宮宿(現名古屋市熱田区)と桑名宿の間は、海路7里の渡船と定められていた。桑名に入ると、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」があり、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられている。

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(桑名 季節料理竹提供)

 桑名の名物は、いまでも「焼き蛤(はまぐり)」である。桑名は、蛤が獲れる日本で数少ない漁場の一つとなっているそうだ。主な漁場は木曽三川河口域で、淡水と海水が程よく混ざった汽水域で、蛤の生育に最適な肥沃で広大な干潟が形成されている。「桑名の蛤」は大型かつ美味上質で、条件の良いものは生食(せいしょく)も可能。また桑名産蛤が全国的に有名になったのは、桑名が交通の要衝であったことに加え、良質の蛤が採れたことが理由であると考えられている。

焼き蛤は、伝統的に油分を含んだ松の葉で蒸し焼きにして、旨みを閉じ込めたため、おいしいそうである。

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