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2012年6月の25件の記事

《築地すし鮮》浅草雷門店

 浅草でお客様と会合があり、《築地すし鮮》へ行く。このところ仕事がいそがしく、すし屋さんは久しぶり。「築地」と名乗るだけあって、ネタは新鮮でうまい。が・・・、店員さんの教育がお粗末そのものだ。

 注文をしても30分は品物が出てこない。ビールのグラスでさえ、なかなか持ってこない。2階を利用したが、混んでいるせいもあってか、調理場には洗い物が山になっており、お客が帰ってもテーブルが片付けられる気配もない。誠に残念な店だ。

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 「創作握り」は、ゆば、マグロとアボガド、イカ、サーモン・いくら、卵焼き。どれもネタが良くうまい。

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 巻物。梅しそ巻き、納豆巻き、ウニ巻き、ツナ巻き。細巻でうまい。

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 白身・光物。光物は、小肌、サバ、イワシ、アジと新鮮だ。

 すし屋の命、ネタが良いだけに従業員の教育がおろそかなのは、言語道断。24時間営業だけに、みんな疲れてしまっているようだ。

    築地すし鮮 浅草雷門店

    東京都台東区雷門2-16-9

    24時間営業、年中無休

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《嘉永五年道中日記》を読む【その10】

114日 名古屋(愛知県名古屋市)→桑名宿(三重県桑名市)約31km

 名古屋は石高619500石、尾張大納言様の御城下である。それより川岸へ出る。右の方角に天守閣と櫓(矢倉)が見える。宮宿より名古屋の出口まで三里。この間には家々が続く。次に毘沙門(福生院、名古屋市中区錦2-5-22の 毘沙門天と思われる)がある。72間の板橋があり、また24間の橋があり、続いて宮嶋川に32間の板橋が架かる。

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(名古屋城:名古屋観光名所スポット)

名古屋の「毘沙門天」は、先の福生院のほか、法応寺毘沙門天(名古屋市千種区青柳町6-25)、宝勝寺毘沙門天(名古屋市守山区市場4-45)が名高い。

 甚目寺へ二里。ここに観世音(甚目寺観音、愛知県あま市、真言宗智山派)がある。広大な敷地である。御朱印300石。

 津嶋村(愛知県津島市)へ三里。津嶋牛頭天王宮(津島神社)があり、ここは日本にある津嶋神社の総社である。御朱印300石、神主は35軒、ほかにもお参りする所は多い。続いて付切村、32間の板橋がある。それより20町ほどで佐谷へ行く。

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(津島神社:津島市提供)

 「津島参らにゃ片参り」と言われ、お伊勢参りの折りには、津島神社に参拝することがならわしとされていた。その信仰の厚さは今も変わることがなく、尾張近郊の人々ばかりではなく、東北や関東の人々からも「津島さん」「天王さん」などと呼ばれ、崇敬されている。除疫、授福の神である「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」とも呼ばれ、京都の八坂神社と並ぶ天王社として崇められる、全国に3000以上も点在する津島神社の総本社。

佐谷宿(佐屋宿、愛知県愛西市佐屋町)へ二十町。右側の小松屋源右衛門にて昼食、80文。

それより桑名宿まで三里、船で渡る。(三里の渡し)船賃36文。

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(広重 桑名)

 三里の渡しは佐屋湊の面する佐屋川から木曽川へ入り、鰻江(うなぎえ)川を通って桑名で東海道に合流する3里(約12km)の航路であった。宮宿と桑名宿の間の距離は陸路とあわせて計9里となり七里の渡しを使用する場合に比べ遠回りではあったが、川を通るため海上に出る七里の渡しに比べれば難破の危険や船酔いを避けることが出来、また、水上の距離も短かったことから盛んに利用された。三里の渡しの名称はこの航路の長さに由来する。

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(広重 桑名海上七里の渡口)

 本来は(名古屋)熱田の宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着く「七里の渡」を利用する。宮宿(現名古屋市熱田区)と桑名宿の間は、海路7里の渡船と定められていた。桑名に入ると、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」があり、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられている。

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(桑名 季節料理竹提供)

 桑名の名物は、いまでも「焼き蛤(はまぐり)」である。桑名は、蛤が獲れる日本で数少ない漁場の一つとなっているそうだ。主な漁場は木曽三川河口域で、淡水と海水が程よく混ざった汽水域で、蛤の生育に最適な肥沃で広大な干潟が形成されている。「桑名の蛤」は大型かつ美味上質で、条件の良いものは生食(せいしょく)も可能。また桑名産蛤が全国的に有名になったのは、桑名が交通の要衝であったことに加え、良質の蛤が採れたことが理由であると考えられている。

焼き蛤は、伝統的に油分を含んだ松の葉で蒸し焼きにして、旨みを閉じ込めたため、おいしいそうである。

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《生駒軒》浅草雷門の「タンメン」

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 昭和の中華食堂、浅草の《生駒軒》(東京都台東区雷門1-12-103-3844-6853)でタンメンを食べた。

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 具材はもやし、ニラ、キャベツ、ニンジンに豚肉と実にオーソドックスである。ちょうどいい塩梅の塩味だ。しかし《生駒軒》は、麺の量が多い。

 肉野菜をしっかりと炒め、麺の入った鶏ガラ等のスープ(塩味)に加える、日本の中華料理だ。《生駒軒》のタンメンは、間違いなくうまい。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その9】

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(広重 岡崎)

113日 岡崎宿(愛知県岡崎市)→名古屋(愛知県名古屋市)約41km

 岡崎は石高50000石、本多中務大夫の御城下である。

この間に土橋が三か所あり、続いて矢はぎの橋(矢作橋)、京間で152間、並間で208間である。この橋の御朱印は1万石ある。右側に小寺がある。源義経公の菩提寺という。ここに浄瑠璃姫の伝説がある。一行は1組につき100文の拝観料を払ってこの寺の宝物を見学。

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(岡崎城:岡崎市観光協会)

義経の菩提寺がこの地にあるわけはない。義経は1174年、奥州平泉の藤原秀衡[ひでひら]を頼って旅を続ける途中、矢作の里を訪れ、兼高長者の家に宿をとった。この兼高夫婦の娘が浄瑠璃姫である。姫の琴に合わせ、笛を吹く義経との間に恋が芽生えた。しかし義経は旅を続けるため、この地を去り、かなわぬ恋に失望した浄瑠璃姫が、川に身を投げ短い人生を終えてしまった。これが伝説である。ここに記された「小寺」を特定することはできないが、おそらく誓願寺(岡崎市梅園町虎石10-1と思われる。兼高長者は身を投げた浄瑠璃姫をこの寺に葬ったと伝わる。姫の墓や義経木像・浄瑠璃姫木像などが安置されている。

 

観光で岡崎を訪れたことがあるが、岡崎城のある広大な公園は見事なものだ。また、この地は「八丁みそ」が有名。いわゆる赤だしであるが、一行も岡崎宿に泊まり、宿の夕食では味噌田楽や赤だしの味噌汁に舌鼓を打ったことだろう。

 

次に大浜村(愛知県安城市)、ここは奥州福島の領地で石高1万石、御陣屋がある。

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(広重 池鯉鮒)

池鯉鮒(ちりふ・ちりゅう)宿[知立宿]へ三里二十九町。この宿場のはずれに御公儀様(徳川将軍)が上洛する際に休憩した御茶屋御殿が左側にある。それより右側に明神社(知立神社:池鯉鮒代明神)がある。続いて今川村、ここは立場がある。

また、梅屋重兵衛という店がある。道中一番の酒造という。ここで一合80文の名酒を呑む。次に三州・尾州の国境の川(境川)がある。そしてそれより今川義元織田信長桶狭間村の合戦場がある。右側に今川殿の鎧(よろい)掛け松が田んぼの淵にある。続いて有松村(愛知県名古屋市緑区)、ここには鳴海しぼり(有松絞り)という名品がある。本宿(宿場町)はまったくない。

 

 桶狭間の戦いは、諸説あるが今川義元軍総勢2万を超える大軍の内、本体5000600の兵が、織田信長軍の精鋭2000の奇襲に敗れ、義元は戦死した戦である。これを機に今川氏は没落、信長は覇権を極めていったことが知られている。

 有松は古い街並みが残っている。有名な「有松絞り」は、とくに浴衣の生地、柄が人気だ。やさしい色合いや絞りの模様がなんともすがすがしい。

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(広重 鳴海)

 鳴海宿へ二里三十町。藤屋伝兵衛にて昼食、68文。次に扇川、17間の板橋があり、また29間の土橋がある。それより笠寺村。

笠寺村に天林山龍福寺(天林山 笠覆寺、名古屋市南区笠寺町上新町 83、真言宗智山派)があり、御本尊は観世音である。宿坊がある。御朱印は二町三反三畝歩という。

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(広重 宮)

 宮宿へ一里半。ここには熱田大神宮大社(熱田神宮、名古屋市熱田区神宮1-1-1)がある。御朱印は1万石、灯籠がたくさんある。

 

 名古屋へ一里半。左側の旅籠・銭屋所次右衛門に宿泊。宿泊代224文。

 

 いよいよ名古屋である。熱田神宮は広い。なぜか鶏(にわとり)がたくさん放し飼いにされている。

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《マルちゃん正麺》はうまい!!

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 東洋水産の《マルちゃん正麺》を初めて食べた。CMで気にはなっていたが、実際に食して驚いた。「麺」がインスタントとは思えない。生麺のようだ。縮れ麺ではなく、中太麺。3分煮込むとあるが、やわらかくなるので、茹で時間は2分半くらいが適当だ。

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 自宅では、味をみるためシンプルに、もやしのみを入れてみた。麺ばかりではなく、スープ(粉末ではなく液体)も鶏ガラ・豚骨風味でうまい。

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 インスタント・ラーメンの進化系である。

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LIPTONの《EARL GREY MILK TEA》新発売

 本日、ファミマで発見。ミルクティーだが、アールグレイである。「ベルガモットの柑橘系のやさしい香りとミルクのコクを堪能できるアールグレイミルクティ」と書いてある。

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 《EARL GREY》といえば、中国茶的でエキゾチックな風味のため、ミルクティーには不向きだと(勝手に)思っていた。ミルクティーといえば、《アッサム》ではなかったのか。これはこれは、認識不足というもの。認識を新たにした。これはうまいし、香りもよい。普通の「ミルクティー」105円に対して、こちらは147円。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その8】

112日 新城(愛知県豊川市)→岡崎宿(愛知県岡崎市)約43km

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 新城は石高7000石、菅沼新八郎の御陣屋がある。

大木(愛知県豊川市、三河一宮)へ二里半。それより原っぱに出る。右は御油宿、左は豊川へ行く立石(案内石碑)がある。

 豊川村(愛知県豊川市)へ一里。ここに御影石の大きな鳥居がある。正一位豊川稲荷大明神(豊川稲荷、愛知県豊川市豊川町1番地、円福山豊川閣妙厳寺、曹洞宗)がある。

拝殿より本社(本殿)まで、木の鳥居の数は212本あり。焼物の白狐が多い。ここに、こもり家が(幅)5間半、(奥行)36間ある。

次に本王之神社(神明宮?、豊川市金屋本町1)がある。金谷村の原に御影石の大鳥居がある。続いて御油に出る。石灯籠あり。ここに28間の石橋がある。

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(豊川稲荷:豊川市観光協会提供)

 豊川稲荷は神社ではなく曹洞宗の寺(妙厳寺)であることは、意外に知られていない。訪ねてみると、すっかり街に同化して、神社の門前町が形成されている。白いキツネは、境内にも多く見られる。

 

 御油宿へ一里半。左側のゑびや安左衛門にて昼食、64文。

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(広重 御油宿)

赤坂宿へ十六町。この間に土橋が二か所ある。次に実蔵寺村があり、永澤三久様(?)、家康公のおば女(?)がいた。右側高い所に御陣屋(代官所)がある。

 

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(広重 赤坂宿)

 「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」といわれるほど、御油宿や赤坂宿は、飯盛女で有名であった。大名行列でしばしば宿泊する武士たちの間にも、一夜を共にする女の存在が楽しみであったのだろう。

 

 藤川宿へ二里九町。ここに35間の土橋あり。太平村(愛知県岡崎市)、ここに石高1万石の大岡越前守の御陣屋がある。

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(広重 藤川宿)

 岡崎宿へ一里二十五町。左側の旅籠・大津屋勘助に宿泊。宿泊代172文。

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病みつきになる《祥龍房》の麻婆豆腐

 本所吾妻橋(東京都墨田区吾妻橋2-2-8)の《祥龍房(しょうりゅうぼう)》である。何度も取り上げているが、ここの麻婆豆腐がうまい。正式には「祥龍房刀削麺荘」。定食700円。

 

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 中国人シェフがつくるため、かなり辛い。麻婆豆腐は本場・四川省では、花椒は粒で入れるたり、粉にしたものを仕上げに振りかける。大量に掛けるので表面が黒くなるほどである。「麻」(山椒の痺れるような辛味)、「辣」(唐辛子の辛味)、どちらが不足しても本場の麻婆豆腐にはならないそうだ。

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 味の決め手は「花椒(かしょう)」である。「四川山椒」あるいは「中国山椒」と呼ばれている。木の実の皮は食用と薬用だ。とくに痺(しび)れるほどの辛さの香辛料として、中国料理(四川料理)では多く用いられる。漢方では健胃、鎮痛、駆虫などの作用があるそうだ。

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なつかしい《三好弥》メンチカツとシューマイのランチ

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 「昭和」の洋食屋、《三好弥(みよしや)》のランチである。今日は大好物のメンチとシューマイなのだ。もちろん、千切りのキャベツと自家製のマカロニサラダ、とうふの味噌汁に漬物だ。本当にうまいと思う。

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 こんなほっとする店、昭和の食堂は貴重な存在になった。年配のご夫婦と息子さんで営む店だ。いつまでも下町の味を残してほしい。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その7】

111日 熊村(浜松市天竜区龍山町)→新城(愛知県豊川市)約38km

 10日は熊村、大雨になり昼から旅籠に入った。次に10間の板橋があり、渡し賃2文。

大平村(静岡県天竜市)へ一里二十町。ここに8間の橋があり、通行料2文。それより山坂である。続いて岡保峠があり、遠州と三州の国境の立石(石碑)がある。

須山(愛知県南設楽郡鳳来町)へ一里半。このあたりに勝負峠がある。大野村(同)へ一里半。左側の桐屋弥吉にて昼食、64文。

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(広重 三河鳳来寺山巌)

 それより鳳来寺の角屋町という所まで、荷物運びを依頼する。一人前12文。(宿で頼んだのだろう。鳳来寺に参拝するのに、山道がきついため手荷物を運んでもらった)

 ここに板敷川を渡るが、こどもに銭を与え「代ごり」を頼んだ。

垢離(こり):神仏に祈願する時に、冷水を浴びる行為で水垢離、水行。自分が過去に犯した大小様々な罪や穢れを洗い落とし、心身を清浄にすること。神道でいう「禊(みそぎ)」。代垢離は、江戸時代、伊勢参宮をする人の依頼を受けて、代わりに伊勢神宮近くの宮川の水で垢離をすること。また、それを業・仕事とする者をいう)

 それより山道にかかり、二十五町目と六町目の間の一町ほどを「行者越え」といって難所である。下る道は平らな道である。すぐに角屋へ着く。

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(鳳来寺:新城市提供)

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(鳳来寺東照宮:新城市提供)

 鳳来寺へ一里。宿坊が二十軒ある。(鳳来寺の)本尊は薬師如来、ならびに東照宮がある。御朱印は1500石。角屋へ9町。この間に瀬川があり、縄で川を渡る、5文。

 

 新城へ三里。左側の旅籠・木瓜屋庄次郎に宿泊。宿泊代186文。

 

 鳳来寺は、愛知県新城市の鳳来寺山の山頂付近にある真言宗の寺院である。標高は695m、参道の石段は実に1,425段ある。本尊は薬師如来。徳川家光によって建てられた仁王門は、国の重要文化財である。仏法僧(コノハズク)が生息していることでも知られているそうだ。湯谷温泉も近い。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その6】

19日 掛川宿(静岡県掛川市)→坂下(静岡県浜松市天竜区春野)約48km

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 掛川宿は、石高53700石、太田備後守の城下である。宿場の出口に金属製の灯籠がある。それより土橋があり、また30間の土橋がある。ここから秋葉山の入口になり、金の鳥居、灯籠が二つあり、道はこれより右へ入る。本郷村(掛川市)へ二里。次に細谷村(同)、ここには切通しがあり、太田川を渡る。8文。

 

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(掛川城 掛川市提供)

 森町(浜松市天竜区森町)へ一里。右側の大国屋源五郎で小休止。ここは石高3000石、土屋伊賀守の御陣屋があり、よい所である。このあたりの名物に黒豆入りの黄色のおこわがある。三倉村(同)へ二里半。右側の柏屋元七で昼食、56文。このあたりに四十八瀬川が流れ、橋が多い。市ノ瀬村(同)へ二十五町。ここに橋があり、3文。続いて峠がある。小奈良安(浜松市天竜区春野)へ一里半。ここに木田川(気田川)の舟渡し12文。狗井(犬居、同)へ一里。このあたりにはとまりやがあり、茶屋が多い。

 

 坂下(浜松市天竜区春野)へ十四町。ここは秋葉山の麓(ふもと)である。右側の旅籠・柏屋丹七に宿泊。宿泊代172文。

 

110日 坂下(静岡県浜松市天竜区春野)→熊村(浜松市天竜区龍山町)約31km

 栗橋という地がある。それより秋葉山(秋葉山本宮秋葉神社、静岡県浜松市天竜区春野町領家841)へ五十町。金の鳥居が三つあり、仁王門から石・金・木製の灯籠は、数知れず多くある。ここより奥の院は女人禁制である。また金の鳥居があり、南向きである。お参りする所が多い。それより十倉(とくら)村へ下る。金の鳥居がある。

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(秋葉神社鳥居:トシのnanoログ提供)



 秋葉山、秋葉寺(しゅうようじ)とその守護神・三尺坊大権現が、防火の神として有名になったのは、江戸時代に入ってからである。秋葉山は庶民だけでなく、武士の間にも信者を得ていた。武将たちは刀剣などを奉納して戦勝を祈願したそうだ。一般庶民は、主に「秋葉講」という組織をつくって秋葉山に代参(代表者の参拝)した。家内・講内安全と火災消除を祈念して、防火の御札をもらってきた。秋葉講の講社数は、最盛期で全国に3万余を数えたといわれる。

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(秋葉神社:トシのnanoログ提供)

 とくに森町村は秋葉道の中核的宿場として、人馬の継立て、生活用品の集散地、六斎市(39の火、月6回の市)も開かれ、道沿いには商家を連ね、旅籠も多かった。茶や古着を扱う商家が有名であった。一般に秋葉街道といえば、掛川→森→三倉→坂下→秋葉山で、「森の横町なぜ日が照らぬ。秋葉道者の笠のかけ」と俗謡にうたわれた。

(参考:静岡県森町)

 

 十倉村(戸倉、静岡県浜松市天竜区龍山町)へ五十町。西川村(同)へ二十五町。このあたりに川(天竜川)があり、舟で渡る。12文。石打村(浜松市天竜区春野)へ二里。昼食、52文。次に8間の板橋があり、通行料2文。それより御坂である。

 

 熊村(浜松市天竜区龍山町)へ二里。右側の旅籠・太田屋金蔵に宿泊。宿泊代164文。

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今日のお昼、《ソラマチ》の《天ぷら丸中》の天丼

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 日曜日、午後からいい天気になったため、スカイツリータウンは、大混雑。またまたランチを食べる店がなく、ソラマチでお弁当を買う。

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 錦糸町の名店「天ぷら 丸中」が、出店しているので「特製天丼」840円に決めた。海老、イカ、キス、かき揚げなどである。甘辛のツユをかけてくれる。天ぷらは、比較的揚げ立てで、ごはんは暖かい。だからおいしくいただいた。下町の味だ。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その5】

18日 府中宿(静岡県静岡市)→掛川宿(静岡県掛川市)約48km

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 ここ(府中宿)には番城(駿府城)、城主は本多対馬守。富士浅間社(静岡浅間神社、静岡市葵区宮ケ崎町102-1)がある。東海道で一番の宮である。鞠子天(神社?)があり、それは左甚五郎作という。そこより二丁、町は左側である。つぎに安倍川の渡し。16文。餅(安倍川餅)が名物である。役所から油紙の切手(この先の川越の通行許可証)を受け取り、安部川を越えて右の(事務所に)差し出した。

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(あべかわ餅 松柏堂)

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(広重 府中)




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(広重 府中あべ川の渡し)

 府中宿は駿府上下、徳川家康のお膝元である。東海道でも一番大きな宿場であったそうだ。さて、安倍川餅。新幹線の中でも販売されている静岡名物だ。きな粉をまぶした餅に砂糖をかけて食べる。江戸時代から安倍川の河畔で売られ、きな粉を上流で取れる金にたとえて「金な粉餅」と家康公が名付けたと言われているそうだ。

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(広重 丸子 とろろ汁)

 鞠子宿(丸子宿)へ一里半。ここに土橋がある。宇津ノ谷村峠がある。上がったり下がったり、ここには十だんごの名物がある。一連(一箱)3文。

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(宇津谷 十団子)

 鞠子(丸子)で有名なのは、「とろろ汁」だ。慶長元年(1596)創業の丁子屋は、いまもある。私も食べに行ったことがあるが、うまいが高く量が少ない。宇津谷(うつのや)峠の十団子も、現在販売されている名物。黄色・白・赤の小さな団子を10個づつ、麻糸や竹ぐしに刺して売っていたそうだ。現在は、宇津谷の慶龍寺で販売している。

 

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(広重 岡部)

 岡部宿へ二里。あさひな川は30間の板橋。次に鬼嶋村に20間の土橋がある。左の方角、田んぼの先にお城が見える。石高4万石、(城主は)本多豊前守。

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(広重 藤枝)

 藤枝宿へ一里二十九町。左側の十一屋元平にて昼食、92文。

鞠子宿から藤枝宿までは、500文(約5,000円)で籠(かご)に乗った。(籠代とは別に)32文の酒代(チップ)も払う。このあたりは、馬や籠は安いところである。次に瀬戸村、瀬戸川はこの年水が多く(橋ではなく)舟で渡る。

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(広重 嶋田)

 嶋田宿(島田宿)へ二里。次にいつた村、50町の「よけ地」(伝染病隔離地区)があり、またご朱印地もある。ここは50町の道である。土橋があり、向い嶋村である。

 次に大井川であるが、このとき(川渡しの)越え賃は、一人半掛りで87文(半高欄連台:手すり付きの連台)。川の中に駿州と遠州の国境がある。嶋田から金谷入口まで、川越えの代金と共に、100文払って馬に乗った。この馬は(ほかの仕事の)伝馬の帰りであった。

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(歌川豊国 大井川蓮台渡)

 大井川は、箱根の山越えと並んで東海道の二大難所であった。とくに大井川は、水かさが増せば川留めとなり、旅人は何日も足止めとなり費用がかさんだといわれる。

越すに越されぬ大井川の渡しだが、江戸時代の元禄期には、川越の料金の統一や川渡しの許可を出し、現場を管理する役人が置かれていた。旅人は川を渡るためには、「川札」を川合所で購入したそうだ。料金は川の深さ(水の多さ)や川幅によって異なった。

 水深が人足の股下の場合は48文、帯下で52文、帯上で68文、胸で78文、脇で94文。それ以上の水深になると川留めになり、旅人は足止めされた。(寛政年間)

 さらに「蓮台」と呼ばれる乗物で、川を渡る場合には、さらに高い料金を払ったようだ。嶋田宿と金谷宿の間にあるこの大井川は、川幅が12町(約1.3km)もあり、水量も多く、軍事上の目的のほか、当時の土木技術では架橋できなかったのかもしれない。

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(広重 金谷)

 

 金谷宿へ一里。続いて峠がある。下って菊川に12間の土橋がある。それより小夜中山(さよなかやま)であるが、「無間の鐘」の言い伝え(遠州七不思議)がある。のぼり下りで一里。この峠(小夜中山峠)に「あめの餅」(子育飴)の名物がある。一つ5文。下って行くと道の途中に「夜無石(夜泣石)」がある。

 

 言い伝えによれば、無間の鐘(無限の鐘)は小夜の中山、西宝寺にある鐘であった。その鐘をつくと運がむく、と言われていたが、それは命と引き換えともされていた。生きている者でこの鐘の音を聞いた者はないという、つくことの禁じられている鐘であった。「遠州七不思議」の一つ、無間の鐘伝説は、小夜の中山(現在の静岡県掛川市東山、粟ヶ岳)にあった伝説。

 一方、小夜の中山「夜泣石」も遠州七不思議の中の悲しい伝説。臨月の妊婦が久延寺に安産祈願の帰り、丸石の傍で休憩していたところ、山賊に斬り殺されてしまった。

母親の念が石にのり移り石が泣き、久延寺の和尚が泣き声に気がつく。石のそばで殺された妊婦をみつけ、赤ちゃん(音八)を寺で育てることにした。乳に困った和尚は、水飴を赤ちゃんに飲ませたという。それが「子育飴」の由来とか・・・。

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(広重 日坂 佐夜中山)

 

 日坂(にっさか)宿へ一里二十九町。この宿場は今年、正月3日に火事で焼けた。12間の板橋があるが、橋より上は焼けなかった。ここに「わらびもち」の名物がある。次に土橋がある。

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(広重 掛川)

 

 掛川周辺は、葛(くず)の産地であったことから、葛の粉を蒸して餅をつくった。しかし「きなこ」に塩をまぶしたもので、いまのように砂糖を入れ、黒蜜をかけた甘いものではなかったそうだ。

 

 掛川宿へ一里二十九町。右の旅籠・石原屋に8日宿泊。宿泊代180文。

 

 この日は、徒歩だけではなく、籠や馬にも乗り、約48kmと距離を稼いだ一行であった。

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久々に《生駒軒》@浅草雷門のラーメン・半カレーライス

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 浅草の《生駒軒》で、久々に昼食。大好きなラーメンと半カレーライスのセットである。800円。ラーメンはまるっきり「昭和」のラーメンでうまい。

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 カレーライスも片栗粉が効いていて、やさしい味だ。やっぱりうまい。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その4】

17日 由井宿(静岡県庵原郡由比町)→府中宿(静岡県静岡市)約29km

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  由井宿から国(埼玉県所沢)へ手紙を出した。200文(約2,000円)。

次に川がある。寺尾村の左に田子の浦、右に富士山である。ここにも塩取所(塩田)がある。それよりさった峠、登り下り一里。ほら村、ここより駿河半紙をつくる所が多い。倉沢の立場があり、砂糖取所(製糖業)がある。それより奥津川を渡る。16文出す。



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(田子の浦:田子の浦漁業組合)

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(田子の浦の生しらす)

 「駿河半紙」は、近世駿河地方から産出した粗製の半紙である。ミツマタの皮を原料とし、赤褐色で裂けやすい特長をもつ。

国産の砂糖は、18世紀(江戸時代)から普及し始めた。琉球(沖縄県)や薩摩(鹿児島県)だけではなく、意外だが遠江国(静岡県大井川以西)と駿河国(静岡県中部・北東部)でもサトウキビが栽培され、砂糖が製造されていた。そして江戸に運ばれ消費された。とくに遠江国(横須賀藩)の砂糖は、「よこすか白」と呼ばれ有名であったそうだ。

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(三保の松原:静岡観光コンベンション協会)

 沖津(興津)宿へ二里十二町(約9.2km)、右側の巴屋元七で休憩、56文。次に寺下村、右に清見寺(臨済宗、静岡市清水区興津清見寺町418-1)がある。寺領は350石、庭にはソテツがある。

 これより浜の中に三保の松原が見える。ここに明神社(御穂神社、静岡市清水区三保1073)がある。松原の長さは一里二十町(約6.1km)程もある。次に愛染川があり、また巴川に板橋20間、それより切り通しがある。

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(広重 興津[沖津]宿)

 江尻宿へ一里三町(約4.3km)、宿場の中程、左に久能道がある。それより田畑の中をしばらく行くと、補陀洛山久能寺(現高源寺、臨済宗妙心寺派、静岡市清水区高橋2-7-4)があり、門前に石柱が立つ黒松が一本ある。村松村、ここに龍花寺(龍華寺、日蓮宗、静岡市清水区村松2085)という寺があり、ここには二間四方の株(根)のさぼてんがあり、一丈五尺まわりのソテツが一本植えられている。そのソテツの股に宮がある。ほかにも大きな木々が8本ある。それより浜辺に出る。塩取所(塩田)が多い。

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(久能山東照宮社殿)

 久能町へ三里(約11.8km)。左側の角屋弥左衛門にて昼食、80文。

ここにて(久能山東照宮への)案内人(ガイド)を雇い、101組として案内料は200文(約2,000円)である。手形(拝観券)を受け取る。それより石段、十八曲がりを登り、御門に入り手形を差し出す。それよりのぼり東照大権現がある。続いて御石間を見物するのに同じく1組につき200文。金の鳥居、石灯籠があり、ほかにもお参りする所が多い。宿坊や御家中もある。御朱印3000石、神主の家10軒。

 それより浜辺に出る。右に八幡宮があり、金の鳥居がある。

 

 府中宿(静岡市)へ三里。右側の旅籠・本陣中藤屋又左衛門に宿泊。宿泊代180文。

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 久能山東照宮へは、いまなら日本平からロープウエイですぐだが、当時は下から延々と石段を登った。「表参道石段」は山の下から実に1,159段もの石段である。まず909段上がったところに「一ノ門」。すでに眺めがよい。「門衛所」では与力が参拝者の拝観をチェックする。「楼門」をくぐって東照宮詣でが始まる。「社殿」は本殿、石ノ間、拝殿である。この社殿は権現造と呼ばれ、江戸時代最高の建築技術が使われた。本殿と拝殿をつなぐ石の廊下は、「石ノ間」と呼ばれ、神(東照大権現:家康)の世界と人間の世界をつなぐ空間である。境内には廟所につづく参道の左右には、諸大名が奉納した石灯籠が多い。

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ご近所グルメ すみだ《菜根譚》牛肉と野菜のオイスター炒め

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 会社の近所の《菜根譚(さいこんたん)》で昼食である。今日のランチは「牛肉と野菜のオイスター炒め定食。

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 やっぱり銀座アスター出身の料理人がつくる家庭料理は、うまい。調味料がほどよく、やさしい味付けだ。チンゲン菜、しめじ、タケノコ、にんじんに霜降りの牛肉。オイスターソースの絶妙な味付けである。コーヒーが付いて1,000円。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その3】

16日 三嶋宿(静岡県三島市)→由井宿(静岡県庵原郡由比町)約39km

 三嶋明神大社(三嶋大社、静岡県三島市大宮町二丁目15号)が南向きにある。本社(本殿)の左に南天の木の大きな株があり、御宮は赤金の瓦、まわりは石の垣根。ここは天下の御普請で御朱印は500石、神主の家は10軒ある。大門(総門)に池があり石橋がかかる。鯉・鮒がたくさんいる。石の鳥居(大鳥居)がある。

 次に八幡村・喜瀬川村だが30間の板橋があり、この橋の際から二町ほど回り、ここに亀鶴観音(潮音寺亀鶴観音、沼津市大岡34)という寺がある。ここから沼津藩の領地で豆州・駿州の国境で、このあたりには古くからの木々が多い。

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(三嶋大社 三島市提供)

 

 三嶋大社は広大な敷地をもち、立派な神社である。江戸時代にも有名な観光名所であったことは間違いない。

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(広重 沼津宿)

沼津宿へ一里半。入口に三王の社?(山王神社/沼津日枝神社、沼津市平町7-24)が右側にある。ここは石高五万石、水野出羽守の御城下である。それより(沼津宿の)出口に富士浅間の社(沼津浅間神社、沼津市浅間4)がある。駿東郡松長村、ここは風景(がよく)、左に千本の松原という見所がある。

 原宿へ一里半、柏原村(富士市)、ここは立場である。(ウナギの)蒲焼が名物。次に本吉原、ここにはびしや門の社(毘沙門天妙法寺、日蓮宗、香久山、富士市今井毘沙門町2-7-1)がある。それより今泉村、ここは富士の巻狩りの時、御陣所となったと伝わる。絶景である。ここに24間の板橋があり、この橋は大橋という。ここまでの間右側はうき島ケ原といい、長さは三里ある。

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(沼津浅間神社 沼津市提供)

 「富士の巻狩」は、鎌倉時代に源頼朝が富士の裾野(現在の静岡県御殿場市付近)や朝霧高原でおこなった大規模な狩りである。「巻狩」は、鹿や猪などが生息する狩場を多人数で四方から取り囲み、徐々に囲いを縮めながら獲物を追い詰めて射止める狩猟のことである。おそらく頼朝の権威を天下に示すものだったと推測できる。

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(広重 吉原宿)

 吉原宿へ三里六町(約12.4km)、左側の甲州屋喜左衛門にて6日の昼食、72文(約720円)。

 次に本市場(静岡県富士市)、ここは立場である。白酒の名物がある。土橋がある。東ぬき村、ここに富士川の渡しがあり一人前24文。岩淵川岸、ここに栗の粉もちが名物である。堀が多い。ここより甲州に出る道がある。次に富士見峠があり、ここに茶屋がある。

 

本市場(もといちば)宿は、吉原宿と蒲原宿の中間にあり、多くの茶屋が並び旅人たちで賑わっていたようだ。名物として白酒、ネギ雑炊、肥後すいき(サトイモの茎)などが有名であった。

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(栗粉餅:くりこもち 弁天堂)

蒲原宿へ三里。北の方角に伊豆山が左に見える。このあたりは製糖所(砂糖)が多く、製塩業(塩)もあり、左側は浜辺である。

 由井(由比)宿へ一里。左側の旅籠・江戸屋元助に6日宿泊。宿泊代180文(約1,800円。

 

 蒲原周辺は、江戸時代、塩田がたくさんあった。いわゆる製塩業が盛んであったそうだ。また、「由比」といえば今なら「桜えび」で有名だが、この時代にはどうだったのだろうか。

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BECKER’Sで《モーニング・フォー》

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 朝時間がなく朝食を駅のBECKERSでいただく。《モーニング・フォー》である。

麺類には違いないが、米粉でつくった平打ちの麺だ。ライスヌードルである。具材は、フォーにキャベツ、ほうれん草、もやし、糸唐辛子、鶏肉だ。あっさりした塩味のスープで、きわめてやさしい味である。

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 残念ながら本場のベトナムには行ったことがないため、日本で食べるしかない。このフォーは、ソフトドリンク付きで480円。まっ、値段的にはこんなところだろうか。普通においしい。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その2】

14日 厚木宿(神奈川県厚木市)→小田原宿(神奈川県小田原市)約34km

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この間に八幡村がある。ここには天下に鳴り響く松林の山が左右に多い。八幡の社(平塚八幡宮、神奈川県平塚市浅間町1-6)の拝殿は三間に六間、本社は二間四方で南向きだ。それより三町ほど行くと金の鳥居がある。

 平塚宿へ三里。この宿場のはずれに12間の土橋がある。また桜川があり、幅三間に長さは京間で20間の花水橋という橋が架かっている。

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 大磯宿へ一里。宿場の中程に虎子石が左の方にある。曾我兄弟の身代わり石といわれている。虎御前の守り本尊がある。これを見るのに一人16文(160円)。この寺は日蓮宗である。(虎御前は、曾我兄弟仇討ちで有名な曾我の五郎、十郎のうち、兄・十郎が愛した大磯の宿の舞姫、白拍子、すなわち遊女)

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(広重 大磯)

 街道の左側にある中村屋吉左衛門にて昼食。80文(約800円)。

小磯村、ここは立場(宿場の入口にある人足や馬の休憩所)である。粟餅が名物。次に切通しがある。梅沢村、このあたりにはみかんやきんかんが多い。この間に15間の土橋がある。甲津村、10間の土橋がある。酒匂村に54間の土橋、山王村に18間の板橋がある。

 小田原宿まで四里。左側の旅籠・小伊勢屋佐兵衛に宿泊。宿泊代180文(約1,800円)。

 

 曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久4528日(1193628日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎祐成(すけなり)と曾我五郎時致(ときむね)の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。

 

15日 小田原宿(神奈川県小田原市)→三島宿(静岡県三島市)約36.7km

 小田原は石高13,129石、大久保加賀の守の御城下である。有名なウイロウの薬屋があり、店舗は八棟造り(の立派な建物)である。続いて風祭村、ここに20間の土橋がある。

湯本村、右に金湯山相応寺?(早雲寺、臨済宗大徳寺派。山号は金湯山。神奈川県足柄下郡箱根町湯本405)があり、加賀様の菩提寺だそうだ。

畑宿へ一里。ここには雑煮の名物がある。街道の右側、升屋勘左衛門で休憩。(雑煮)一杯16文(約160円)。

 

次に箱根権現の社(箱根神社)が右の方角にある。この権現は寺(東福寺)に属し、境内には大きな池があり、ここには賽の河原、地蔵尊がある。別当寺は金剛山東福寺(明治維新の廃仏毀釈で廃寺)で御朱印は米俵で200俵という。

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箱根へ一里二十六町(約6.8km)。御関所がある。ここは(小田原藩)大久保様の預かり所である。続いて相模と伊豆の国境である。河原ケ村、7間の板橋と19間の橋がある。

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山中宿へ一里半(約5.9km)、ここには名品の「キセル」と「らお(羅宇:煙管の火皿と吸口とを接続する竹管)」が有名。

三嶋宿へ二里。左側の旅籠・山形屋直七に宿泊。宿泊代180文(約1,800円)。

 

小田原の「ウイロウ」は、現在も続く創業600年の和菓子と薬の店である。とくに、ういろうは、仁丹と良く似た形状・原料であり、口中清涼・消臭等に使用するといわれる。外郎薬(ういろうぐすり)、透頂香(とうちんこう)ともよばれている。

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いよいよ旅も平塚から東海道に入り、街道歩きは続いていく。

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松坂牛の老舗《柿安》のお弁当を食す

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 土曜日、雨もよう。昼食は、東京スカイツリータウンそらまちの《柿安》でお弁当を購入。黒毛和牛の「牛めし幕の内弁当」1,260円だ。これはうまい。さすがに創業140年の老舗だ。

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 とにかくおかずが、牛肉のほか、10種類近くもある。牛めしは、牛肉・玉ねぎ・こんにゃくで甘辛によく煮込んである。それに鶏唐揚げ、きんぴらごぼう、小松菜・枝豆和え、タマゴ炒め、なすマリネ、ポテトサラダ、もやし春雨和え、ひじき煮、しば漬、ミニトマト、絹さやなどが付く。なるほど盛り沢山である。

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お天気が悪いのだから、たまにはこんな昼食もよい。(といってももうすぐ世間は、梅雨である)

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《嘉永五年道中日記》を読む【その1】

 私の住む埼玉県所沢市に、江戸時代末期嘉永五年(1852)の道中日記が残されている。『所沢市史 近世史料Ⅱ』の「二上家文書」にある、172「嘉永五年正月二日 道中日記」である。

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所沢下新井村を13名の村人が出発。目的は伊勢詣と大坂・京都見物であった。旅の日数は50日間。甲州街道の府中から厚木を経由して、平塚で東海道に入り、途中久能山、秋葉山、鳳来寺等を経て四日市から伊勢路へ。伊勢参りの後、奈良、吉野、高野山から大坂・京都見物へ。帰路は草津から中山道を行き、善光寺や榛名山を見て、熊谷、東松山そして川越から帰郷した。

 それぞれの宿場での宿泊先の旅籠名や宿泊代金、昼食代そして各地の名物や観光地での案内料金などがきちんと明記されており、史料的価値が高いと思われる。

 

◆嘉永五年12日 所沢下新井村(埼玉県所沢市)→府中宿(東京都府中市)約17km

メンバーは、倉治郎、伝蔵、甚蔵、幸治郎、庄蔵、治右衛門、庄次郎、織右衛門、勝右衛門、幸次郎、重蔵、市右衛門、市五郎の13名。

 

 所沢宿より出発。18町ほど行くと久米川村(東京都東村山市)という、ここにフタセ川という川がある。つぎに粂川村・野口村(同)、道の右側に牛頭天王の社(八坂神社)がある。続いて伊豆殿堀(野火止用水)がある。小川村(東京都小平市)には御用水(玉川用水から分水の小川用水)の大きな堀がある。恋ヶ窪村・国分寺(東京都国分寺市)に薬師如来が左側にある。

府中宿まで四里、左側の旅籠・出丸屋弥平次に宿泊。宿泊代224文(約2,240円)

 

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(八坂神社 東村山市提供)

 所沢、東村山そして小平のあたりは、武蔵野台地という。富士山の噴火による関東ローム層の土地柄は、水はけが悪く、農業用水や生活用水のための水の確保が大変であったようだ。江戸時代の玉川用水や野火止用水(松平伊豆守が掘ったため伊豆殿掘と呼ばれた)は大いに役立った。

 

13 府中宿(東京都府中市)→厚木宿(神奈川県厚木市)約36km

 府中の六所明神(大國魂神社おおくにたまじんじゃ)、ここは大社である。(幕府から)御朱印五百石をいただいている。続いて玉川(多摩川)を渡る。渡し賃8文(約80円)。一里ほど西へ行くと百草(東京都日野市もぐさ)の松連寺(現在の京王百草園)がある。この寺は松平加賀守の菩提寺である。関戸村(東京都多摩市)に七間板橋がある。小野路(東京都町田市)へ二里、茶屋がある。

 

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(大國魂神社)

 木曾宿(東京都町田市)へ二里。道の左側の中嶋屋で昼食。64文(約640円)。ここから五町ほど行くと、武蔵の国と相州の国境で川(境川)がある。続いて原っぱである。

星野谷村(神奈川県座間市)へ二里。ここに観世音(星野谷観音)、星の井戸がある。本堂は五間四方で南向きだ。上郷村(神奈川県海老名市)、ここに有鹿明神(有鹿神社あるかじんじゃ神奈川県海老名市上郷1-4-41)がある。続いて相模川、橋代通行料15文(約150円)。

 厚木宿まで一里。道の右側の旅籠・ゑびや庄蔵に宿泊。宿泊代224文(約2,240円)

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(幕末の厚木宿:ベアド撮影)

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ご近所グルメ《ありあけ》の豚肉ナス辛味噌炒め

 東京スカイツリーの真下、《ありあけ》の昼食である。豚肉ナス辛味噌炒めである。

豚肉、なす、ニンジン、タマネギ、ピーマンを炒めて辛味噌の味付けだ。ごはんが進む。

本当はビールがほしいところだ。

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■ありあけ 東京都墨田区向島1-29-10 TEL03-3829-0534

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《東京スカイツリー》鉄道各社のポスターから

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 まずJR東日本である。「東京スカイツリーに会いに行こう」とある。上野駅、秋葉原駅、東京駅、北千住駅、錦糸町駅からのアクセスを紹介。

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 言わずと知れた東武鉄道である。「浅草をぶらり散策そのあとに」とうきょうスカイツリー駅は便利だ。

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 京成電鉄は、「京成沿線、ぶらり下町 おさんぽ日和」と題して、上野動物園と柴又を大きくアピールしている。

 実際には、東武鉄道の「とうきょうスカイツリー」駅が一番便利だ。

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《モンブラン》@本所吾妻橋店の「オランダ・ハンバーグ」

東京都墨田区吾妻橋2丁目2-5TEL:03-5608-2155)にある《モンブラン》。ハンバーグの名店である。

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チーズの載った「オランダ」ハンバーグ。定食で920円。これはうまい。

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《東京スカイツリー》やっぱり「夜景」がおすすめ!

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 人気沸騰の《東京スカイツリー》だが、なんといっても夜景が美しい。もちろん昼間の眺望も(お天気次第で)きれいだが、夜はやさしい下町の光に満ちている。遠くに東京タワーも見えるが、浅草の雷門通りの灯がよい。

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 商業街区ソラマチの人出も多い。まだゆっくり見られない。

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 東武線の浅草駅には、「とうきょうスカイツリー駅」の案内が、たくさん貼られている。いよいよ賑わいの《東京スカイツリー》である。

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