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《嘉永五年道中日記》を読む【その9】

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(広重 岡崎)

113日 岡崎宿(愛知県岡崎市)→名古屋(愛知県名古屋市)約41km

 岡崎は石高50000石、本多中務大夫の御城下である。

この間に土橋が三か所あり、続いて矢はぎの橋(矢作橋)、京間で152間、並間で208間である。この橋の御朱印は1万石ある。右側に小寺がある。源義経公の菩提寺という。ここに浄瑠璃姫の伝説がある。一行は1組につき100文の拝観料を払ってこの寺の宝物を見学。

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(岡崎城:岡崎市観光協会)

義経の菩提寺がこの地にあるわけはない。義経は1174年、奥州平泉の藤原秀衡[ひでひら]を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ、兼高長者の家に宿をとった。この兼高夫婦の娘が浄瑠璃姫である。姫の琴に合わせ、笛を吹く義経との間に恋が芽生えた。しかし義経は旅を続けるため、この地を去り、かなわぬ恋に失望した浄瑠璃姫が、川に身を投げ短い人生を終えてしまった。これが伝説である。ここに記された「小寺」を特定することはできないが、おそらく誓願寺(岡崎市梅園町虎石10-1と思われる。兼高長者は身を投げた浄瑠璃姫をこの寺に葬ったと伝わる。姫の墓や義経木像・浄瑠璃姫木像などが安置されている。

 

観光で岡崎を訪れたことがあるが、岡崎城のある広大な公園は見事なものだ。また、この地は「八丁みそ」が有名。いわゆる赤だしであるが、一行も岡崎宿に泊まり、宿の夕食では味噌田楽や赤だしの味噌汁に舌鼓を打ったことだろう。

 

次に大浜村(愛知県安城市)、ここは奥州福島の領地で石高1万石、御陣屋がある。

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(広重 池鯉鮒)

池鯉鮒(ちりふ・ちりゅう)宿[知立宿]へ三里二十九町。この宿場のはずれに御公儀様(徳川将軍)が上洛する際に休憩した御茶屋御殿が左側にある。それより右側に明神社(知立神社:池鯉鮒代明神)がある。続いて今川村、ここは立場がある。

また、梅屋重兵衛という店がある。道中一番の酒造という。ここで一合80文の名酒を呑む。次に三州・尾州の国境の川(境川)がある。そしてそれより今川義元織田信長桶狭間村の合戦場がある。右側に今川殿の鎧(よろい)掛け松が田んぼの淵にある。続いて有松村(愛知県名古屋市緑区)、ここには鳴海しぼり(有松絞り)という名品がある。本宿(宿場町)はまったくない。

 

 桶狭間の戦いは、諸説あるが今川義元軍総勢2万を超える大軍の内、本体5000600の兵が、織田信長軍の精鋭2000の奇襲に敗れ、義元は戦死した戦である。これを機に今川氏は没落、信長は覇権を極めていったことが知られている。

 有松は古い街並みが残っている。有名な「有松絞り」は、とくに浴衣の生地、柄が人気だ。やさしい色合いや絞りの模様がなんともすがすがしい。

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(広重 鳴海)

 鳴海宿へ二里三十町。藤屋伝兵衛にて昼食、68文。次に扇川、17間の板橋があり、また29間の土橋がある。それより笠寺村。

笠寺村に天林山龍福寺(天林山 笠覆寺、名古屋市南区笠寺町上新町 83、真言宗智山派)があり、御本尊は観世音である。宿坊がある。御朱印は二町三反三畝歩という。

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(広重 宮)

 宮宿へ一里半。ここには熱田大神宮大社(熱田神宮、名古屋市熱田区神宮1-1-1)がある。御朱印は1万石、灯籠がたくさんある。

 

 名古屋へ一里半。左側の旅籠・銭屋所次右衛門に宿泊。宿泊代224文。

 

 いよいよ名古屋である。熱田神宮は広い。なぜか鶏(にわとり)がたくさん放し飼いにされている。

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