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《嘉永五年道中日記》を読む【その6】

19日 掛川宿(静岡県掛川市)→坂下(静岡県浜松市天竜区春野)約48km

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 掛川宿は、石高53700石、太田備後守の城下である。宿場の出口に金属製の灯籠がある。それより土橋があり、また30間の土橋がある。ここから秋葉山の入口になり、金の鳥居、灯籠が二つあり、道はこれより右へ入る。本郷村(掛川市)へ二里。次に細谷村(同)、ここには切通しがあり、太田川を渡る。8文。

 

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(掛川城 掛川市提供)

 森町(浜松市天竜区森町)へ一里。右側の大国屋源五郎で小休止。ここは石高3000石、土屋伊賀守の御陣屋があり、よい所である。このあたりの名物に黒豆入りの黄色のおこわがある。三倉村(同)へ二里半。右側の柏屋元七で昼食、56文。このあたりに四十八瀬川が流れ、橋が多い。市ノ瀬村(同)へ二十五町。ここに橋があり、3文。続いて峠がある。小奈良安(浜松市天竜区春野)へ一里半。ここに木田川(気田川)の舟渡し12文。狗井(犬居、同)へ一里。このあたりにはとまりやがあり、茶屋が多い。

 

 坂下(浜松市天竜区春野)へ十四町。ここは秋葉山の麓(ふもと)である。右側の旅籠・柏屋丹七に宿泊。宿泊代172文。

 

110日 坂下(静岡県浜松市天竜区春野)→熊村(浜松市天竜区龍山町)約31km

 栗橋という地がある。それより秋葉山(秋葉山本宮秋葉神社、静岡県浜松市天竜区春野町領家841)へ五十町。金の鳥居が三つあり、仁王門から石・金・木製の灯籠は、数知れず多くある。ここより奥の院は女人禁制である。また金の鳥居があり、南向きである。お参りする所が多い。それより十倉(とくら)村へ下る。金の鳥居がある。

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(秋葉神社鳥居:トシのnanoログ提供)



 秋葉山、秋葉寺(しゅうようじ)とその守護神・三尺坊大権現が、防火の神として有名になったのは、江戸時代に入ってからである。秋葉山は庶民だけでなく、武士の間にも信者を得ていた。武将たちは刀剣などを奉納して戦勝を祈願したそうだ。一般庶民は、主に「秋葉講」という組織をつくって秋葉山に代参(代表者の参拝)した。家内・講内安全と火災消除を祈念して、防火の御札をもらってきた。秋葉講の講社数は、最盛期で全国に3万余を数えたといわれる。

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(秋葉神社:トシのnanoログ提供)

 とくに森町村は秋葉道の中核的宿場として、人馬の継立て、生活用品の集散地、六斎市(39の火、月6回の市)も開かれ、道沿いには商家を連ね、旅籠も多かった。茶や古着を扱う商家が有名であった。一般に秋葉街道といえば、掛川→森→三倉→坂下→秋葉山で、「森の横町なぜ日が照らぬ。秋葉道者の笠のかけ」と俗謡にうたわれた。

(参考:静岡県森町)

 

 十倉村(戸倉、静岡県浜松市天竜区龍山町)へ五十町。西川村(同)へ二十五町。このあたりに川(天竜川)があり、舟で渡る。12文。石打村(浜松市天竜区春野)へ二里。昼食、52文。次に8間の板橋があり、通行料2文。それより御坂である。

 

 熊村(浜松市天竜区龍山町)へ二里。右側の旅籠・太田屋金蔵に宿泊。宿泊代164文。

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