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2012年7月の27件の記事

吾妻橋の《そば処 ゆう庵》でランチ

 東京スカイツリーもよく見える《そば処 ゆう庵》で昼食である。

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ミニ野菜天丼とそばのセット。850円。栃木産のそば粉を使用して細目に打った二八である。なかなか食べやすく風味もある。ちょっと分量が少ない気がする。

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つゆは江戸前で辛いが、宗田節とサバ節のだし、日高昆布に煎り大豆が利いている。

セットの天丼は、もう少し油を切ってほしかった。しかしうまかった。

    そば処 ゆう庵

    東京都墨田区吾妻橋2-9-8

    TEL0336229227

    営業時間/11301400 17302200(日曜・祭日休み)

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《東京スカイツリー》当日券の列

730日(月)、夏休みのためか《東京スカイツリー》当日券の列は、午前中、2時間待ちとなった。暑いのに外で並ぶ人もたくさんいる。

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 待ち時間が2時間を超えると、「時間指定の整理券」を配布する。たとえば12時現在で2時間以上待ちだと、14時、1430分、15時の「時間指定」となる。

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 これならまったく並ばない「日付指定券」(東武トラベルやパートナーホテルズでツアーとして販売)の方が、少々高くてもよいと思う。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その17】

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124日 郡山(奈良県大和郡山市)→八木宿(奈良県橿原市)約17.9km

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源九郎神社

  郡山は石高151288石、松平甲斐守の御城下である。ここに源九郎稲荷大明神

源九郎稲荷神社、奈良県大和郡山市洞泉寺町15あり、(神社を管理する)別当の東泉寺がある。御朱印30石。ここに富川大橋がある。

 

 小泉(大和郡山市)へ一里。ここに名高い庚申堂(金輪院小泉庚申堂、大和郡山市小泉町834)がある。石高1万千百石の片桐伊豆守の御城下である。

 

 法龍寺(法隆寺、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1)へ十八町。右側のかせや九助にて小休止。

ここ法隆寺には薬師如来があり、御朱印1300石。向かって左の二王(仁王)は黒塗りであり、唐の杉1本にて彫刻したという。右の二王は赤で唐・天竺・日本の三国の土で作ったという。次に楠がある。ここ法隆寺は(広大な敷地で)八町四方の内、お参りする所が30か所もある。

 小休止した「かせや」で、大和を回って大坂(大阪)まで10人にて1200文にて案内人を頼み、証文を受け取り、ここから余分な荷物を持たせて行くことにした。

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法隆寺

 法隆寺は、飛鳥時代の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は推古15年(607)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍がある。境内の広さは約187千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産(文化遺産)に登録されている。

 薬師如来像(金堂)、釈迦三尊像(金堂)、夢殿、救世観音(観音菩薩)が名高い。

 

 龍田(生駒郡斑鳩町)へ八町。左側の猿屋喜六にて昼食、64文。この地には明神の社(龍田神社、生駒郡斑鳩町龍田1-5-3)があり、神主は大澤筑前守、御朱印30石。この間に龍田川の橋代2文、次に大和川があり橋代2文。

 

 達磨寺(奈良県北葛城郡王寺町本町2-1-40)へ二十八町。御朱印50石。本堂の右側にだるま石というものがあり、また正徳石がある。左側には春日石がある。この三つの石の上に三日三夜の御加持をされたという。ここに一夜行というものがあり、毎年1本出るという。この間に染井寺があり、染井の井戸があり、ここに中将姫糸掛桜がある。

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達磨寺

 達磨寺の境内には達磨寺1号墳・2号墳・3号墳と称される3基の古墳(6世紀頃の築造)が存在し、このうちの3号墳の上に本堂が建てられている。この古墳は平安時代には聖徳太子ゆかりの達磨禅師の塚であると信じられていたようである。

 

当間(当麻)寺へ百町。二條山当摩寺、御朱印300石。本尊の蓮糸のまんだらがある。開帳(拝観)は一組につき120文。ここは七堂伽藍であり、中将姫のたもと松がある。

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当麻寺

 當麻寺(当麻寺、奈良県葛城市當麻1263)は山号二上山、高野山真言宗、浄土宗。

本尊として祀られる「當麻曼荼羅(たいま・まんだら)」は、奈良時代、藤原家の郎女・中将姫が写経の功徳によって目の当たりにした極楽浄土の光景を壮大な規模で表したもので、中将姫を常に守護し、導いた守り本尊「導き観音さま」とともに今も多くの人々のよりどころになっているそうだ。

 

高田宿(奈良県大和高田市)へ一里。ここに門跡がご出張された跡がある。次に曾我村、ここに富津橋、御影石で16間ある。

 

 八木(大和八木)宿へ一里。左の角、旅籠・木原屋嘉左衛門に宿泊。宿泊代164文。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その16】

123日 奈良(奈良県奈良市)→郡山(奈良県大和郡山市)約9.3km

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 これより3町ほど南に行き、また東に向かう。ここは木辻町という。有名な女郎町があり、くるわ(遊郭)の始まりという。

 奈良見物である。それより案内人を頼み、一組につき80文で名所見物をする。

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猿沢池

 まず猿沢池、この淵に衣掛柳がある。次に扇の芝という所がある。毎年、お能をする場所である。次に(興福寺)今春門へ入る。それより南院堂があり、前に4町四方伽藍の跡がある。次に一條院の宮様(興福寺の塔頭・付属寺院で門跡寺院として、一乗院と大乗院があり、皇族や摂関家の子弟が入寺していた)がある。花の松というものがあり、昔、弘法大師が花の代わりに植えたものだそうだ。16丈(48.5m)の塔(興福寺の五重塔、実際は50.1m)があり、柱は楠の木だそうだ。

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興福寺五重塔(飛鳥園)

 興福寺(奈良市登大路町48)から東大寺(奈良市雑司町406-1)へ。

次に大仏殿、高さ16丈(48.5m)、大仏の御たけ・身長535寸(16.2m)、顔の長さ16尺(4.8m)、顔の広さ95寸(2.9m)、まゆ545分(1.7m)、目の長さ39寸(1.2m)、口37寸(1.1m)、鼻の穴3尺(0.9m)、耳の長さ85寸(2.6m)、肩の渡し・幅287寸(5.7m)、肩より腕まで15尺(4.5m)、ことのほか、大きいこと日本一である。

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東大寺大仏殿

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 次に「しろうどう」(開山堂か?)、二月堂、三月堂(法華堂)、四月堂(三昧堂)がある。

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春日大社

次に春日大明神(春日大社、奈良市春日野町160)、金石の灯籠が数多くある。鹿の数も多い。御朱印25千石、(幕府から)鹿料として5百石をいただくという。次に三笠山、ここに鹿の角細工の店が三軒ある。続いて菊一紋次四郎の刀鍛冶がある。

 

 次に元興寺(奈良市中院町11)がある。敷地は6町(660m)×4町(440m)と広大なものだいう。ここに24丈(72.7m)の塔(五重塔)がある。

ここから23日朝、4ツ半時(午前10時半)頃、出発。

 

元興寺の五重塔跡は、奈良時代から残る創建遺構で、寺伝によると一辺9.65メートル総高は72.7メートルで、東寺五重塔より大きいと伝えられる超大型塔があった。安政六年(1859)に、観音堂などとともに焼失。現在まで再建されていない。

 一行の旅は嘉永五年(1852年)であったため、大きな五重塔が焼失する7年前に見たことになる。

 

 法花寺(法華寺、奈良市法華寺町882)へ28町、本尊は薬師如来。ほかにもお参りする所が多い。御朱印300石。

 

西大寺(奈良市西大寺芝町1-1-5 )へ18町。本尊は十一面観世音、御朱印300石。

 

菅原天神(菅原天満宮、奈良市菅原町518 )へ8町。この間に宝来山があり、大きな池が右側にある。

 

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 唐招提寺

正大寺(唐招提寺、奈良市五条町13-46)へ8町。御朱印300石。ここは七堂伽藍であり、逆さ柱がある。

 

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 薬師寺

西の京(薬師寺、奈良市西ノ京町457)へ8町。本尊は薬師如来。御朱印は300石、六重の塔(五重塔)がある。

 

 郡山(奈良県大和郡山市)へ一里。右側の旅籠・笹屋彦三郎に宿泊。宿泊代164文。

 

 奈良市内の社寺は、大学生の頃、よく通った。法華寺の光明皇后をモデルにした十一面観音は見事である。西大寺は、大きな抹茶茶碗で飲む「大茶盛」の行事が、いまも伝わっている。

 やはり何度も訪れた唐招提寺は、最高である。鑑真和尚像に会うため、6月に出向いた。東山魁夷の襖絵もすばらしい。そして薬師寺は、西塔をはじめ、伽藍が再建され往時の姿を戻しつつある。奈良はいまでも奈良である。

※写真提供:奈良市観光協会

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《生駒軒》浅草雷門の「冷やし中華」

 猛暑の東京、冷やし中華編である。浅草雷門の《生駒軒》(東京都台東区雷門1-12-1TEL03-3844-6853だ。

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  錦糸タマゴ、キュウリ、紅ショウガ、焼き豚、ハム、春雨、もやし、キャベツと具材が多い。おまけにこの店は麺の分量が大盛である。そしてゴマダレに酢が効いいている。このボリューム感がすごい。

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《甘太樓》で「冷やし中華」

 猛暑、35度の東京。やっぱり「冷やし中華」でしょう。というわけで、東京スカイツリーが近い地元の《甘太樓》(東京都墨田区向島3-46-13TEL03-3622-8932)へ。そういえば、今年の夏は初めての冷やし中華だ。

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 錦糸卵、ハム、キュウリ、紅しょうが、春雨が入る。もちろん醤油と酢のさっぱり味である。冷やし中華は、日本料理である。ざるそばがルーツらしい。この猛烈な暑さ、おそらく東京中の中華料理店で冷やしが売れに売れたと思う。

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 ところで今日の東京スカイツリーの当日券は、1時間待ちと、まずまずだ。最初は2時間から3時間待ちが普通だった。一般人はあんまり暑いと、登る気にはならないのだろうか。

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《東京チカラめし》焼き牛丼

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 東京スカイツリーの真ん前にある《東京チカラめし》へ行く。チェーン店で都内各所に店舗があるようだが、私は初のお出ましである。

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 「焼き牛丼」単品(みそ汁付き、350円)を食べた。これは「牛丼」ではない。「焼肉丼」である。そこそこ、うまいが、タマネギも入っていない。店名のように、食べると力が出てくる気がする。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その15】

122日 初瀬(奈良県桜井市)→奈良(奈良県奈良市)約34km

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(初瀬、長谷寺、奈良県桜井市)西国札所8番札所。ここに観世音あり。ほかにもお参りする所が多い。二王門(仁王門)より登りの石段がある。この石段の上屋は、京間にて82間あるという。本堂までは回廊のごとく続く。そこには舞台がある。

 次に黒崎村、まんじゅう(夫婦饅頭)が名物で、一つ2文。それより、慈恩寺追分である。

 追分へ一里。ここに三条小鍛治宗近(刀鍛冶)の本家が右側にある。

 

 長谷寺(奈良県桜井市初瀬731-1、真言宗豊山派総本山、本尊は十一面観音)である。何度か行ったことがある。仁王門から登りの石段は399段。かなりこの回廊は長い。疲れるが登りつめたところにある舞台からの眺めは最高だ。牡丹の寺としても名高い。

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(長谷寺:JR東海)

 

 三輪へ一里十八町、明神の社(三輪明神・大神神社、三輪山を神体山とする神社で大和国の一之宮)がある。御朱印は180石、参拝する所が多い。それより石坂を下り大門に出る。鳥居がある。右側の行田屋甚七(正しくは竹田屋甚七)で小休止する。そうめんが名物である。

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(池利)

 いまでも「三輪そうめん」は有名である。間違いなく夏の風物詩であるが、実は冬場、あったかい汁で食べる「にゅうめん」もうまい。

 

 柳本(奈良県天理市)へ一里。石高1万石の織田大和守の御陣屋がある。

 丹波市(同天理市)へ一里。左側の吉野屋弥市郎で昼食、64文。この間に岩上大明神社(岩上神社、天理市富堂町260)があり、13町ほど寄り道となる。

 

 市ノ本(天理市)へ一里。ここに在原業平が生まれた場所があり、平観音がある。

 

在原業平の生誕の地については、諸説ある。ここ天理市いちのもと町には、現在も在原神社がある。

 

 柿ノ本へ十町。ここに柿本人麻呂が生まれた場所があり、人麻呂の神社がある。

 

 飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂(人麿)は、山部赤人とともに「歌聖」と称され、三十六歌仙の一人とされた人物。しかしその生涯は謎である。生誕地も諸説あり、奈良県のこの地であるか、定かではない。現在も天理市櫟本(いちのもと)に『柿本寺跡(しほんじあと)と歌塚』がある。

 

帯解へ一里。左側に寺があり、ここに子安地蔵尊(子安山帯解寺、奈良県奈良市今市町734、日本最古の安産祈願・求子祈願霊場)がある。

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(帯解寺:春日野奈良観光)

 奈良へ一里半。左側の旅籠・大和屋重兵衛に22日宿泊。宿泊代148文。

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《生駒軒》@浅草雷門の「上海焼きそば」

 下町の昭和の食堂、《生駒軒》浅草の上海焼きそばである。この店は何を食べても当たりはずれがない。

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 上海焼きそばは、塩味。もやしをはじめとする野菜に加え、キクラゲも入る。さっぱりした味である。530

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崎陽軒《シウマイ弁当》食べました

 とにかく土日の出勤の日は、スカイツリー人気で近場の食堂が大混雑。またまた東京ソラマチでお弁当日和である。

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 大好物の崎陽軒《シウマイ弁当》に決めた。750円。やっぱりこのシウマイ(シューマイ)はうまい。長い間、中身も不変である。とくに横浜に加えて、江東区に東京工場ができてからは、よく食べる。

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 人気のシウマイは5個。横浜名物の「昔ながらのシウマイ」。洋ガラシと醤油でいただく。ごはんも俵型で小分けされ、黒ゴマがのる。食べやすい。感心なのは、経木が入り、ごはんの水分がほかに回るのを防ぐ点で、冷めてもおいしく食べられる。

 シウマイとハーモニーを奏でるのは、マグロ照焼、鶏の唐揚げ、かまぼこ、玉子焼きにタケノコ煮物。切り昆布と千切生姜も箸やすめによい。どうしても酸味のある「あんず」だけは残してしまう。

    以前の記事

大好き崎陽軒の《シウマイ弁当》

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《嘉永五年道中日記》を読む【その14】

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120日 松坂宿(三重県松阪市)→伊勢路(三重県伊賀市伊勢地)約38km

 六軒(松阪市六軒町)まで帰り、それより大和の七在所へ(の道に)入る。この間に土橋がある。次にみやこ川、橋代2文である。

 

 松坂(松阪市)六軒から初瀬(奈良県桜井市)までは、「初瀬街道」を行く。全長1417町(約56.8km)の道のりである。松阪市→津市→伊賀市→名張市→宇陀市→桜井市となる。

 

畑宿(三重県津市一志町)へ二里。ここに茶屋がある。次に和田川、橋代2文、大野木村川があり、橋代2文。

 二本木(三重県津市白山町)へ二里。右側の角屋で昼食、64文。

次に桜峠という道があり、ここに遊弓場・鉄砲場がある。これら(弓や鉄砲)は慰みに(遊びで気晴らしに)おこなう場所である。

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(津城:津市観光協会)

 開度(津市白山町)へ二里。ここに茶屋がある。それより青山峠を一里半、登ると地蔵堂(青山地蔵)がある。伊勢と伊賀の国境であり、ここはよい景色である。それより一里半下ると、茶屋が三軒あり、伊かや三右衛門にて小休止をする。この茶屋から奈良まで泊まり札を出した。(奈良の宿を予約した)

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(伊賀城:伊賀文化産業協会)

 伊勢路(伊勢地、三重県伊賀市伊勢地)へ三里。右側の旅籠・玉屋半九郎に20日は宿泊。宿泊代金132文。この間に中山川、橋代2文。それより川辺を行き、次に阿保川、橋代2文。

 

 伊勢地宿は、全盛期には20軒もの旅籠があり、初瀬街道で一番の賑いであったそうだ。現在でも風情ある街並みが残る。

 

121日 伊勢路(三重県伊賀市伊勢地)→初瀬(奈良県桜井市)約38km

 阿保宿へ一里。この間にハネシマ橋があり、橋代2文。次に七見峠がある。

 新田宿へ一里。ここに伊勢路と伊賀の上野道の追分を示す棒杭があり、ここは立場の茶屋がある。

 

 阿保宿は、上野街道と八知街道が分岐する交通の要衝であった。上野・名張とともに藤堂藩から伊賀の地で3か所だけ許された商業の町であったそうだ。

 

名張へ一里半。石高13千石、藤堂和泉守の御陣屋がある。この間に35間の板橋があり、この川を柳瀬川という。また黒田川という川がある。

 片賀へ一里八町。右側の油屋文七で21日昼食、50文。それより川辺を行く。次に伊賀と大和の国境の印がある。 

三本松へ一里。ここの右の方向に高台があり、黒松が一本ある。根元から三本に分かれているので三本松という。次に峠がある。大野村の川畑に五丈四寸のみろく観音が岩に刻まれている。ここで女の案内人を頼み、少し近くを回って本道に出る。

 

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(磨崖仏)

 大野寺(奈良県宇陀市室生大野1680、楊柳山大野寺、真言宗室生派)の弥勒磨崖仏である。宇陀川の対岸、高さ30mの大きな岩壁にいまも残る。線は薄くなっているが、実際に見ると壮観である。

 

 山辺へ一里。ここに山部赤人の古跡が、通りから八町ほど行くとある。次に福地村(奈良県宇陀市)、ここは石高3千石小田見次郎の御陣屋がある。

 

 「田子の浦にうち出でてみれば 白砂の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」で有名な、奈良時代の歌人・山部赤人の墓と伝わる五輪塔が、奈良県宇陀市の額井岳の麓に残っている(宇陀市榛原山辺)。残念ながら真偽の程は、不明である。

 

灰原(榛原、奈良県宇陀市)へ一里半。この間は山坂である。

 初瀬(奈良県桜井市)へ一里半。右側の旅籠・吉野屋平左衛門にて21日宿泊。宿泊代148文。

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ソラマチ・フードマルシェ《丸中》穴子天丼

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  東京スカイツリーのソラマチ2階のフードマルシェ。いろいろお弁当が手に入る。天ぷらの老舗《丸中》の穴子天丼は「634ムサシ」天丼といって634円である。

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まずますの味。大きな穴子がしっかり入っている。

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東京スカイツリー《アマラデリ》本場のカレー

 東京ソラマチの2階、フードマルシェにあるテイクアウトのカレー屋さん。お弁当に決めた。《アマラデリ》という。

紹介文によれば・・・

アマラデリカレーといえば、インドです。1958年、インドのカルカタで創業した「アマラデリ」は、20種類以上のスパイスを使用したコクとフカミのあるカレーを、ソラマチにてご用意しています。しかも本格的インド料理を提供しているにも拘わらず、リーズナブルな価格で…カレー好きにはたまらない一品を、是非ご賞味ください。きっと、あなたもインド人になった気持ちになります。

【店舗情報】運営会社:㈱エスニック ダイニング、業態:インド惣菜

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 食べたのはクリーミーカレー500円。サフランライス付き。辛くはなかったが、確かにコクがあった。しかし温めてくれたが、持ち帰ると冷めてしまい、いまいちだ。やっぱりカレーは、あつあつを食べたいところ。

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《GUGU CAFE》のランチ「チキンの山賊焼き」

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 スカイツリーに程近い、向島の住宅街にある《GUGU CAFE》のランチは、チキンの山賊焼きである。野菜サラダとポテトサラダ付き。

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 黒こしょうが効いていて、なかなかのもの。

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 コーヒー・紅茶にプチ・デザート。この日はほんの少しのショートケーキ。

 なんで山賊焼きなのか、といえば、醤油と生姜、ガーリックで味付けしているため。

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《ありあけ》の「あんかけ焼きそば」

 東京スカイツリーの真下、業平橋の《ありあけ》(東京都墨田区向島1-29-10TEL03-3829-0534)である。

ランチに「あんかけ焼きそば」を注文。850円。野菜たっぷり。うまい。

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《豚珍館》のつまみ

 鹿児島・さつま料理の居酒屋《豚珍館》@浅草へ久しぶり。

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やっぱり「きびなご」の刺身を酢味噌でいただく。きびなごは、冬が旬だが、産卵期の5月から8月も食べる。うまい。

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山菜ロールのフライ。黒豚入り。なかなか歯ごたえがあり、これもうまい。

 

やれやれまた、焼酎が進む。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その13】

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117日 松坂宿(三重県松坂市)→山田 御師の館(三重県伊勢市)約33km

 松坂は石高6万石、紀州殿の御陣屋がある。江戸の三井本家が右側にある。次に28間の板橋があり、徳和坂の石橋がある。

くしだへ一里。この間にくしだ川があり、渡るのに船賃12文。明星村に稲木の坪屋本家があり、たばこ入れが有名である。西の脇に稲荷神社があり、松や柏の木がある。次に新茶屋に祓川があり、橋代は2文。

 

 小俣へ二里半。ここで小休止100文。ここに伊勢の御師(おんし)より派遣された手代が迎えに出ている。ここから御師宅まで案内をしてくれる。次に宮川を船で渡る。これは御師範の(御馳走舟で)出す舟で船賃は無料である。

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 山田町へ一里。この入口の茶屋にて昼食、100文にてとり、正月の17日、御師町に到着。三日市太夫次郎様の坊(御師の館)へ入る。11人分で23歩(約12万円)支払う。お茶代として50疋(約7,500円)払う。このほかに山役銭として12人につき100疋(約15,000円)を出す。(一行は13名の旅のはずだが、11人や12人として金を払っている。集団行動に遅れたり、離団した者がいたのだろうか)

 

三日市太夫次郎(みっかいちたゆうじろう)は、山田の代表的御師(おんし)で、檀家数は35万戸から50万戸といわれる。檀家の所在地は、関東から東北、遠くは北海道松前。佐渡も含まれる。記録によれば各地に御師の手代が派遣され、檀家を増やしていた。また伊勢神社を勧請したこともあったようだ。

 

 伊勢参宮には江戸中期で年間100万人が訪れたという。また御師の数は、江戸中期600から700家を数えたそうだ。御師は、自宅を宿坊として参宮者を泊めていた。三日市太夫次郎邸宅跡は、伊勢市岩渕一丁目224号、伊勢税務署北付近。

 

118日 御師の館(三重県伊勢市)外宮・内宮見学→古市

 18日は御師より案内人が使わされ、山祝として12人につて200文を案内人に渡す。それより外宮へ参拝し、ここにはお参りする所が多い(40社)。次に天岩戸へお参りし、続いて小田川の板橋があり、また宇治橋、長さ50間がある。次に内宮へ参拝し、ここにもお参りする所が多い(80社)。それから朝熊(あさま)山へ登る。虚空蔵がある。この山にて、名物の万金丹(薬)を購入。そして、とうふや喜左衛門という茶屋で御師からの御馳走の昼食をとる。右に二見道があり、少し下って茶屋の脇より右に入る。古市の中程に出る。古市の富野屋(遊郭)にて、8人にて23分(約12万円)を払う。

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(外宮 神宮司庁)

 御師の活動としては、各地を回っての大神宮の神札(大麻:たいま)の配布がある。檀家が伊勢に参って天下泰平、五穀豊穣の祈願をすべきところを、御師が代行して祈願した証を配る。さらに大麻に次ぐ商品として、音物(いんもつ)と呼ばれた伊勢みやげの販売があった。杉原紙、鳥子紙、炭、帯、櫛、海苔、茶、伊勢暦など軽量で運びやすい品々である。いずれにせよ、御師の手代が、各村々を回り、布教活動を広めていったわけだ。

(参考:「江戸時代と伊勢参り」神崎宣武)

 

 さて、檀家が山田の御師宅に到着すると、まず清めの入浴。髭を剃り、月代(ささやき)を剃って髪を整え、羽二重の着物に着替える。夕食は大変豪華なもので、鯛、鮑(あわび)、海老などが食卓に並んだ。上等な灘の酒も付く。御師の館では、神楽も見学した。そして絹の布団に寝た。翌日は、外宮や内宮などの見学で、これも御師が案内人を付け、時には駕籠を使うこともある。出先の昼食も御師の手配で、古市の遊郭で遊ぶのも手代が付き添い案内したようだ。

これだけの徹底したサービスであるため、庶民は法外な料金を納得して払ったのであろう。まさに総合旅行業のはじめである。

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(内宮 神宮司庁)

119日 古市→御師の館→松坂宿(三重県松坂市)約33km

 19日は古市から御師の館へ帰り、昼食をいただき、出発。

 松坂宿へ下る道である。旅籠・富や喜兵衛に宿泊。宿泊代148文。

 

 伊勢神宮については、外宮が豊受大御神(とようけおおみかみ)をお祀りしている。豊受大御神は食物・穀物を司る神。衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられている。内宮は皇大神宮ともいい、御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、皇室の御祖先の神で、日本人の総氏神とも言われている。

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《嘉永五年道中日記》を読む【その12】

116日 白子宿(三重県鈴鹿市)→松坂宿(三重県松坂市)約33km

 白子宿から上野宿へ一里半。ここに泉州境より出張している刀鍛冶・菊一紋次四郎の店がある。それより的川村、高田門跡への道である。

 高田門跡(真宗高田派本山 専修寺、三重県津市一身田町2819)へ一里半。本堂は24間四方である。ここはお参りする所が多い。井新田(一身田)という所があり、女郎町がある。

 

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高田本山(津市観光協会)

 「高田門跡」は三重県の中ほど、津市一身田町に位置し、宗祖親鸞聖人のみ教えをまっすぐに受け継ぐ寺院で、高田本山と通称親しみを込めて呼ばれている寺院。真宗高田派本山。専修寺の境内には数多くの伽藍(がらん)が建ちならび、中でも一番大きな重要文化財でもある御影堂(みえいどう)は平成の大修理により平成191220日に修理が完了した。国宝の西方指南抄などの法宝物も所蔵し現代に伝えている。

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津城跡(津市観光協会)

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唐銅擬宝珠(からかねぎぼうし)イメージ

 津の町へ十八町。この町の長さは72町である。よい所だ。石高323900石、藤堂和泉守の御城下である。ここに雁八幡宮(津八幡宮、津市八幡町2339、応神天皇を祭神とし、藤堂藩歴代の崇敬が厚かった)がある。続いて岩田川、36間の板橋がある。(橋の欄干に)唐銅擬宝珠(からかねぎぼうし)が付いている。ここに、(名物)サザエの壺焼きがある。岩田町の、いんま前のみなとやにて昼食、100文。

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サザエの壺焼きイメージ

 津八幡宮は応神天皇を祭神とし、藤堂藩歴代の崇敬が厚かったことで知られている。

 

 雲津へ二里。このイ仇、くもづ川の船渡し10文。月本へ十八町。ここには伊賀への山越え道・奈良への山越え道の立石(案内)がある。この地にても大坂の宿の客引きである手代がいた。六軒茶屋へ十八町。ここは大和七在所、長谷寺への山越しの道の立石が右側にある。

 

 大坂の旅籠の手代が、こんな所にも出没して客引きとは驚きである。一行はすでに宿を決めていた。

 

 松坂宿へ一里。右側の旅籠・鹿島屋に宿泊。宿泊代172文。

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《PRONTO》のつまみ あれこれ

スカイツリータウンの《PRONTO》でビールを。夏のつまみがしゃれている。

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シーフードピザ780円。なかなかうまい。

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ボンゴレビアンコのおつまみペンネ580円。あまりおいしくはない。

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モッツアレラチーズのカプレーゼ380円。トマトとモッツアレラでうまい。

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ハワイアンポチキ380円。ウィンナとザワークラフトだが、どこがハワイアンなのか、わからない。

まっ、つべこべ言わずに生ビールを2杯ほど。お次は角ハイボールでお楽しみ。

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東京ソラマチの《魚力》のお寿司弁当

 日曜出勤でスカイツリー周辺の飲食店は、大混雑。そこで昼食は「東京ソラマチ」で今日もお弁当である。

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 ソラマチの2階「フードマルシェ」の鮮魚と寿司の《魚力》(TEL03-5610-2664)がある。ここのお寿司が新鮮でうまそうだったので、「季節の築地にぎり10巻」990円を購入。

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マグロ中トロ、イカ、いさき、ホタテ、カツオ、真鯵(まあじ)、めばちマグロ、かんぱち、白魚にサーモンの握りである。ネタが新鮮でうまかった。

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なぜ足を広げるの?《東京メトロ》マナーポスター新作

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 なぜ足を広げるの?閉じれば座れるのに。

I’d like to sit too.(私も座りたいのに)

There should be enough room.(十分なスペースがあるのに)

 座席の独り占めはご遠慮ください。

Please make room for others to sit when possible.

(できましたら ほかの人が座れるように)

 傍若無人な人が増えている。なんでそんなに大股開き?

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《神谷バー》の車内広告「直帰」

 東武スカイツリーライン(伊勢崎線)限定の神谷バーの広告、最新作である。

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 電気ブランに直帰。「サラリーマンの醍醐味」と書いてある。なるほど、職場に戻らなくてもよい「直帰」はいいなあと思う。

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《GUGU CAFE》おしゃれなカフェ

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 東京スカイツリーに近い向島1丁目の住宅街の、《GUGU CAFÉ(グーグーカフェ)》である。GWにはオープンしていたが、はじめてランチに行く。静かな住宅街の小さなカフェ。基本的には、手作りケーキのお店で若い女性が一人で切り盛りしている。

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 今週のランチは「エビピラフ」である。キッシュ、ポテトサラダ、野菜が付く。これにコーヒー・紅茶とプチスイーツ(ミニシフォンケーキ)で850円。

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 やっぱり女性向でボリュームは少ないが、薄味でおいしいランチだ。

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 ランチメニューとしては、おすすめのほか、オムライス、パスタ各種、カレーライス。サンドイッチとある。この日は、店内にラズベリームースとガトーショコラのケーキ

が、あったが、スイーツが得意だとか。バースデーケーキや焼き菓子など、予約をすればパティシエが作ってくれる店だ。

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    GUGU CAFE

    東京都墨田区向島1-26-8

    TEL0367518602

    営業時間/11001700(火曜日定休、日曜日が月2回休み)

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《嘉永五年道中日記》を読む【その11】

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嘉永五年(1852)、武州入間郡下新井村(現在の埼玉県所沢市下新井)の農民13名が、伊瀬参りを中心とする旅に出た。一行は東海道から久能山、秋葉山、鳳来寺などを見学しながら伊勢路へ。その後奈良、高野山、大坂、京都を回り、帰路は中山道に入り、善光寺や榛名山へ立ち寄る。

この50日間の旅の様子が、所沢市に《嘉永五年道中日記》として残されている。旅の途中の名所旧跡や名物をはじめ、旅籠の名前や宿泊代金、昼食代金、各地の橋や渡しの通行料金そして各観光地での案内料・拝観料など記されており、大変興味深いものだ。今回、現代語訳に挑戦し、合わせて描写された観光地の様子を追究してみた。

 

115日 桑名宿(三重県桑名市)→白子宿(三重県鈴鹿市)約29km

 四日市へ三里八町。(東海道を離れ伊勢路に入る)ここに18間の土橋あり。次にひなか村、堤の上に8間の板橋あり。この所より右へ京都に行く道、左は伊勢参宮の道である。

 追分へ一里半。左側のかぎや長三郎にて昼食、72文。この店に大坂の旅籠・河内屋又六の手代がいて、(宿泊をすすめるために)酒を出してくれた。ここに木の鳥居あり。それより高岡村(三重県鈴鹿市)、鈴鹿川(幅が)60間、このとき橋を架け替え中で仮橋があり、通行料は6文。

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(広重 四日市)

 四日市は東海道五十三次の43番目の宿場として栄えた。日永の「追分」は、東海道と伊勢街道の分岐点で、往時の繁栄ぶりを今に伝える史跡だそうだ。

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(神戸城跡:鈴鹿市観光協会)

 神戸(かんべ)宿へ一里半。石高15000石、本多伊予守の御城下である。このあたりに鎌倉権五郎(景政)の古跡がある。

 

 鎌倉権五郎こと平景正は、後三年の役(108387)の折に、眼を射られるも、自らその矢を抜いて戦ったと伝えられる武勇伝の人物。「しばらく、しばらく~」のセリフでお馴染みの歌舞伎十八番『暫』の主人公としてもよく知られている。その鎌倉権五郎の塚が、なぜここにあるのかは不明である。

 

 白子宿へ一里半。左側の旅籠・鼓屋吉蔵に宿泊。宿泊代172文。ここ白子宿には石高6万石、紀州殿の御陣屋がある。町はずれに右へ行くと、白子山子安観世音(子安観音寺、三重県鈴鹿市寺家三丁目2-12、高野山真言宗)があり、ここにふだんさくらがあり、楠の大木がある。

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(子安観音:鈴鹿市観光協会)

 子安観音は、高野山真言宗の名刹として知られる。御本尊は白衣観世音で、安産・子育ての霊験あらたかな霊場として、全国より参詣者が訪れるという。仁王門(県文化財)をくぐると、本堂と美しい三重の塔がある。聖武天皇の天平年間に創建された由緒深い寺院である。

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(不断桜:鈴鹿市観光協会)

 

 観音様の妙智力により咲く「不断桜」とは、寺の言い伝えによれば・・・

今より千二百年前、伽藍に雷火があり、跡より一本の桜が芽吹きました。その桜は、観音様の妙智力により、四季に花葉が絶えず、「不断桜」(国天然記念物)と名付けられました。時の称德帝が、「ちかひあり いつも桜の花なれば みる人さへや ときはなるべし」と詠まれ、以後、深い帰依を受け、御霊木となりました。今も厳寒の中、白く健気な花をつけ、春の満開の時期には参拝者も多くなります。観音寺の安産祈願御守には、古くからこの桜の葉が封入されています。

また、人間国宝を生んだ伝統産業である伊勢型紙は、この桜の虫食いの巧妙な自然の模様が創始であるともいわれています。

 

 なるほど、ありがたい桜である。

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《ホテルサンルート浅草》と《ホテルユニゾ浅草》の朝食

 最近、仕事で浅草を代表する「ビジネスホテル」に泊まった。《サンルート浅草》と《ユニゾ浅草》である。ほぼ同じようなランクだ。部屋は双方共、決して広くはないが、まずまず快適。

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 面白いのは、両方のホテルのレストランが、ファミリーレストランだということ。サンルート浅草には「jonathang(ジョナサン)」があり、ユニゾ浅草には「Royal Host(ロイヤルホスト)」がある。

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(サンルート浅草)

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(ユニゾ浅草)

 同じような朝食を出す。値段にして1,000円程度だが、ユニゾ浅草の「Royal Host」の方が格段にうまい。和洋など選べるが、食べたのは基本的な和食。やっぱりファミレスとしては、Royal Hostがおいしい。

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浅草の市民画家《矢口画伯》

 矢口画伯の最新作品が《生駒軒》浅草雷門に展示されている。ちょうどご本人がお見えになったので1枚。初夏のあじさいを描いたもの。なんともさわやかな色使いがよい。

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《うにあられ》ぼんち株式会社

 関東では「歌舞伎揚げ」だが、関西では「ぼんち揚げ」。これは人気のお煎餅である。

最近とくに気にいっているのが、《うにあられ》だ。なんともおいしい。小粒で小袋なので量もちょうどいい。

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 大阪市淀川区のぼんち株式会社が販売している。ビールのつまみにもよい。ささやかな幸せである。

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