« 《ホテルサンルート浅草》と《ホテルユニゾ浅草》の朝食 | トップページ | 《GUGU CAFE》おしゃれなカフェ »

《嘉永五年道中日記》を読む【その11】

Waraji1

嘉永五年(1852)、武州入間郡下新井村(現在の埼玉県所沢市下新井)の農民13名が、伊瀬参りを中心とする旅に出た。一行は東海道から久能山、秋葉山、鳳来寺などを見学しながら伊勢路へ。その後奈良、高野山、大坂、京都を回り、帰路は中山道に入り、善光寺や榛名山へ立ち寄る。

この50日間の旅の様子が、所沢市に《嘉永五年道中日記》として残されている。旅の途中の名所旧跡や名物をはじめ、旅籠の名前や宿泊代金、昼食代金、各地の橋や渡しの通行料金そして各観光地での案内料・拝観料など記されており、大変興味深いものだ。今回、現代語訳に挑戦し、合わせて描写された観光地の様子を追究してみた。

 

115日 桑名宿(三重県桑名市)→白子宿(三重県鈴鹿市)約29km

 四日市へ三里八町。(東海道を離れ伊勢路に入る)ここに18間の土橋あり。次にひなか村、堤の上に8間の板橋あり。この所より右へ京都に行く道、左は伊勢参宮の道である。

 追分へ一里半。左側のかぎや長三郎にて昼食、72文。この店に大坂の旅籠・河内屋又六の手代がいて、(宿泊をすすめるために)酒を出してくれた。ここに木の鳥居あり。それより高岡村(三重県鈴鹿市)、鈴鹿川(幅が)60間、このとき橋を架け替え中で仮橋があり、通行料は6文。

Photo
(広重 四日市)

 四日市は東海道五十三次の43番目の宿場として栄えた。日永の「追分」は、東海道と伊勢街道の分岐点で、往時の繁栄ぶりを今に伝える史跡だそうだ。

Photo_3

(神戸城跡:鈴鹿市観光協会)

 神戸(かんべ)宿へ一里半。石高15000石、本多伊予守の御城下である。このあたりに鎌倉権五郎(景政)の古跡がある。

 

 鎌倉権五郎こと平景正は、後三年の役(108387)の折に、眼を射られるも、自らその矢を抜いて戦ったと伝えられる武勇伝の人物。「しばらく、しばらく~」のセリフでお馴染みの歌舞伎十八番『暫』の主人公としてもよく知られている。その鎌倉権五郎の塚が、なぜここにあるのかは不明である。

 

 白子宿へ一里半。左側の旅籠・鼓屋吉蔵に宿泊。宿泊代172文。ここ白子宿には石高6万石、紀州殿の御陣屋がある。町はずれに右へ行くと、白子山子安観世音(子安観音寺、三重県鈴鹿市寺家三丁目2-12、高野山真言宗)があり、ここにふだんさくらがあり、楠の大木がある。

Photo_7

(子安観音:鈴鹿市観光協会)

 子安観音は、高野山真言宗の名刹として知られる。御本尊は白衣観世音で、安産・子育ての霊験あらたかな霊場として、全国より参詣者が訪れるという。仁王門(県文化財)をくぐると、本堂と美しい三重の塔がある。聖武天皇の天平年間に創建された由緒深い寺院である。

Photo_8

(不断桜:鈴鹿市観光協会)

 

 観音様の妙智力により咲く「不断桜」とは、寺の言い伝えによれば・・・

今より千二百年前、伽藍に雷火があり、跡より一本の桜が芽吹きました。その桜は、観音様の妙智力により、四季に花葉が絶えず、「不断桜」(国天然記念物)と名付けられました。時の称德帝が、「ちかひあり いつも桜の花なれば みる人さへや ときはなるべし」と詠まれ、以後、深い帰依を受け、御霊木となりました。今も厳寒の中、白く健気な花をつけ、春の満開の時期には参拝者も多くなります。観音寺の安産祈願御守には、古くからこの桜の葉が封入されています。

また、人間国宝を生んだ伝統産業である伊勢型紙は、この桜の虫食いの巧妙な自然の模様が創始であるともいわれています。

 

 なるほど、ありがたい桜である。

|

« 《ホテルサンルート浅草》と《ホテルユニゾ浅草》の朝食 | トップページ | 《GUGU CAFE》おしゃれなカフェ »

江戸時代の旅」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/177442/55120087

この記事へのトラックバック一覧です: 《嘉永五年道中日記》を読む【その11】:

« 《ホテルサンルート浅草》と《ホテルユニゾ浅草》の朝食 | トップページ | 《GUGU CAFE》おしゃれなカフェ »