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《嘉永五年道中日記》を読む【その16】

123日 奈良(奈良県奈良市)→郡山(奈良県大和郡山市)約9.3km

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 これより3町ほど南に行き、また東に向かう。ここは木辻町という。有名な女郎町があり、くるわ(遊郭)の始まりという。

 奈良見物である。それより案内人を頼み、一組につき80文で名所見物をする。

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猿沢池

 まず猿沢池、この淵に衣掛柳がある。次に扇の芝という所がある。毎年、お能をする場所である。次に(興福寺)今春門へ入る。それより南院堂があり、前に4町四方伽藍の跡がある。次に一條院の宮様(興福寺の塔頭・付属寺院で門跡寺院として、一乗院と大乗院があり、皇族や摂関家の子弟が入寺していた)がある。花の松というものがあり、昔、弘法大師が花の代わりに植えたものだそうだ。16丈(48.5m)の塔(興福寺の五重塔、実際は50.1m)があり、柱は楠の木だそうだ。

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興福寺五重塔(飛鳥園)

 興福寺(奈良市登大路町48)から東大寺(奈良市雑司町406-1)へ。

次に大仏殿、高さ16丈(48.5m)、大仏の御たけ・身長535寸(16.2m)、顔の長さ16尺(4.8m)、顔の広さ95寸(2.9m)、まゆ545分(1.7m)、目の長さ39寸(1.2m)、口37寸(1.1m)、鼻の穴3尺(0.9m)、耳の長さ85寸(2.6m)、肩の渡し・幅287寸(5.7m)、肩より腕まで15尺(4.5m)、ことのほか、大きいこと日本一である。

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東大寺大仏殿

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 次に「しろうどう」(開山堂か?)、二月堂、三月堂(法華堂)、四月堂(三昧堂)がある。

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春日大社

次に春日大明神(春日大社、奈良市春日野町160)、金石の灯籠が数多くある。鹿の数も多い。御朱印25千石、(幕府から)鹿料として5百石をいただくという。次に三笠山、ここに鹿の角細工の店が三軒ある。続いて菊一紋次四郎の刀鍛冶がある。

 

 次に元興寺(奈良市中院町11)がある。敷地は6町(660m)×4町(440m)と広大なものだいう。ここに24丈(72.7m)の塔(五重塔)がある。

ここから23日朝、4ツ半時(午前10時半)頃、出発。

 

元興寺の五重塔跡は、奈良時代から残る創建遺構で、寺伝によると一辺9.65メートル総高は72.7メートルで、東寺五重塔より大きいと伝えられる超大型塔があった。安政六年(1859)に、観音堂などとともに焼失。現在まで再建されていない。

 一行の旅は嘉永五年(1852年)であったため、大きな五重塔が焼失する7年前に見たことになる。

 

 法花寺(法華寺、奈良市法華寺町882)へ28町、本尊は薬師如来。ほかにもお参りする所が多い。御朱印300石。

 

西大寺(奈良市西大寺芝町1-1-5 )へ18町。本尊は十一面観世音、御朱印300石。

 

菅原天神(菅原天満宮、奈良市菅原町518 )へ8町。この間に宝来山があり、大きな池が右側にある。

 

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 唐招提寺

正大寺(唐招提寺、奈良市五条町13-46)へ8町。御朱印300石。ここは七堂伽藍であり、逆さ柱がある。

 

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 薬師寺

西の京(薬師寺、奈良市西ノ京町457)へ8町。本尊は薬師如来。御朱印は300石、六重の塔(五重塔)がある。

 

 郡山(奈良県大和郡山市)へ一里。右側の旅籠・笹屋彦三郎に宿泊。宿泊代164文。

 

 奈良市内の社寺は、大学生の頃、よく通った。法華寺の光明皇后をモデルにした十一面観音は見事である。西大寺は、大きな抹茶茶碗で飲む「大茶盛」の行事が、いまも伝わっている。

 やはり何度も訪れた唐招提寺は、最高である。鑑真和尚像に会うため、6月に出向いた。東山魁夷の襖絵もすばらしい。そして薬師寺は、西塔をはじめ、伽藍が再建され往時の姿を戻しつつある。奈良はいまでも奈良である。

※写真提供:奈良市観光協会

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